####### 131K BURMA #######;;;;;;;;;;;X EVT_13201_DESC;ラングーンやペグーをイギリスに割譲する破目になったのを受けて、宮廷でクーデタが起こりパガン王は廃位された。そして新王として、西欧との外交関係復旧を望むミンドン王子が擁立されることになった。;;;;;;;;;;X EVT_13201_DESC;ラングーンやペグーをイギリスに割譲する破目になったのを受けて、宮廷\nでクーデターが起こりパガン王は廃位された。そして新王として、西欧と\nの外交関係復旧を望むミンドン王子が擁立されることになった。;;;;;;;;;;X EVT131000N;ターヤーワディー王のヤンダボ条約拒否;;;;;;;;;;X EVT131000D;1837年、ターヤーワディーは兄であるパジードー王を退位させ王位に就くと、\nアラカンとテナセリムの割譲をイギリスに約束したヤンダボ条約の承認を拒否した。\n彼はイギリス王家と直接交渉に臨むため、\nインドから来ていたイギリス人外交官を追放した。;;;;;;;;;;X,, EVT131000D;1837年、ターヤーワディーは兄であるパジードー王を退位させ王位に\n就くと、アラカンとテナセリムの割譲をイギリスに約束したヤンダボ条約の\n承認を拒否した。彼はイギリス王家と直接交渉に臨むため、\nインドから来ていたイギリス人外交官を追放した。;;;;;;;;;;X,, ACT131000A;無効な条約だ!;;;;;;;;;;X,, ACT131000B;不正ではあるが・・・;;;;;;;;;;X,, EVT131001N;アッサム、テナセリム返還要求におけるカルカッタの対案;;;;;;;;;;X,, EVT131001D;イギリス政府は両プロヴィンスに対する宗主権を認めましたが、\n返還の代償として彼らはイギリスに対する隷属を求めてきました!\n受け入れますか?;;;;;;;;;;X, EVT131002N;下ビルマの併合;;;;;;;;;;X,, EVT131002D;イギリス軍はペグーおよびラングーンを奪取し返還を拒否した。\n新王ミンドンは完全な支配を避けるためにもこれを受諾する他はなかった。\nこれにより沿岸から切り離され、\n豊かなチークの森のある収穫高の高い地域が奪われた。;;;;;;;;;;X EVT131003N;新首都マンダレー;;;;;;;;;;X,, EVT131003D;ミンドン王が王位に就くとビルマの黄金時代が始まった。\n王は首都をマンダレーに移し、ここを中心に計画的な開発を行った。\n彼の在位中に建設された王宮と寺院は\nビルマの伝統的な建築技術の精髄である。\n王は他国との友好にも尽力しビルマ人民から篤い尊敬を集めた。;;;;;;;;;;X,, ACT131003;ビルマに栄えあれ;;;;;;;;;;X,, EVT131004N;ミンドン王の政治改革;;;;;;;;;;X,, EVT131004D;ミンドン王は保守派の抵抗を抑え幾多の改革を行った。\n重要な業績としてはタタメダ税(農作物以外への課税)の導入、地租の導入、\n公務員給与の見直しなどがあげられる。;;;;;;;;;;X ACT131004A;改革を執り行おう;;;;;;;;;;X,, ACT131004B;これ以上の改革は必要ない;;;;;;;;;;X,, EVT131005N;ミンドン王の経済改革;;;;;;;;;;X,, EVT131005D;ミンドン王は経済改革にも手腕を振るった。\n彼は硬貨に顔を刻まれた最初の王である。\n彼は地方によって異なっていた度量衡を標準化し、\n道路を整備し電報システムを作り上げた。\nまたヨーロッパから工場機械を輸入し、技師を招聘して\n近代的な工場を整備したことは彼の最大の功績である。;;;;;;;;;;X EVT131006N;第五次仏典結集;;;;;;;;;;X, EVT131006D;ミンドン王は第五次仏典結集(1868-1871)をマンダレーにて執り行った。\n教典の改訂と整理を目的とするものである。\n古いパーリ語の聖典が729の大理石の石版に書き写された。;;;;;;;;;;X, ACT131006A;仏典結集を行おう;;;;;;;;;;X, ACT131006B;やめておこう;;;;;;;;;;X, EVT131007N;ミンドン王の死;;;;;;;;;;X, EVT131007D;1878年ミンドン王は崩御された。人民に深く愛され崇拝を受けた王であった。;;;;;;;;;;X ACT131007;あなたのことを忘れない;;;;;;;;;;X, EVT131008N;イギリス船フォックス号への攻撃;;;;;;;;;;X, EVT131008D;1850年に就任したラングーンの新しい知事により\nイギリス人商人は商売が難しくなった。\n1852年初頭イギリス船フォックス号は報復としてラングーンを封鎖した。;;;;;;;;;;X, ACT131008A;船を攻撃する;;;;;;;;;;X, ACT131008B;知事を辞めさせて関係を修復しよう;;;;;;;;;;X, EVT131009N;カルカッタ、フォックス号に対する賠償を要求;;;;;;;;;;X, EVT131009D;フォックス号の攻撃に対し、カルカッタのイギリス政府は船舶に対する賠償と、\nビルマ政府に対して交易における制限を緩めるよう要求した。;;;;;;;;;;X EVT131010N;ティーボー王の輸出関税要求;;;;;;;;;;X, EVT131010D;1885年8月、ビルマ政府は関税の支払いをしない、\nイギリスのチーク材輸出業者に対して罰金を請求した。;;;;;;;;;;X, ACT131010A;関税を無視する企業が罰金を受けるのは当然だ;;;;;;;;;;X, ACT131010B;見なかったことにしよう;;;;;;;;;;X, EVT131011N;イギリス、ティーボー王に最後通告;;;;;;;;;;X, EVT131011D;ティーボー王の怒りに満ちた訴えに対して、イギリスは最後通告を返した。\nイギリスの傀儡国になるか、しからずんば戦争かだ。;;;;;;;;;;X EVT131012N;イギリス植民者のビルマにおける関税論争;;;;;;;;;;X, EVT131012D;マンダレーとの関係を修復するためイギリス政府は、\nチーク材の輸出に対して正当な関税を支払うことを決めた。;;;;;;;;;;X