全てハードコード ####### 107K ARGENTINA #######;;;;;;;;;;;X,,, EVT107000N;太平洋戦争;;;;;;;;;;X EVT107000D;チリがボリビアと戦火を交えた際、アルゼンチンの指導者層には、この問\n題に介入してチリに侵攻したい誘惑に駆られるものもいた。不測の事\n態に備え、1873年時点で既にボリビアとは秘密協議が開かれていたが、\nそれが具体的なかたちを伴うことはなかった。もし仮にアルゼンチンが開\n戦を決めていれば、領土面で何らかの利益を得ていた可能性も否定\nできない。しかしその反面、開戦するという選択肢が、民衆の支持を得\nるものだったとは限らないだろう。;;;;;;;;;;X ACT107000A;この問題からは距離を置こう;;;;;;;;;;X ACT107000B;介入してチリに宣戦だ;;;;;;;;;;X EVT107001N;ペルー・ボリビア連合戦争;;;;;;;;;;X EVT107001D;ボリビアがアルゼンチンの内政に干渉してきた。サンタクルス将軍の創設\nしたペルー・ボリビア連合は脅威的な国力を誇っているが、ロサス大統\n領はこれに怒り、連合打倒のため軍を北部へと送った。;;;;;;;;;;X ACT107001A;奴らに道理というものを分からせてやろう;;;;;;;;;;X ACT107001B;この問題からは距離を置こう;;;;;;;;;;X EVT107003N;ドミンゴ・サルミエント;;;;;;;;;;X EVT107003D;ミトレに代わって、サルミエントがアルゼンチン大統領に就任した。彼の\n政権では自由主義的な方針が打ち出され、大規模な教育キャンペー\nンや参政権の充実、公共機関の効率化などが唱えられた。しかしこれ\nには幾ばくかのコストがかかるだろう。;;;;;;;;;;X ACT107003A;いい施策だ;;;;;;;;;;X ACT107003B;よくないな;;;;;;;;;;X EVT107004N;エントレリオスの反乱;;;;;;;;;;X EVT107004D;リカルド・ロペス・ホルダンの一味が反乱を起こし、同時に彼の指示によ\nって、ウルキサ前大統領とその息子が殺害された。ただし結局ナエンベ\nの戦いに敗れ、反乱は鎮圧されることとなった。;;;;;;;;;;X ACT107004A;反乱軍を粉砕しろ!;;;;;;;;;;X EVT107005N;ニコラス・アベジャネーダ;;;;;;;;;;X EVT107005D;新大統領としてアベジャネーダが就任したが、それはミトレらによる反\n乱、独立以来付きまとう経済危機といった問題に囲まれてのことだっ\nた。彼は亡命中の身となっていた政敵の多くに特赦を与えたほか、\n「砂漠掃討作戦」もその在任中に執り行われた。これはブエノスアイ\nレスからパタゴニアにかけて、反抗的な先住民を制圧するもので、これ\nによってかつては入植できなかったような遠隔地にも、多く殖民できる\nようになった。;;;;;;;;;;X ACT107005A;よかろう;;;;;;;;;;X ACT107005B;承服できない;;;;;;;;;;X EVT107006N;フリオ・アルヘンティーノ・ロカ;;;;;;;;;;X EVT107006D;新大統領に就任したフリオ・アルヘンティーノ・ロカ将軍は、ブエノスアイレ\nスが国内政治で力をもつことに否定的な見方を示し、そうしてブエノスア\nイレス市は州から切り離されて連邦特別州となり、アルゼンチンの首都\nとされた。またインフラの整備も推進したが、その財源は海外からの借\n款や投資でまかなわれた。;;;;;;;;;;X ACT107006A;優れたリーダーだ;;;;;;;;;;X ACT107006B;愚か者だ;;;;;;;;;;X EVT107007N;連邦か死か;;;;;;;;;;X EVT107007D;ロサス派は「連邦か死か」を合言葉に、日々その勢力を強めている。こ\nの年、ブエノスアイレスの官公街であるフォルティン地区に、ベルグラーノに\nよるアルゼンチン国旗ではなく、はじめてロサス派の旗がはためいた。市\n街地では、壁がロサス派の色である赤色に塗られ、1810年5月革命\n当時に流行った空色の塗装を消さずにおいていた家でも、これを受け\n入れることになった。こうした風潮は、ブエノスアイレス市民の生活全体\nに波及している。;;;;;;;;;;X ACT107007A;連邦万歳!;;;;;;;;;;X EVT107019N;ペルー・ボリビア連合戦争の終結;;;;;;;;;;X EVT107019D;ペルー・ボリビア連合に対する戦争に参加したことで、アルゼンチンもこの\n地域での大国であると認められることになった。;;;;;;;;;;X ACT107019A;よし;;;;;;;;;;X EVT107029N;アメリカ合衆国との経済協定;;;;;;;;;;X EVT107029D;アメリカ合衆国とアルゼンチンは、鉄道と両国間での鋼鉄貿易に関する\n経済協定に調印した。これは重要な協定であり、これによって未成熟\nのアルゼンチン経済も、産業化と鉄道網の建設に邁進できるようになる\nだろう。;;;;;;;;;;X ACT107029A;完全な協約に調印しよう;;;;;;;;;;X ACT107029B;とにかく技術が必要だ;;;;;;;;;;X ACT107029C;とにかく天然資源が必要だ;;;;;;;;;;X EVT107030N;万民に無償の教育を;;;;;;;;;;X EVT107030D;アルゼンチン政府は1855年、国民がみな無償教育を受けられる\n教育制度を施行するよう決めた。;;;;;;;;;;X ACT107030A;すばらしい!;;;;;;;;;;X EVT107031N;安定条約;;;;;;;;;;X EVT107031D;1856年、アルゼンチン、チリ、ブラジル、そしてパラグアイの4ヶ国により、\nこの地域での政治的安定の醸成を目標とする大規模な協定が締結さ\nれた。情勢が打開したことについて、西欧諸国から賞賛の声が届いて\nいる。;;;;;;;;;;X ACT107031A;いい考えだ;;;;;;;;;;X EVT107032N;マルタン・ド・ムシー;;;;;;;;;;X EVT107032D;文筆家マルタン・ド・ムシーは国土の全体にわたって膨大な研究を行\nい、「アルゼンチン連合についての統計的、地理的記述」を著した。\nブエノスアイレスからフフイへ、そしてチャコからパンパ、パタゴニアへと旅\nして回った彼の研究は、アルゼンチンに関しての初の科学的調査で\nあった。;;;;;;;;;;X ACT107032A;OK;;;;;;;;;;X EVT107033N;スペインのアルゼンチン独立承認;;;;;;;;;;X EVT107033D;1863年、スペインは公式にアルゼンチンの独立を承認するよう決定した。;;;;;;;;;;X ACT107033A;かしこまりました、陛下!;;;;;;;;;;X EVT107034N;スペインのアルゼンチン独立不承認;;;;;;;;;;X EVT107034D;史実では1863年、スペインもアルゼンチンの独立を承認している。\nしかし今回は違った道を歩むことになったようだ。;;;;;;;;;;X ACT107034A;なんてことだ;;;;;;;;;;X EVT107035N;軍事改革;;;;;;;;;;X EVT107035D;1870年にパラグアイ戦争が終結したのを受けて、政府は全国初の\n軍事学校を設立し、軍人の俸給を固定給とすることを決めた。;;;;;;;;;;X ACT107035A;了解!;;;;;;;;;;X EVT107036N;教育キャンペーン;;;;;;;;;;X EVT107036D;アルゼンチン政府は1871年、教育問題に関して国家による大規模な\n計画を打ち出し、あらゆる水準に応じた1000を超える学校が創立さ\nれた。;;;;;;;;;;X ACT107036A;すばらしい;;;;;;;;;;X ACT107036B;他に金の使い道がある;;;;;;;;;;X EVT107037N;絢爛たるブエノスアイレス;;;;;;;;;;X EVT107037D;この頃から、ブエノスアイレスは「アメリカのパリ」と呼ばれるようになった。\n誰の目にも明らかなヨーロッパ式の建築物、そして広い大通りにオペラ\n劇場といった都市景観により、旧大陸からは深い羨望のまなざしが向\nけられている。;;;;;;;;;;X ACT107037A;OK;;;;;;;;;;X EVT107038N;対ブラジル国境紛争の終結;;;;;;;;;;X EVT107038D;1885年、アルゼンチンとブラジルは具体的な内容をもった協定を結び、\n国境紛争が終結した。;;;;;;;;;;X ACT107038A;ありがとう;;;;;;;;;;X EVT107039N;ドラゴ宣言;;;;;;;;;;X EVT107039D;1902年にイギリスとドイツが債務不履行を理由に、ベネズエラに対して\n武力行使をちらつかせた脅しをかけ、南米大陸全体に緊張が走った。\nこれについて作家のルイス・マリア・ドラゴは「ドラゴ宣言」を発表、南米\n諸国の抱える負債は帳消しにされるべきであり、ヨーロッパ諸国は南米\n大陸への領土的野心を放棄すべきだと訴えた。;;;;;;;;;;X ACT107039A;よし;;;;;;;;;;X ACT107039B;だめだ;;;;;;;;;;X EVT107040N;タンゴ;;;;;;;;;;X EVT107040D;タンゴはアルゼンチンの誰もが認める名物である。19世紀の半ばごろにブ\nエノスアイレスの大衆層に現れたタンゴは、多くの文化や音楽の混交す\nる場となったが、これはただの音楽ではなく、自分たちのアイデンティティ\nーを確立したいというアルゼンチン人の願いが表象化したものなのだ。憂\n鬱な曲調で、感動的そして印象的なタンゴの調べによって、この頃を通\nじてアルゼンチンは、「タンゴの国」として世界中にその名を知られるよう\nになった。;;;;;;;;;;X ACT107040A;踊ろう!;;;;;;;;;;X EVT107041N;独立百周年;;;;;;;;;;X EVT107041D;アルゼンチンでは1910年、「エル・アニョ・デル・センテナリオ」、すなわち独\n立100周年を記念した式典が挙行され、スペインからはイザベラ王女、\nフランスからはクレマンソーといった面々が旧大陸から訪れてきた。この\n行事が報道されたことで、ブエノスアイレスの世界的なイメージアップに\n貢献し、こうして誰もがアルゼンチンの首都が実に美しく、ヨーロッパ的\nな町並みであることを理解するようになった。;;;;;;;;;;X ACT107041A;やった!;;;;;;;;;;X EVT107050N;ラプラタ王国? - 征服;;;;;;;;;;X EVT107050D;ボリビア、ウルグアイ、パラグアイの3国がそれぞれの領土を征服され、独\n立国家としての存在を終えたことで、かつてのラプラタ副王領を今度は\n王国として復活させるという可能性が現実味を帯びてきた。;;;;;;;;;;X ACT107050A;君主制にすべきだ;;;;;;;;;;X ACT107050B;そうしよう、ただし政体は変えずにだ;;;;;;;;;;X ACT107050C;そんなことは不可能だ;;;;;;;;;;X EVT107051N;ラプラタの再生;;;;;;;;;;X EVT107051D;ラプラタ王国の復活が宣言された。ついに我々はひとつの国家となった!;;;;;;;;;;X ACT107051A;ラプラタ万歳;;;;;;;;;;X EVT107052N;ラプラタの首都;;;;;;;;;;X EVT107052D;ラプラタ王国の建国が現実のものとなり、数ヶ所の候補地から\n政庁所在地を選ぶ必要がでてきた。;;;;;;;;;;X ACT107052A;ブエノスアイレスにしよう;;;;;;;;;;X ACT107052B;モンテビデオにしよう;;;;;;;;;;X ACT107052C;アスンシオンにしよう;;;;;;;;;;X ACT107052D;ラパスにしよう;;;;;;;;;;X EVT107100N;フランス商品へのロサスの新関税;;;;;;;;;;X EVT107100D;モンテビデオからの物品輸入の伸びを受けて、ロサスはそこから来る品目\nに対し新しく25%の関税をかけることにした。この行為は南米貿易の\n窓口としてモンテビデオ港を選んでいたフランスからは、良い目で見られ\nなかった。;;;;;;;;;;X ACT107100A;税を課そう;;;;;;;;;;X ACT107100B;その必要は無い;;;;;;;;;;X EVT107101N;フランスのブエノスアイレス封鎖;;;;;;;;;;X EVT107101D;ウルグアイから来る商品に新しく関税をかけたことで、フランスから何らか\nの反応が来るのは明らかだったが、残念なことに、最悪の事態がおとず\nれることになった。フランス海軍がブエノスアイレスに海上封鎖をかけ、港\nを通じた貿易が全面的に停止してしまったのだ。これにより我々の収入\nは半減し、国内経済は破壊された。史実において、封鎖後のアルゼン\nチンの歳入は7分の1にまで減少してしまっている。;;;;;;;;;;X ACT107101A;神よ、助けたまえ!;;;;;;;;;;X EVT107102N;混乱の拡大;;;;;;;;;;X EVT107102D;フランスによる海上封鎖は拡大している。フランス海軍は我々の貿易\nを徹底的に破壊してしまい、さらに現在はこの地域での拠点とするた\nめに、ブエノスアイレス近郊のマルティン・ガルシア島に侵攻している。し\nかしこれだけではない。コリエンテス州とサンタフェ州はモンテビデオを通\nじて貿易ができるよう、フランスと新協定を結ぼうとしている。これには\n我慢ならない。こういった分離主義的な活動は即刻、やめさせねば\nならない。;;;;;;;;;;X ACT107102A;連邦万歳!;;;;;;;;;;X EVT107103N;サンタフェがラバージェを支持;;;;;;;;;;X EVT107103D;国内での騒乱拡大をうけて、故エスタニスラオ・ロペス前サンタフェ州知\n事の腹心の部下だったドミンゴ・クージェンを、ロサスは処刑した。これに\nよってこの地域でラバージェを支持する動きが広がっている。;;;;;;;;;;X ACT107103A;連邦か死か!;;;;;;;;;;X EVT107104N;トゥクマンがラバージェを支持;;;;;;;;;;X EVT107104D;国内での騒乱拡大をうけて、故エスタニスラオ・ロペス前サンタフェ州知\n事の腹心の部下だったドミンゴ・クージェンを、ロサスは処刑した。これに\nよってこの地域でラバージェを支持する動きが広がっている。;;;;;;;;;;X ACT107104A;連邦か死か!;;;;;;;;;;X EVT107105N;ブエノスアイレス蜂起;;;;;;;;;;X EVT107105D;全国的に反乱がまき起こり、ロサスの軍隊はこれと忙しく戦っている。\nペドロ・カステーリはこれをチャンスとみて、ラバージェ支持を言明した。\n彼の支持者はブエノスアイレス市内で、我々の軍隊と戦闘中である。;;;;;;;;;;X ACT107105A;連邦か死か!;;;;;;;;;;X EVT107106N;ロサスが反対派に懲罰を加える;;;;;;;;;;X EVT107106D;ロサスはその豪腕でもって、これまで以上に厳しく反対派に制裁をくわえ\nていった。処刑、拷問、虐殺といったありとあらゆる懲罰行為が、国中で\n巻き起こっている。しかもその対象は、ロサスに従う連中がロサス派では\nないと判断した人物すべてであり、判断基準は非常に恣意的なもの\nだったのだ。;;;;;;;;;;X ACT107106A;連邦か死か!;;;;;;;;;;X EVT107107N;ロサスが内治の一部を回復する;;;;;;;;;;X EVT107107D;アルゼンチン全土にわたって反乱の嵐が吹き荒れた後、ロサスの鉄拳\n制裁を受けて生き永らえたものはいなかった。フランス軍も撤退してラバ\nージェが打ち倒されると、もはやロサスに抵抗できるものがなくなっていた\nのだ。しかし賢いロサスのことである。彼は法令を布告し、当局以外のも\nのによってなされたあらゆる行為を容認しないと言明したのだ。これによ\nり、マソルカ(ロサスの支持者)による恐怖統治もまた終わりを迎えること\nになる。;;;;;;;;;;X ACT107107A;統一派の野蛮人どもに死を!;;;;;;;;;;X EVT107108N;フランスが協約を受け入れる;;;;;;;;;;X EVT107108D;フランス貿易商の主張を認め、フランスとアルゼンチンの二国間で相互\n貿易関係を打ち立てることを内容とする協定案をロサスは提案し、フラ\nンスもこれを受け入れた。フランスは封鎖を解除し、マルティン・ガルシア\n島からの撤退を進めている。これによってフランスとアルゼンチン連邦との\n間で、貿易が始まることになった。;;;;;;;;;;X ACT107108A;やった;;;;;;;;;;X EVT107109N;輸入品からの関税収入が終了;;;;;;;;;;X EVT107109D;モンテビデオ経由での輸入品に課していた関税が廃止されるにあたり、\n関税収入はもはや入らなくなっている。;;;;;;;;;;X ACT107109A;よし;;;;;;;;;;X EVT107110N;ロサスによるパラナ・ウルグアイ両河川の封鎖;;;;;;;;;;X EVT107110D;史実では1841年、ロサスが新たに法令を布告し、パラナ川、ウルグアイ\n川の両河川を封鎖して、アルゼンチン連邦に属さないあらゆる船舶の\n航行を禁止した。フランス、イギリス、ウルグアイはこの政策を快く思って\nはいない。;;;;;;;;;;X ACT107110A;封鎖せよ;;;;;;;;;;X ACT107110B;これ以上事態を緊迫させるな;;;;;;;;;;X EVT107111N;フランスが協約を受け入れる;;;;;;;;;;X EVT107111D;フランス貿易商の主張を認め、フランスとアルゼンチンの二国間で相互\n貿易関係を打ち立てることを内容とする協定案をロサスは提案し、フラ\nンスもこれを受け入れた。フランスは封鎖を解除し、マルティン・ガルシア\n島からの撤退を進めている。これによってフランスとアルゼンチン連邦との\n間で、貿易が始まることになった。;;;;;;;;;;X ACT107111A;話を持ちかけよう;;;;;;;;;;X EVT107112N;ロサスの失脚;;;;;;;;;;X EVT107112D;ロサスは統一派を食い止められるだけの力がなかった。ラバージェの\n軍隊がブエノスアイレスに入り、ロサスは勝利への望みを完全に失って\n亡命した。;;;;;;;;;;X ACT107112A;ラバージェに権力を!;;;;;;;;;;X EVT107975N;パラグアイ解放の闘士;;;;;;;;;;X EVT107975D;ブラジル政府から金を貰っているとおぼしき武装反乱軍が、パラグアイの\nアスンシオンで街頭に繰り出している。;;;;;;;;;;X ACT107975A;クソッ!;;;;;;;;;;X EVT107976N;ウルグアイ解放の闘士;;;;;;;;;;X EVT107976D;ブラジル政府から金を貰っているとおぼしき武装反乱軍が、ウルグアイの\nモンテビデオで街頭に繰り出している。;;;;;;;;;;X ACT107976A;クソッ!;;;;;;;;;;X EVT107977N;ブラジルが我々に宣戦;;;;;;;;;;X EVT107977D;これまで蓄えてきた国力でもって、ブラジル政府は我々に\n反撃を加えようとしている。;;;;;;;;;;X ACT107977A;やってやろうじゃないか;;;;;;;;;;X EVT107978N;ブラジルが戦争の脅迫;;;;;;;;;;X EVT107978D;19世紀初頭にはブラジル帝国の一部だったシスプラチナ州を併合した\nことで、ブラジル政府は緊迫した姿勢をとることになった。両国の間に\n緩衝国はもはやなく、南アメリカで保たれてきた軍事、経済面における\n微妙なバランスは崖っぷちにある。我々がウルグアイを手放さない場合、\nブラジルは戦争に訴えると間をおかず脅してきた。;;;;;;;;;;X ACT107978A;降参しよう;;;;;;;;;;X ACT107978B;ウルグアイを衛星国とし手放そう;;;;;;;;;;X ACT107978C;誰が脅迫するだって?;;;;;;;;;;X EVT107979N;リベラがロサスに宣戦;;;;;;;;;;X EVT107979D;リベラがコリエンテス州と同盟にむけ協定を交わした。ロサスは依然オリベ\nをウルグアイの大統領として承認しており、リベラがそのロサスに対して宣\n戦を布告したことで「大戦争」が始まった。アルゼンチン国内ではフアン・\nラバージェ率いる統一派が反政府活動に身を投じており、リベラはその\n支援が得られると考えたのだ。;;;;;;;;;;X ACT107979A;ラバージェも統一派のクズどもも粉砕してしまえ!;;;;;;;;;;X EVT107980N;港が封鎖下に;;;;;;;;;;X EVT107980D;ブエノスアイレスの港は常時、2ヶ国にわたる外国軍の警戒下にあり海外産の物品はことごとく国内への積み下ろしを拒否されている。国民に飢餓が広まり、軍も新しい武器、兵器を調達できないでいる。;;;;;;;;;;X EVT107980D;ブエノスアイレスの港は常時、2ヶ国にわたる外国軍の警戒下にあり\n海外産の物品はことごとく国内への積み下ろしを拒否されている。\n国民に飢餓が広まり、軍も新しい武器、兵器を調達できないでいる。;;;;;;;;;;X ACT107980A;世界市場に参画できなくなった;;;;;;;;;;X EVT107981D;ブエノスアイレスの港は常時、外国軍の警戒下にあり海外産の物品はことごとく国内への積み下ろしを拒否されている。国民に飢餓が広まり、軍も新しい武器、兵器を調達できないでいる。;;;;;;;;;;X EVT107981D;ブエノスアイレスの港は常時、外国軍の警戒下にあり海外産の物品は\nことごとく国内への積み下ろしを拒否されている。国民に飢餓が広まり、\n軍も新しい武器、兵器を調達できないでいる。;;;;;;;;;;X EVT107982N;ウルグアイでリベラのクーデタ;;;;;;;;;;X EVT107982D;1838年6月、ウルグアイではリベラ率いるコロラド派が、オリベのブランコ\n派軍を撃破した。オリベはブエノスアイレスに亡命し、助けを求めている。\nリベラの政策はブラジル寄りで、しかもこの地域での我々の将来に影を\n投げかけている統一派を、彼は支援しているのだ。;;;;;;;;;;X ACT107982A;リベラを承認しない;;;;;;;;;;X ACT107982B;リベラを承認する;;;;;;;;;;X EVT107983N;フランスとの協定破棄;;;;;;;;;;X EVT107983D;ロサスとフランスの協議の結果、1840年にはリオ・デ・ラプラタ州から海\n軍を撤退させるという合意に至った。しかしこのことによりオリベとアルゼン\nチン国内の共鳴者に対し、モンテビデオが脆弱な状態におかれている。;;;;;;;;;;X ACT107983A;討議しよう;;;;;;;;;;X EVT107984N;オリベへの支援;;;;;;;;;;X EVT107984D;1839年にリベラ大統領は、フランスとアルゼンチン亡命者の支持を受け\nて、アルゼンチンの独裁者であるフアン・マヌエル・デ・ロサスに対して宣\n戦を布告し、ウルグアイから彼の影響を排しようとした。オリベ率いるブラ\nンコ派はアルゼンチンの連邦派と組む一方、リベラ率いるコロラド派は統\n一派の側に立った。統一派はアルゼンチンを中央集権国家としようとす\nる反体制派だったためだ。;;;;;;;;;;X ACT107984A;彼を支援しよう;;;;;;;;;;X ACT107984B;そんな問題は放っておこう;;;;;;;;;;X EVT107985D;ブエノスアイレスの港は常時、ブラジル帝国海軍の警戒下にあり海外産の物品はことごとく国内への積み下ろしを拒否されている。国民に飢餓が広まり、軍も新しい武器弾薬を調達できないでいる。ロサスが海外から必需品や弾薬を得る見込みはなくなった。;;;;;;;;;;X EVT107985D;ブエノスアイレスの港は常時、ブラジル帝国海軍の警戒下にあり海外産\nの物品はことごとく国内への積み下ろしを拒否されている。国民に飢餓\nが広まり、軍も新しい武器弾薬を調達できないでいる。ロサスが海外か\nら必需品や弾薬を得る見込みはなくなった。;;;;;;;;;;X EVT107986N;自由軍;;;;;;;;;;X EVT107986D;ブラジル帝国の軍隊がアルゼンチンに駐留すれば、反ロサスで結集した\n各州がふたたび分裂するおそれがある。そこでウルキサがロサス打倒の\n命を受け、軍を率いることになった。10000人のブラジル軍はウルグアイ\nに予備として控えてもらい、こうした政治的事情からウルキサはこの軍を\n利用できないことになったが、それでも彼の指揮下にはウルグアイ人200\n0人、ブラジル人4000人、アルゼンチン人21000人からなる大部隊が\n集まった。必要があればウルグアイにいる予備軍を輸送できるよう、ブラ\nジル帝国海軍が近辺で待機している。;;;;;;;;;;X ACT107986A;ウルキサ軍はブエノスアイレスの目前にいる;;;;;;;;;;X EVT107987N;カセロスの戦い;;;;;;;;;;X EVT107987D;カセロスの戦いは1852年2月3日に始まったが、昼までには銃声も止み、\n戦闘は終わった。自由軍は敵陣地を制圧し、7000人もの捕虜を捕らえ\nたのだ。しかし軍が敗北した時点でロサスは一部の将校とともに既に脱\n出しており、同日夜にはイギリス船に乗り込んで逃亡した。ロサスがアル\nゼンチンに戻ることはないだろう。そして1852年の2月18日にウルキサは\nブエノスアイレスに入城し、中央政府を掌握した。;;;;;;;;;;X ACT107987A;再出発の時だ;;;;;;;;;;X EVT107988N;ミトレの謀略;;;;;;;;;;X EVT107988D;パラグアイによるコリエンテス占領という挑発的で不正な行動に対し、\nバルトロメ・ミトレは宣戦布告を秘密裏に行うという戦略に打って出\nた。これによりウルキサは、アルゼンチン政府に背く手立てを失った。\n実のところ、ウルキサ以外の全国民、全政治指導者はミトレを\n支持していたのだ。;;;;;;;;;;X ACT107988A;人民はミトレを英雄だと思うだろう!;;;;;;;;;;X EVT107990N;三国同盟の調印;;;;;;;;;;X EVT107990D;1865年5月1日、国際社会の反発を恐れて秘密条約というかたちをと\nったものの、ブエノスアイレスにおいてアルゼンチンとウルグアイは同盟を結\nんだ。終戦ないし休戦をする際には、加盟国全体の合意がなければこ\nれをすることができず、またパラグアイには実際の損害額を賠償金として\n払わせることが定められた。一方ブラジルは、単独で戦争を行い前線に\n立つことを決めた。;;;;;;;;;;X ACT107990A;よし;;;;;;;;;;X EVT107991N;三国同盟の調印;;;;;;;;;;X EVT107991D;1865年5月1日、国際社会の反発を恐れて秘密条約というかたちをと\nったものの、ブエノスアイレスにおいてアルゼンチンとブラジルは同盟を結ん\nだ。終戦ないし休戦をする際には、加盟国全体の合意がなければこれ\nをすることができず、またパラグアイには実際の損害額を賠償金として払\nわせることが定められた。一方ウルグアイは、単独で戦争を行い前線に\n立つことを決めた。;;;;;;;;;;X ACT107991A;よし;;;;;;;;;;X EVT107992N;三国同盟の調印;;;;;;;;;;X EVT107992D;1865年5月1日、国際社会の反発を恐れて秘密条約というかたちをと\nったものの、ブエノスアイレスにおいてアルゼンチンとブラジル、ウルグアイは\n同盟を結んだ。終戦ないし休戦をする際には、加盟国全体の合意が\nなければこれをすることができず、またパラグアイには実際の損害額を賠\n償金として払わせることが定められた。;;;;;;;;;;X ACT107992A;よし;;;;;;;;;;X EVT107993N;戦勝!;;;;;;;;;;X EVT107993D;三国同盟条約に従い、アルゼンチンはパラグアイ川一帯の領土を獲得\nし、戦争賠償金の一部も得られることになった。;;;;;;;;;;X ACT107993A;戦利品だ;;;;;;;;;;X EVT107994N;三国同盟;;;;;;;;;;X EVT107994D;1865年5月1日、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの3ヵ国は、パラグア\nイに対する同盟を結んだ。この同盟はその目的として、ロペスによる独\n裁を止めさせること、パラナ川およびパラグアイ川の自由航行権を保証\nさせること、そしてブラジルが明らかに正当な領有権を有するパラグアイ\n北西部の一帯、ならびにアルゼンチンの領有主張があるパラグアイの東\n西地域を征服すること、の3点が掲げられた。;;;;;;;;;;X ACT107994A;調印しよう;;;;;;;;;;X ACT107994B;単独宣戦だ;;;;;;;;;;X EVT107995N;ソラーノにアルゼンチンが返答;;;;;;;;;;X EVT107995D;ブラジルのリオ・グランデ・ド・スール州およびウルグアイへの侵攻を果たす\nため、ソラーノ・ロペスはミシオネス州についてパラグアイ軍に通行許可を\n求めてきた。;;;;;;;;;;X ACT107995A;拒否しよう;;;;;;;;;;X ACT107995B;譲歩しよう;;;;;;;;;;X EVT107996N;コロラド派のベナンシオ・フローレスへの支援;;;;;;;;;;X EVT107996D;ミトレもドン・ペドロ2世も、ロペスを信用してはいなかった。さらにミトレは\nこの機を利用して改革も行った。ウルグアイでいうところのブランコ派にあ\nたる連邦派の逆賊が目を光らせ、一方でアルゼンチンを単一の国家と\nしてまとめようとする圧力を常に受け続ける、そうした政治体制を取り除\nく良いチャンスだとミトレは考えたのだ。;;;;;;;;;;X ACT107996A;彼を支援しよう;;;;;;;;;;X ACT107996B;考え方を改めねば;;;;;;;;;;X EVT107999N;オリベの救援要請;;;;;;;;;;X EVT107999D;ウルグアイの前大統領であるリベラは、オリベ政権を打倒するための反体\n制運動を始めた。大統領は反乱軍を倒すために援軍を求めてきている。;;;;;;;;;;X ACT107999A;援軍を送ろう;;;;;;;;;;X ACT107999B;どうにもならない;;;;;;;;;;X ####### 107K flavor_Argentina #######;;;;;;;;;;;X,,, EVT107002N;国立銀行の終焉;;;;;;;;;;X EVT107002D;フアン・マヌエル・ロサスは、初代大統領のリバダビアが創設した国立銀行\nについて、各州の「財政主権」を援けるためだとして廃止してしまった。\n国立銀行の貸出金利は6%だったが、しかし間もなく資本家はこの事態\nをいいことに、貸出金利を引き上げてしまった。そうした状況の後、ロサス\nはブエノスアイレス州立銀行を設立することになる。;;;;;;;;;;X ACT107002A;いい案だ;;;;;;;;;;X ACT107002B;だめだ;;;;;;;;;;X EVT107008N;ブエノスアイレス州立銀行の権能喪失;;;;;;;;;;X EVT107008D;設立から長い時間を経て、ブエノスアイレス州立銀行は通常の銀行と\n同じ業務しか扱わなくなってしまった。;;;;;;;;;;X ACT107008A;なんてことだ;;;;;;;;;;X EVT107009N;アンデスを越えて;;;;;;;;;;X EVT107009D;アルゼンチン陸軍のテニエンテ・ルイス・カンデラリアが、飛行機によるアン\nデス横断を成し遂げた。モラーヌ・ソルニエ機を操縦して、アルゼンチンの\nサパラからチリのクンコまで飛行したのだ。;;;;;;;;;;X ACT107009A;OK;;;;;;;;;;X EVT107020N;カンポス・サーレスの訪問;;;;;;;;;;X EVT107020D;ブラジル大統領がブエノスアイレスを訪問し、三日間にわたる歓迎行事\nでもてなされた。アルゼンチンとブラジルが秘密裏に同盟しているのでは\nないかと、チリは疑っている。;;;;;;;;;;X ACT107020A;よし;;;;;;;;;;X EVT107021N;ウルグアイへの新電信線;;;;;;;;;;X EVT107021D;我が国とウルグアイとの間に、新しく電信線が設けられることになった。\n新しい電信線は両国間での通信や、二国間関係にすばらしく貢献\nすることだろう。;;;;;;;;;;X ACT107021A;よし;;;;;;;;;;X ACT107021B;今はだめだ;;;;;;;;;;X EVT107022N;徴兵法;;;;;;;;;;X EVT107022D;チリ軍との果てしない国境紛争を受けて、戦争大臣は陸軍の規模を\n大きくするために徴兵法を認めるよう訴えた。;;;;;;;;;;X ACT107022A;必要な法だ;;;;;;;;;;X ACT107022B;穏当な程度にしよう;;;;;;;;;;X ACT107022C;これ以上兵士はいらない;;;;;;;;;;X EVT107023N;5月条約;;;;;;;;;;X EVT107023D;何十年にもわたる外交衝突を経て、アルゼンチンとチリは5月条約に\n調印した。これによって両国間の国境問題は終わりを迎えたのだ。;;;;;;;;;;X ACT107023A;条約に調印する;;;;;;;;;;X ACT107023B;調印しない;;;;;;;;;;X EVT107024N;イタリアとの外交紛争;;;;;;;;;;X EVT107024D;税関職員がイタリア船から禁制品を発見した。しかしイタリア戦艦の\n水兵らが、密輸業者を奪還してしまったのだ。;;;;;;;;;;X ACT107024A;なぜそんな事を!;;;;;;;;;;X EVT107025N;航空士官学校;;;;;;;;;;X EVT107025D;ロケ・サエンス・ペーニャ大統領が、1912年、航空士官学校(エスクエラ\n・デ・アビアシオン・ミリタル)を設立し、アレナレス・アントニオ・ウリブル大\n佐を初代長官とした。これには、近代空中戦に関する最新の理論を学\nび、実践したいという上層部の意向がつよく表れているといえるだろう。;;;;;;;;;;X ACT107025A;よくやった!;;;;;;;;;;X EVT107026N;科学的大発見;;;;;;;;;;X EVT107026D;ブリュッセルのアルベール・ユスタンと時を同じくして、アルゼンチンでもブエ\nノスアイレスの科学者、ルイス・アゴテが凝血を防ぎつつ輸血をする方法\nを発見した。大まかに言えば、クエン酸ナトリウムを血液に加えることで、\n血液が固まらないようにするという手法だ。この発見により、将来の戦\n争では多くの人命が救われることになるだろう。;;;;;;;;;;X ACT107026A;よくやった!;;;;;;;;;;X EVT107027N;イギリスとの外交紛争;;;;;;;;;;X EVT107027D;アルゼンチンの輸送船が、南大西洋の沿岸でイギリス戦艦に拿捕され\nた。その言い分では、乗客のなかにドイツのスパイがいるのではとのことだ\nった。;;;;;;;;;;X ACT107027A;不幸な事件だ;;;;;;;;;;X EVT107028N;ドイツとの外交紛争;;;;;;;;;;X EVT107028D;ドイツの大臣からの秘密電報がアルゼンチンの諜報機関によって、ブエノ\nスアイレスで発見された。そこでは、アルゼンチン船を痕跡を残さず沈没さ\nせ、我々の政府に対して侮辱的な宣言を発表する旨書かれていた。;;;;;;;;;;X ACT107028A;挑発行為じゃないか!;;;;;;;;;;X EVT107053N;ラプラタ軍旗;;;;;;;;;;X EVT107053D;世界に対し、または国民に対して新しい国家をより的確に表せるよう、\n新しく軍旗を制定してはとの動きが起こっている。伝統的な旗を復活さ\nせようと望む者がある一方、ホセ・デ・サンマルティンのもとスペインからの\n独立戦争を戦ったアンデス軍の旗を採用してはとする声もある。また旗\nを変える必要は無いと主張する者もいる。;;;;;;;;;;X ACT107053A;変える必要はない;;;;;;;;;;X ACT107053B;アンデス軍の旗にしよう;;;;;;;;;;X ACT107053C;伝統的な旗にしよう;;;;;;;;;;X EVT107200N;サルディニア王のアルゼンチン訪問;;;;;;;;;;X EVT107200D;新しく生まれた国家である我がアルゼンチンについて、友好のしるしと\nして遅まきながらサルディニア王がこれを訪問することを決めた。;;;;;;;;;;X ACT107200A;国王を歓迎しよう!;;;;;;;;;;X EVT107201N;サルミエントの帰国;;;;;;;;;;X EVT107201D;アルゼンチンの「教育の父」が帰国することになった。彼はチリの銀鉱で\n働いていたが、教育に人生を捧げるためアルゼンチンに戻ることを決め\nたのだ。彼は現在、サンフアンにいる。;;;;;;;;;;X ACT107201A;サルミエントを歓迎しよう!;;;;;;;;;;X EVT107202N;エチェベリアが5月協会を設立;;;;;;;;;;X EVT107202D;エステバン・エチェベリアが「アソシアシオン・デ・マヨ(5月協会)」を設立し\nた。これは別名を「ホベン・アルヘンティーナ(青年アルゼンチン)」といい、\n詩人でもあった彼はマッツィーニから受けた情熱をその名称に体現させよ\nうとしたのだ。;;;;;;;;;;X ACT107202A;革命万歳!;;;;;;;;;;X EVT107203N;エチェベリアが「社会主義教理」を著す;;;;;;;;;;X EVT107203D;5月協会の創立者でもあるエステバン・エチェベリアは、フアン・バウティス\nタ・アルベルディとの共著というかたちで、アルゼンチンにおいて「社会主\n義教理」を著した。これは生まれたばかりの国家に社会主義という視\n点を持ち込もうとする試みだった。;;;;;;;;;;X ACT107203A;革命万歳!;;;;;;;;;;X EVT107204N;ロサス派による口ひげの強制;;;;;;;;;;X EVT107204D;当時の記録によれば、「素晴らしき指導者フアン・マヌエル・デ・ロサス氏\nは、敵により秩序が脅かされていることを理由に、彼に忠誠を誓う者は\n皆口ひげを生やすべきだと本日付で布告した」。これは当時の情勢をよ\nく表している。この布告により、ロサスに与しない者は一目で分かるよう\nになったためである。;;;;;;;;;;X ACT107204A;連邦万歳!;;;;;;;;;;X EVT107205N;エチェベリアが「エル・マタデーロ」を著す;;;;;;;;;;X EVT107205D;有名作家のエステバン・エチェベリアが新作を発表した。「エル・マタデー\nロ(屠場)」と題されたこの作品は、フアン・マヌエル・デ・ロサス率いる政\n権の近年の動向をよく表している。;;;;;;;;;;X ACT107205A;革命万歳!;;;;;;;;;;X EVT107989N;ミトレが前線を去る;;;;;;;;;;X EVT107989D;1868年1月、バルトロメ・ミトレ将軍はブエノスアイレスに呼び戻され、国\n内政治問題に取り組むことになり、こうして同盟軍の指揮はブラジル帝\n国陸軍のカシアス公の手に移った。;;;;;;;;;;X ACT107989A;国内問題にあたらせる;;;;;;;;;;X ACT107989B;前線で兵士を率いてもらう;;;;;;;;;;X EVT107997N;アルゼンチンのパラグアイ独立承認;;;;;;;;;;X EVT107997D;1852年にロサスが失脚し、アルゼンチン政府はパラグアイの独立を認め\nる条約をロペスと調印した。しかしブエノスアイレスはこれを批准しなかっ\nたのだ。パラグアイの独立を承認することで、パラグアイとの関係が改善\nすることが考えられるが、同時にブラジルとも良い関係が築けるだろう。;;;;;;;;;;X ACT107997A;パラグアイの独立を承認する;;;;;;;;;;X ACT107997B;承認しない;;;;;;;;;;X EVT107998N;アルゼンチンがブラジルに抗議;;;;;;;;;;X EVT107998D;ブラジルがピメンタ・ブエノをパラグアイに送り、その独立を承認したことに\nついて、アルゼンチン政府は1843年にブラジルに対し抗議した。アルゼ\nンチンはパラグアイを自国の一部だと前々から考えていたためだ。しかし\nアルゼンチンでは不幸なことに国内問題が紛糾しており、パラグアイとア\nルゼンチンの関係にブラジルが干渉したことに対し、外交関係を悪化さ\nせつつ抗議する以上のことができなかったのだ。;;;;;;;;;;X ACT107998A;ブラジルに抗議する;;;;;;;;;;X ACT107998B;抗議しない;;;;;;;;;;X