*1840年代の詳細
**デンマーク戦役
*1840年代の詳細 [#i9045381]
**デンマーク戦役 [#f6a6ff58]
普墺戦争終結後、直接税をALL32%・教育費50%・防衛費下限こと1/3・陸軍維持費1/3に変更。&br;
各地のRGOを最低2レベルへ。(考えにくいものの万一の移民到来用・呼込用の空枠作成)

直後デンマーク・ロシア・ギリシャから宣戦布告を受け、予備役増員&動員、オーストリア+主要小国4と対ロシア防御・対デンマーク攻撃を行う。(リッペデトモルトは許しがたい行為)&br;
戦中に「戦略機動」を研究完了し、予算そのままでコペンハーゲンを占領。&br;
1839年1月、賠償金で同盟間和平。&br;
1839年2月、関係改善後、戦争による悪化もなかったロシアから関係+150で独立保証。&br;

**資本家の養成
**資本家の養成 [#xe622439]
オーストリア・デンマーク合わせて7.000£/月の賠償金を受けながら資本家作成を続け、輸入で知らぬ間に10貯まっていた機械部品でヴェストファーレン・ラインラントの工場を拡張。稀にまとまって入ってくる。&br;
1839年6月、115£/日の利子を抱えたまま収支がプラス転換。&br;
1839年8月、直接税をALL27%へ。&br;
1839年9月、ベルギーに「戦略機動」「石炭の精錬」を渡し、「医薬」「市場構造」と1,800£入手。うっかり研究ポイントが-3へ。&br;
1839年11月、「特別紙幣の印刷」研究完了。130£/日の利子を抱えたまま、40〜50£/日の黒字が出るようになる。&br;
1840年1月、直接税をALL23%へ。もっとも下降率の少ないPOP(ニュルンベルク工員)で、急進性に-0.02を確保。北部の陸軍駐留領邦は農民・兵士・将校・聖職者・貴族が-0.80手前。多元主義1.3%。30£/日程度の黒字。&br;
1840年2月、忘れていた帆船を「2まで購入」指定。ペシュトブダに必要。工場のない南の一部の州を除き、資本家の数が最低限揃ったので(国民の14%)、以後しばらく30万£に膨れ上がった借款の返済期とする。&br;

**アフリカ侵攻
**アフリカ侵攻 [#af3b1b9e]
1840年6月、フランスがエジプトを後押ししたままトルコと戦っていること、相手に艦船がないことを確認して、対チュニス植民地戦争を布告。防衛予算50%・陸軍維持費MAXで、使用する騎馬3師団のみ兵力を回復させる。国威1125→1025。&br;
1840年11月、新設工場の工員・事務員に投入した資材が定数を満たし直し、利子140£/日を抱えながら200£弱/日の利益が出るようになっていたので、教育費をMAXに戻し、直接税をALL19%に下げる。黒字50£/日、急進性下降率-0.03〜-0.85。&br;
1841年1月、屈辱+首都以外割譲で一旦チュニスと和平。RGOの拡張だけ行った後、そのまま2回戦に突入。国威1040→940。&br;
1841年2月、チュニス併合(BBR27)。国威945。RGOの拡張だけ行ってやり、衛星国化(BBR22)。文明化させる手間は省く。&br;
1841年3月、財政破綻を待たずにトリポリ侵攻。国威945→845。&br;
1841年5月、オーストリアからの賠償金終了。およそ6,000£/月であった。&br;
1842年2月、屈辱+首都以外割譲で一旦トリポリと和平。防衛費を下げ、チュニスとの同盟を解消した後に再度トリポリ侵攻。国威→766。「前装式ライフル」研究終了。「鉄製前装砲」研究開始。&br;
1842年3月、トリポリ併合。ロシアに「陸軍将校の専門知識」を6,700£で売却し(他国が金持っていなかった。関係→+200)、アハガルに交易所を建設してからトリポリを衛星国化する。(BBR→10)
陸軍維持費を1/3に戻し、遠征部隊を本土へ。&br;

**ドイツ諸邦併合
**ドイツ諸邦併合 [#e305d4f0]
1842年4月、バーデンとの平和条約が失効。&br;
1842年6月、トリポリとの同盟解消。ウェルテンベルクへの陸軍通行権取り消し。部隊を周辺へ集める。&br;
1842年12月、同盟を解消した後に、平和条約失効を待ってウェルテンベルク(国威-105)へ宣戦布告。予算そのまま。(BBR→10.89)&br;
1843年1月、「軍事計画」研究開始。二重の包囲効果でウェルテンベルク軍を士気崩壊で全滅させ、翌月初頭に併合。(国威→808、BBR→11.86)同地に、あってもなくても困らない蒸留酒工場を建設。ガラスはオルデンブルクにあった工場で足りている。バイエルンへの陸軍通行権取り消し。&br;
1843年7月、同盟を解消した後に、バイエルン(国威-93)へ宣戦布告。防衛費・陸軍維持費1/2。&br;
1843年9月、バイエルンを併合。(国威→745、BBR→13.77)ガラス工場とワイン工場を持っていた。&br;
1843年12月、「国家と政府」研究開始。リッペデトモルトに宣戦布告。&br;
1844年1月、リッペデトモルト併合。(国威→681、BBR→15.71)&br;
1844年2月、バーデンへの陸軍通行権取り消し。&br;
1844年5月、防衛費・陸軍維持費を1/2に。&br;
1844年6月、ハノーバーのギリシャ憲法が全土に広まる。税率ALL17%へ。収支+50£/日。急進性下降率-0.02〜-0,81。同盟解消後宣戦布告(国威→584)&br;
1844年9月、バーデンを併合。(国威→623、BBR→17.60)製材所を持っていた。&br;
1844年10月、ロシアが独立保証を更新。ベルギーに「前装式ライフル」「特別紙幣の印刷」を渡し、「後期の古典派理論」「初期の鉄道」を入手。&br;
1844年11月、待ちきれずに「機械生産」研究開始。それなりに輸入出来ているが、今後国威をさらに下げるため。ラインラント・ヴェストファーレンへ実験鉄道敷設開始。「利子が150£/日を越えていようが、全然かまわない」(収支+50£/日)高級衣類・高級家具工場にそれぞれ工員事務員を1POPずつ配置。後はゴールドラッシュ待ち。&br;
1844年12月、騎兵師団3個をモロッコ沖へ派遣。&br;

**モロッコ侵攻
**モロッコ侵攻 [#i05047d0]
1845年1月、「貴族制度」選択。以後「資本家の地位低下(多元主義→0%)」「反聖職者主義」「親族重用主義」「体制主義」励起・選択。&br;
1845年2月、既にエジプト-トルコ戦が終結しているので、防衛費50%、陸軍維持費MAXにして取り急ぎモロッコ侵攻。(国威→528)フランス国境から第3兵団を引き抜き、輸送隊を往復させて向かわせる。&br;
1845年5月、ロシアと防衛同盟締結。&br;
1845年10月、「ユダヤ人にも義務を!(研究ポイント+5)」で10点貯まったので、ベルギーに「鉄製前装砲」を渡し、「業務規則」を入手。モロッコ全土を占領し、屈辱+首都以外割譲で一旦和平。フランスがチュニス戦を開始しているが関係ない。&br;
1845年12月、「高圧および低圧蒸気機関」研究開始。不満分子はロシアからの密輸だったため
見逃される。モロッコ戦再開。(国威→439)&br;
1846年1月、ポーランド独立推進委員会設立される。急進性低下率は最低で-0.05あるが、絶対値の問題でポーランド地域の暴動マップが赤くなる。モロッコ併合後衛星国化。(BBR→6.38)&br;

**内政重点期
**内政重点期 [#i42398bd]
1846年2月、スウェーデンの申し出により軍事同盟締結。(関係→+100弱)&br;
1846年5月、先方からの関係改善を受けてベルギーと防衛同盟締結。&br;
1846年10月、「海王星発見!(研究ポイント+20)」を受けて、オーストリアに「石炭の精錬」「戦略機動」を渡し、「工場の組織化」「戦艦密集ドクトリン」と5,500ポンドを入手。&br;
1846年12月、「交換可能部品」研究開始。&br;
1847年2月、「シュレスヴィヒ問題」引き下がる。(国威→415)オーストリアは開戦を選択したが何も起こらなかった。衛星国で開戦権利がないようだ。&br;
1847年4月、一旦大砲工場を閉めた後、オーストリアに「後期の古典派理論」を10,000£で売りつけ、タマンラセトに要塞植民施設建設。アムギットに教会建設。ティミアに交易所建設。&br;
1847年8月、ベルギーに「工場の組織化」を渡し、「鉄の大量生産」と4,400£を入手。ポーランド人の反乱相次ぐ。&br;
1847年12月、「実証主義」研究開始。&br;
1848年5月、ベルギーに「交換可能部品」を渡し、「無機化学」と4,400£を入手。&br;
1848年6月、「精密加工」励起。機械部品を「100まで売却」に変更し、ファッセレスに要塞植民施設を建設してからバイエルンに機械部品工場建設。(フランスがトリポリに植民地戦争を始めたため。しかしその後、なぜか現状復帰で和平していた)&br;
1848年8月、穀倉地帯で兵士POPを作成し、常設歩兵師団10をレーゲンスブルクで作成。イェブティを植民地宣言し、「鉄製前装砲」とともにオーストリアへ11,200£で売却。インゲッサムに教会を建設。&br;
1848年12月、「機能主義」研究開始。&br;
1849年7月、「フランクフルト議会の提案」辞退。諸候に推された王冠以外を戴いてはいけない。
(国威→517)ケーニヒスベルクにゴールドラッシュ。貴金属を「1000まで売却」指示にして貯め込む。借款は50万£、利子は250£/日を越え、収支は+80£/日程度となっている。アヘン戦争が起こっていないのが後々問題となる気がする。&br;
1849年12月、「連合主義」研究開始。&br;
1850年1月、スゥーデンに「陸軍将校の専門知識」を渡し、「株式市場」を受け取る。収支が+120£/日程度となり、以後空回しを続けながら借款を微妙に返済し続ける。&br;
1850年5月、ロシアとの同盟が失効。クリミア戦争に巻き込まれるつもりがないので更新しない。(その後、イギリスに対して無効で何度か誘いを受けるが断る)&br;
1850年11月、ロシアから独立保証を受ける。&br;
1850年12月、「国粋主義と帝国主義」研究開始。&br;

経験点を1増やす(原経験点は越えられない) → GER_UNI_3T_3 「保守的な帝国」
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