*サルディニア序盤戦略手引き(後編)
*サルディニア序盤戦略手引き(後編) [#c4b4d834]

**リソルジメントの前に
**リソルジメントの前に [#f9dd8352]

1845年6月25日には、ルッカ、フィレンツェ、ナポリ、ローマなどを占領し、イタリア統一イベントは時間の問題となった。

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説明:あとは待つだけ

このまま1〜2ヶ月ほど待っていれば、統一イベントが発生するが、その間にやることがある。統一されると人口が爆発的に増えるので、統一イベントが起きるまでに、金のかかる政治改革、社会改革をやりとげておく必要があるのだ。

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説明:政治改革で政党の結成を自由に。社会改革で全部を最高に

フランスにモロッコ東部、オスマントルコにチュニジア南部、ロシアにモロッコ、チュニジアの沿岸部を譲れば8万くらいは調達できるが、それでも借款が30万というとんでもない額になった。

オーストリアの賠償金がなければ財政破綻へ一直線だが、常備軍50個師団、予備役20個師団で世界第二位となったわが国ならば、全然問題ないに違いない。

**保守反動
**保守反動 [#b613516e]

さてあとは、果報を寝て待つだけ・・・と思いきや、とんでもない事態が発生した。保守反動が起きて、立憲制に戻すか、叛乱祭りを感受するかのちょっと笑えない二択となったのだ。

しかしわがイタリアは今更君主制などには戻らない。退かぬ、媚びぬ、省みぬ!保守反動ごとき受けてたとうではないか。

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説明:おまいら保守反動などやっとる場合か!

Vanillaでは、1845年頃に自由主義革命が吹き荒れるが、どうやらVIPでは自分で政治改革をしても、立憲君主制や民主制になるさい保守反動を乗り越える必要があるらしい。

**リソルジメント
**リソルジメント [#w516f05f]

保守反動の嵐が吹き荒れる中、教皇領を残して他のイタリア諸邦は統一に合意し、偉大なる統一イタリアが誕生した。

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説明:イタリア諸邦は統一に合意。あとは教皇領を併合するだけ。

**1845年のイタリア
**1845年のイタリア [#j3d6207c]

この手引きにしたがった結果、1845年のイタリアはこうなった。威信は、大英帝国を抜いて世界一となったが、社会改革を全て実施し、借款30万を背負ったため、教育予算、社会保障予算を上限にするとマイナス968ポンド/日の支出がある。

鉄道はひとつも建設しておらず、南イタリアは工場がぜんぜん足りない状況で、しかも資本家POP/事務員POPの養成などはまったくやっていない状態なので前途多難である。

はっきりいって教育予算、社会保障予算をゼロにして、こまめに借款を返済しないとオーストリアの賠償金が切れ次第、財政破綻してしまうだろう。(過ぎたるは何とやら。何のために改革したのやら?)

しかし統一によりさらに増えた60個師団弱の常備軍、20個師団相当の予備役をもってすれば、世界中の戦争に便乗して、容易に未回収のイタリアを回収できるだろう。

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**その後のイタリア
**その後のイタリア [#b6c53c1b]

::1846年::モロッコ、チュニジアを独立させて悪い子ちゃんレートを下げたあと、国内では保守反動勢力をひたすら退治。海外ではタイ、ビルマ攻略を継続し、首都以外を全部占領して和平。
::1847年::北イタリア戦争においてロンバルディア、ヴェネツィアに宣戦布告し、オーストリアの先回りをして約2/3を回収。
::1848年::日本に宣戦布告したが、戦力補充をケチったため占領が遅れ、非正規軍の大軍に襲われてしまったので賠償金を条件に和平。
::1849年::戦力補充をしてから朝鮮に宣戦布告し、首都以外を全部占領して和平。
::1850年::朝鮮に常備軍の2/3を投入した隙をつかれ、オーストリアから宣戦布告されたが、初めて予備役32個を動員して反攻。途中でクリミア戦争なども起こりエライことに。
|1846年|モロッコ、チュニジアを独立させて悪い子ちゃんレートを下げたあと、国内では保守反動勢力をひたすら退治。海外ではタイ、ビルマ攻略を継続し、首都以外を全部占領して和平。|
|1847年|北イタリア戦争においてロンバルディア、ヴェネツィアに宣戦布告し、オーストリアの先回りをして約2/3を回収。|
|1848年|日本に宣戦布告したが、戦力補充をケチったため占領が遅れ、非正規軍の大軍に襲われてしまったので賠償金を条件に和平。|
|1849年|戦力補充をしてから朝鮮に宣戦布告し、首都以外を全部占領して和平。|
|1850年|朝鮮に常備軍の2/3を投入した隙をつかれ、オーストリアから宣戦布告されたが、初めて予備役32個を動員して反攻。途中でクリミア戦争なども起こりエライことに。|

イタリアの厭戦気分40%、オーストリアの厭戦気分65%、借款はさらに増えて38万という泥沼になったが、1853年12月、ウィーンを占領して賠償金、通行権、未回収のイタリアの残りを条件として和平。

ここに、完全なリソルジメントを達成した。

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