[[VIP-157K ENGLAND NORMAL]]
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 ####### 以下、ハードコード分切り出し #######;;;;;;;;;;;X
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 ACT28014A;よろしい;;;;;;;;;;X
 ACT28015A;よろしい;;;;;;;;;;X
 EVT157000N;英領インドの崩壊;;;;;;;;;;X
 EVT157000D;インドのイギリス統治が崩壊するのなら、王室の宝石として\nイギリスのインド支配を保つために直接介入せざるを得ない。;;;;;;;;;;X
 ACT157000A;インドのおけるイギリスの直轄支配を確立する;;;;;;;;;;X
 EVT157001N;沿岸州 - イギリスの反応;;;;;;;;;;X
 EVT157001D;;ニューイングランドは、ニューブランズウィックとノヴァスコシアを\n帝国から誘い出そうとしている!どうするべきだろうか!?;;;;;;;;;X
 ACT157001A;抗議し、断固たる措置をとる!;;;;;;;;;;X
 ACT157001B;そんなことは認めない!;;;;;;;;;;X
 ACT157001C;好きなようにさせよう;;;;;;;;;;X
 EVT157004N;アイルランド併合法撤廃協会;;;;;;;;;;X
 EVT157004D;アイルランドの下院議員ダニエル・オコンネルは、アイルランドの民族主\n義を純粋に生来のイデオロギーに向けようと試みた。議員選挙での当\n選に続き、オコンネルはアイルランド併合法の合法的な終結と、アイルラ\nンド議会の創設を求めてリピール(撤廃)協会を設立した。;;;;;;;;;;X
 ACT157004A;不愉快な武骨者め;;;;;;;;;;X
 EVT157005N;「ネーション」が創刊;;;;;;;;;;X
 EVT157005D;「ネーション」はアイルランドにおける最初のアイルランド民族主義雑誌\nである。編集者と創刊者は、当初はダニエル・オコンネルを支援していた\nが、後にアイルランド民族主義のための更なる急進的な方法を求め、\n対立することになる。;;;;;;;;;;X
 ACT157005A;なんと奇妙な;;;;;;;;;;X
 EVT157006N;青年アイルランド運動;;;;;;;;;;X
 EVT157006D;オコンネルの元信奉者が、更に戦闘的になったとき、彼らは「ネーション」\nの編集者と創刊者の信奉者となった。その中にチャールズ・ガヴィン・\nダフィーやトーマス・デイビスもいた。彼らは後にアイルランド史に重要な\n役割を果たす協会を組織し始めることになる。;;;;;;;;;;X
 ACT157006A;それらを見守らなければならないだろう;;;;;;;;;;X
 EVT157007N;カナダでのジャガイモの疫病;;;;;;;;;;X
 EVT157007D;アメリカ東部で発生した胴枯れ病は、厳しい損害をもたらし、カナダにも\n伝播した。 胴枯れ病は急速に広まったものの、北アメリカに留まると考\nえられた。;;;;;;;;;;X
 ACT157007A;たいしたことではない;;;;;;;;;;X
 EVT157008N;アイルランドの濡れた年;;;;;;;;;;X
 EVT157008D;1845年の夏のアイルランドは非常にじめじめして雨が多かった。\n畑と作物は夏を通して小氾濫まで濡れたままだった。;;;;;;;;;;X
 ACT157008A;恐ろしく酷い天気だ;;;;;;;;;;X
 EVT157009N;イングランド南東部の胴枯れ病;;;;;;;;;;X
 EVT157009D;1842年、カナダで胴枯れ病が発生し、それは今やイングランド南東部\nに現れた。 これがカナダ、米国から持ち込まれた感染したジャガイモが\n原因であるか、それとも他の経路で伝わったのかは判然としない。損害\nは軽微なものだ。;;;;;;;;;;X
 ACT157009A;なんたる不運;;;;;;;;;;X
 EVT157010N;胴枯れ病がアイルランドに波及;;;;;;;;;;X
 EVT157010D;イギリスでの発生により、いまやジャガイモ胴枯れ病はアイルランドにも流行\nした。ベルギーおよびドイツ諸邦の凶作とともに、アイルランドのみならず\n大陸の作物も同様に影響を受けた。;;;;;;;;;;X
 ACT157010A;不運だが酷いものではない ;;;;;;;;;;X
 EVT157011N;ピール委員会;;;;;;;;;;X
 EVT157011D;最初の凶作がアイルランドに発生すると、イギリスの首相、ロバート・ピー\nル卿は、胴枯れ病を調査するために科学者と農業専門家からなる委\n員会を発足させた。;;;;;;;;;;X
 ACT157011A;委員会を発足させよう;;;;;;;;;;X
 ACT157011B;彼らは不要だ;;;;;;;;;;X
 EVT157012N;ピールの支援 (パート I);;;;;;;;;;X
 EVT157012D;イギリスの首相、ロバート・ピール卿はアイルランドの惨状を緩和しようと\n試みた。だが、問題の情勢悪化の規模についての無知と、対処の誤り\nのためにこの試みは効果がないと判明した。;;;;;;;;;;X
 ACT157012A;手を打たねばならない;;;;;;;;;;X
 ACT157012B;状況はさほど重大ではない;;;;;;;;;;X
 EVT157013N;アイルランドの凶作と飢饉を取り除こう;;;;;;;;;;X
 EVT157013D;胴枯れ病は1846年に再び帰ってきた。全土の作物は台無しにされ、\nほとんどの農民が破産し、失業者と飢餓が溢れかえった。もはやアイル\nランドの移民は歴史的な規模に達していた。;;;;;;;;;;X
 ACT157013A;なんと恐ろしい;;;;;;;;;;X
 EVT157014N;アイルランドの1846-47年の冬;;;;;;;;;;X
 EVT157014D;これまでになく、1846-47の冬はアイルランドの最も厳しいもののひとつ\nだった。 秋のじゃがいも飢饉の災いに加え低温、乏しい雨量、記録的\n豪雪、死亡率はかなり上昇した。そして、移住率は今までより更に高く\n上昇した。;;;;;;;;;;X
 ACT157014A;なんと酷い;;;;;;;;;;X
 EVT157015N;ピールの支援 (パート II);;;;;;;;;;X
 EVT157015D;アイルランドの情勢は悪化していた。イギリスの首相、ロバート・ピール卿\nはワークハウスの数を増やし、フードキッチンへの補助金を出す法律を可\n決させる措置をとった。しかし、この経費はアイルランドの負担となり、そ\nれは破産に近い状態だった。;;;;;;;;;;X
 ACT157015A;出来るだけのことをしよう;;;;;;;;;;X
 ACT157015B;それはアイルランド内部の問題だ;;;;;;;;;;X
 EVT157016N;暗黒の47年 - 胴枯れ病の再来;;;;;;;;;;X
 EVT157016D;1847年のジャガイモ収穫は、胴枯れ病によって再び台無しとなった。\n1846年の完全な凶作の次の冬、実際の耕作者の数は、この数世紀間\nで類を見ない水準まで減少した。作物の不作と相まって、食料を供給\nすることができず、アイルランドの状況はさらに悪化した。;;;;;;;;;;X
 ACT157016A;これは神の意志に違いない;;;;;;;;;;X
 EVT157017N;ピール委員会の調査結果;;;;;;;;;;X
 EVT157017D;1846年前半に発足した、ピール委員会は今日、調査結果を発表した。\n 集合している当局筋は、委員会が胴枯れ病のどんな決定的な原因も\n血統も見つけることができないと確信していた。 また、委員会は胴枯れ病\nと戦う少しの方法も発見することができなかった。;;;;;;;;;;X
 ACT157017A;少なくとも努力はしたのだ;;;;;;;;;;X
 EVT157018N;1848年のアイルランドの凶作;;;;;;;;;;X
 EVT157018D;再びジャガイモは胴枯病により厳しい打撃を受けた。前の凶作ほど酷く\nは無いが、1848年の凶作は三年も過酷な状況が続き、アイルランドの\n人口はおよそ950万人から600万人弱まで減少した。;;;;;;;;;;X
 ACT157018A;これはどれ程長く続くのだろう;;;;;;;;;;X
 EVT157019N;青年アイルランド党の蜂起;;;;;;;;;;X
 EVT157019D;飢饉と失業の次の年、アイルランドの国家主義者(トーマス・デイヴィスや\nチャールズ・ダフィーなど)はイギリスとアイルランドの関係を終わらせ\nようとしていた。 ロバート・ピールによって下手に弄り回された援助の\n試みに加えて、アイルランドの勤労大衆の公民権剥奪に乗じ、アイルランド\n南部で蜂起が始まった。青年アイルランド党はイギリス当局に浸透され、\n蜂起は速やかに鎮圧された。;;;;;;;;;;X
 ACT157019A;忌まわしいアイルランド人め!;;;;;;;;;;X
 EVT157020N;アイルランド共和同盟(IRB)の設立 (ダブリン);;;;;;;;;;X
 EVT157020D;1858年までには、アメリカ市民の内 - これらの「飢饉アイルランド人」の\n多数 - アイルランド・カトリックの人口がおよそ100万人に上った、青年\nアイルランド運動の亡命した指導者達はアイルランド独立の夢の支援\n者を発見した。1858年、アイルランド共和同盟(IRB)が結成された。;;;;;;;;;;X
 ACT157020A;さらに厄介な企てだ;;;;;;;;;;X
 EVT157021N;フェニアン団の蜂起 1867年;;;;;;;;;;X
 EVT157021D;何年もの扇動と組織化の後に、フェニアン団の運動はイギリスに対する新しい反乱に着手した。1867年の結果は、前の蜂起と良く似ていた - それはすぐに終わってしまった。通報者、そして粗悪な計画が一因となり、アイルランドにおけるもう一つの反乱失敗となった。;;;;;;;;;;X
 ACT157021A;忌まわしいアイルランド人め!;;;;;;;;;;X
 EVT157024N;ホンジュラスは全て支払う;;;;;;;;;;X
 EVT157024D;ホンジュラスは道理を解し、過去の負債の補償として\n1,200ペソ支払う。これなら許容できよう。;;;;;;;;;;X
 ACT157024A;これより少ないものは予想だにしなかった。;;;;;;;;;;X
 EVT157025N;タラワディが条約を拒絶;;;;;;;;;;X
 EVT157025D;新しい王タラワディは、イギリスがヤンダボ条約で獲得した領土の返還を\n要求し、イギリスの外交官を追放した。これらの非文明国は、どうしてイ\nギリスを脅す事ができると思うのか?;;;;;;;;;;X
 ACT157025A;警告する;;;;;;;;;;X
 ACT157025B;衛星国となるなら返してやろう;;;;;;;;;;X
 ACT157025C;これは戦争を意味する;;;;;;;;;;X
 EVT157028N;オーストラリアの自衛!;;;;;;;;;;X
 EVT157028D;1870年にヴィクトリア女王はオーストラリア植民地による現地軍の創設を\n認可した。これは植民地におけるイギリスの軍事占領の終結をもたらした。;;;;;;;;;;X
 ACT157028A;署名する;;;;;;;;;;X
 ACT157028B;署名しない;;;;;;;;;;X
 EVT157029N;ヘンリー・パークス卿;;;;;;;;;;X
 EVT157029D;ヘンリー・パークス卿はオーストラリア独立の強力な支持者だった。\n1889年、彼は植民地の連邦化と独立について遊説を始めた。;;;;;;;;;;X
 ACT157029A;ヘンリー・パークス卿に演説させよう;;;;;;;;;;X
 ACT157029B;反逆者は絞首刑だ!;;;;;;;;;;X
 EVT157030N;ヴィクトリア女王への陳情!;;;;;;;;;;X
 EVT157030D;すべての州が憲法草案に同意した後、オーストラリア植民地は1898年\nに独立のための陳情をヴィクトリア女王に送った。 これはオーストラリア\n連邦の完全な国民投票への道を開いた。;;;;;;;;;;
 ACT157030A;署名する;;;;;;;;;;X
 ACT157030B;署名しない;;;;;;;;;;X
 EVT157031N;オーストラリア連邦国民投票!;;;;;;;;;;X
 EVT157031D;1895年と1900年の間に、オーストラリアの植民地において、ニューサウ\nスウェールズとヴィクトリアへの合流を希望するかどうか確認するため、多\nくの国民投票が行われた。最後の植民地は、1900年前半に「イエス」と\n投票した。;;;;;;;;;;X
 ACT157031A;オーストラリア人は「イエス」に投票する!;;;;;;;;;;X
 EVT157033N;ユーレカの反乱!;;;;;;;;;;X
 EVT157033D;1854年、ヴィクトリアの採金者は不公正な採掘税のためにイギリスに反逆\nした。イギリスは勝利したが、イギリスの議会によって、より公正な税制が\n可決された。;;;;;;;;;;X
 ACT157033A;妥協しよう!;;;;;;;;;;X
 ACT157033B;税を維持する!;;;;;;;;;;X
 ACT157033C;坑夫の税を撤廃する!;;;;;;;;;;X
 EVT157034N;イギリスはオーストラリアの帰順を求める!;;;;;;;;;;X
 EVT157034D;独立宣言後、イギリスは、オーストラリアの領土を取り戻すために戦うか\n、あるがままにしておくか、決めなければならなくなった。;;;;;;;;;;X
 ACT157034A;これは戦争を意味する!;;;;;;;;;;X
 ACT157034B;イギリスの関心は他にある;;;;;;;;;;X
 EVT157035N;タスマニアが反逆!;;;;;;;;;;X
 EVT157035D;タスマニア植民地は、イギリスに背きオーストラリアに加わると票決した!;;;;;;;;;;X
 EVT157036N;ニューサウスウェールズが反逆!;;;;;;;;;;X
 EVT157036D;ニューサウスウェールズ植民地は、イギリスに背きオーストラリアに加わると\n票決した!;;;;;;;;;;X
 EVT157037N;クイーンズランドが反逆!;;;;;;;;;;X
 EVT157037D;クイーンズランド植民地は、イギリスに背きオーストラリアに加わると\n票決した!;;;;;;;;;;X
 EVT157038N;南オーストラリアが反逆!;;;;;;;;;;X
 EVT157038D;南オーストラリア植民地は、イギリスに背きオーストラリアに加わると\n票決した!;;;;;;;;;;X
 EVT157039N;ノーザンテリトリーが反逆!;;;;;;;;;;X
 EVT157039D;ノーザンテリトリー植民地は、イギリスに背きオーストラリアに加わると\n票決した!;;;;;;;;;;X
 EVT157040N;西オーストラリアが反逆!;;;;;;;;;;X
 EVT157040D;西オーストラリア植民地は、イギリスに背きオーストラリアに加わると\n票決した!;;;;;;;;;;X
 EVT157041N;シドニー流刑;;;;;;;;;;X
 EVT157041D;1840年代までには、オーストラリアの植民地で大規模な反流刑運動が\n形成されていた。 諸問題の中で、独立しているオーストラリアに関する\n感情を逆撫でする主要なものだった。;;;;;;;;;;X
 ACT157041A;流刑を止める;;;;;;;;;;X
 ACT157041B;流刑を続ける;;;;;;;;;;X
 EVT157042N;メルボルン流刑;;;;;;;;;;X
 EVT157042D;1840年代までには、オーストラリアの植民地で大規模な反流刑運動が\n形成されていた。 諸問題の中で、独立しているオーストラリアに関する\n感情を逆撫でする主要なものだった。;;;;;;;;;;X
 ACT157042A;流刑を止める;;;;;;;;;;X
 ACT157042B;流刑を続ける;;;;;;;;;;X
 EVT157043N;ホーバート流刑;;;;;;;;;;X
 EVT157043D;1840年代までには、オーストラリアの植民地で大規模な反流刑運動が\n形成されていた。 諸問題の中で、独立しているオーストラリアに関する\n感情を逆撫でする主要なものだった。;;;;;;;;;;X
 ACT157043A;流刑を止める;;;;;;;;;;X
 ACT157043B;流刑を続ける;;;;;;;;;;X
 EVT157044N;ブリスベン流刑;;;;;;;;;;X
 EVT157044D;1840年代までには、オーストラリアの植民地で大規模な反流刑運動が\n形成されていた。 諸問題の中で、独立しているオーストラリアに関する\n感情を逆撫でする主要なものだった。;;;;;;;;;;X
 ACT157044A;流刑を止める;;;;;;;;;;X
 ACT157044B;流刑を続ける;;;;;;;;;;X
 EVT157045N;ダーウィン流刑;;;;;;;;;;X
 EVT157045D;1840年代までには、オーストラリアの植民地で大規模な反流刑運動が\n形成されていた。 諸問題の中で、独立しているオーストラリアに関する\n感情を逆撫でする主要なものだった。;;;;;;;;;;X
 ACT157045A;流刑を止める;;;;;;;;;;X
 ACT157045B;流刑を続ける;;;;;;;;;;X
 EVT157046N;アデレード流刑;;;;;;;;;;X
 EVT157046D;1840年代までには、オーストラリアの植民地で大規模な反流刑運動が\n形成されていた。 諸問題の中で、独立しているオーストラリアに関する\n感情を逆撫でする主要なものだった。;;;;;;;;;;X
 ACT157046A;流刑を止める;;;;;;;;;;X
 ACT157046B;流刑を続ける;;;;;;;;;;X
 EVT157047N;パース流刑;;;;;;;;;;X
 EVT157047D;1840年代までには、オーストラリアの植民地で大規模な反流刑運動が\n形成されていた。 諸問題の中で、独立しているオーストラリアに関する\n感情を逆撫でする主要なものだった。;;;;;;;;;;X
 ACT157047A;流刑を止める;;;;;;;;;;X
 ACT157047B;流刑を続ける;;;;;;;;;;X
 EVT157054N;南京条約;;;;;;;;;;X
 EVT157054D;エリオットは川鼻条約の後、清からより良い条件を引き出すよう命令を\n受けた。女王陛下の軍隊は、清の海岸に沿いのいくつかの港を封鎖し\n陣地を確保した。南京が落ちた後、清の皇帝は条件の交渉に同意し\n、数ヶ月以内に批准された。;;;;;;;;;;X
 ACT157054A;ブリタニアは海を支配する;;;;;;;;;;X
 EVT157055N;最初の支払いを履行;;;;;;;;;;X
 EVT157055D;南京条約の条項により、清は戦争の為の費用をイギリス商人とイギリス\n政府に賠償することとされ、合計2100万ドルが4回の分割払いで支払\nわれることになった。イギリスは賠償を全て受け取るまで条約港を占領し\n続けるだろう。;;;;;;;;;;X
 ACT157055A;イギリスは条約の履行まで留まるつもりだ;;;;;;;;;;X
 EVT157056N;清が支払いを拒否;;;;;;;;;;X
 EVT157056D;南京条約の条項により、清は戦争の為の費用をイギリス商人とイギリス\n政府に賠償することとされ、合計2100万ドルが4回の分割払いで支払\nわれることになった。イギリスは賠償を全て受け取るまで条約港を占領し\n続けるだろう。;;;;;;;;;;X
 ACT157056A;イギリスは力づくで奪い取るだろう;;;;;;;;;;X
 ACT157056B;条約港を保持するだけで良い;;;;;;;;;;X
 ACT157056C;清に時間を使う値打ちはない;;;;;;;;;;X
 EVT157057N;清が二回目の支払いを履行;;;;;;;;;;X
 EVT157057D;これは南京条約に基づく二回目の支払いだ。;;;;;;;;;;X
 ACT157057A;イギリスは条約の履行まで留まるつもりだ;;;;;;;;;;X
 EVT157058N;清が三回目の支払いを履行;;;;;;;;;;X
 EVT157058D;これは南京条約に基づく三回目の支払いだ。;;;;;;;;;;X
 ACT157058A;イギリスは条約の履行まで留まるつもりだ;;;;;;;;;;X
 EVT157059N;清が最後の支払いを履行;;;;;;;;;;X
 EVT157059D;清は南京条約における全ての賠償を履行した。;;;;;;;;;;X
 ACT157059A;イギリスは条約の履行まで留まるつもりだ;;;;;;;;;;X
 EVT157060N;清が支払いを拒否;;;;;;;;;;X
 EVT157060D;南京条約の条項により、清は戦争の為の費用をイギリス商人とイギリス\n政府に賠償することとされ、合計2100万ドルが4回の分割払いで支払\nわれることになった。イギリスは賠償を全て受け取るまで条約港を占領し\n続けるだろう。;;;;;;;;;;X
 ACT157060A;イギリスは力づくで奪い取るだろう;;;;;;;;;;X
 ACT157060B;条約港を保持するだけで良い;;;;;;;;;;X
 ACT157060C;清に時間を使う値打ちはない;;;;;;;;;;X
 EVT157061N;イタリアがイギリスの許可を求める;;;;;;;;;;X
 EVT157061D;オスマン帝国は日に日に衰え、その敵は全方面に存在していた。当時、\nヨーロッパの新興国であったイタリアは、十分な植民地獲得を達成でき\nていなかった。イタリアは北アフリカに目先を変えた。そこは激震に揺\nれるオスマン帝国の最後の砦であった。これはイタリアにとっての絶好\nの機会であったが、彼らは列強の支援を必要としていた;;;;;;;;;;X
 ACT157061A;イタリアを支持しよう;;;;;;;;;;X
 ACT157061B;そんなことは容認できん;;;;;;;;;;X
 EVT157062N;ユカタン州が「領有権と主権」を提供;;;;;;;;;;X
 EVT157062D;カスタ戦争の勃発後、死に物狂いのユカタン州政府は、イギリスに\n交渉を持ちかけ、半島における「領有権と主権」の委譲を見返りとして、\nマヤ族の反乱への介入を求めた。;;;;;;;;;;X
 ACT157062A;解決してやろう;;;;;;;;;;X
 ACT157062B;メキシコ人に解決させよう;;;;;;;;;;X
 EVT157063N;フヴァの海賊行為がイギリスの貿易を脅かしている;;;;;;;;;;X
 EVT157063D;マダガスカル東部のフヴァは、マダガスカル北部における英仏の貿易を襲\n撃行為の為の潜在的金鉱と見ており、1845年までに、フヴァ問題は、\n手を打つことが緊急かつ必須の問題となっていた。;;;;;;;;;;X
 ACT157063A;討伐に加わるようフランスに要請する;;;;;;;;;;X
 ACT157063B;単独でできるだろう;;;;;;;;;;X
 EVT157064N;フヴァに対する任務が行き詰る;;;;;;;;;;X
 EVT157064D;フヴァの海賊行為を鎮圧する任務は手酷い失敗に終わり、\nマダガスカル女王による対外貿易の閉鎖に繋がった。;;;;;;;;;;X
 ACT157064A;ちくしょう!;;;;;;;;;;X
 EVT157065N;マダガスカルとの貿易協定;;;;;;;;;;X
 EVT157065D;1845年以降、イギリス商人はマダガスカルとの貿易を禁じられた。 \n1853年、イギリス政府は貿易再開を交渉することが商業的利益に\n適うと確信した。 女王ラナヴァロナ一世は、1845年に引き起こした\n損害について賠償することを要求した。;;;;;;;;;;X
 ACT157065A;賠償金を払おう;;;;;;;;;;X
 EVT157066N;マダガスカルとの貿易協定;;;;;;;;;;X
 EVT157066D;1845年以降、イギリス商人はマダガスカルとの貿易を禁じられた。\n 1853年、イギリス政府は貿易再開を交渉することが商業的利益に\n適うと確信した。 女王ラナヴァロナ一世は、1845年に引き起こした\n損害について賠償することを要求した。;;;;;;;;;;X
 ACT157066A;賠償金を払おう;;;;;;;;;;X
 EVT157067N;イギリスはオスマン帝国の為の外交的支援と引き換えに自由貿易を要求する;;;;;;;;;;X
 EVT157067D;1838年、東地中海で緊張が高まると、オスマン帝国はムハンマド・アリー\nの姿勢に対抗し、大きな支援を求めた。一方、イギリスはオスマン帝国\nの災いに支援することに対し、代償を望んでいた。;;;;;;;;;;X
 ACT157067A;貿易協定と引き換えに支援を提供しよう;;;;;;;;;;X
 ACT157067B;オスマン帝国の提案を拒絶;;;;;;;;;;X
 EVT157068N;バルタ=リマヌ会議;;;;;;;;;;X
 EVT157068D;恐るべきロシアの支配と、ムハンマド・アリーの野心の狭間にあって、オス\nマン帝国はイギリスの外交的支援を受ける為に会議を開いた。イギリス\nの外交的支援と引き換えに、オスマン帝国にはイギリスとの自由貿易を\n採用することが課せられた。1838年8月、バルタ=リマヌ条約が署名さ\nれる結果となった。;;;;;;;;;;X
 ACT157068A;条約に署名する;;;;;;;;;;X
 ACT157068B;取引を拒絶する;;;;;;;;;;X
 EVT157069N;第二次エジプト=トルコ戦争におけるヨーロッパ諸国の介入;;;;;;;;;;X
 EVT157069D;オスマン帝国がパレスチナにおいて迅速にシリアまで至ったことから、\n列強は権益を度外視し、どちらか一方に完全な勝利を与えることを\n防ぐため介入を決定した。;;;;;;;;;;X
 ACT157069A;両者に解決のへの圧力をかける為、ヨーロッパの支援を取りつけよう;;;;;;;;;;X
 ACT157069B;オスマンにエジプトを撃破させよう;;;;;;;;;;X
 EVT157070N;第二次エジプト=トルコ戦争にフランスが直接介入;;;;;;;;;;X
 EVT157070D;エジプトのアリーが崩壊しかねないことを恐れ、フランスはオスマンと\nムハンマド・アリーの間に軍事的な介入を行った。;;;;;;;;;;X
 ACT157070A;東地中海におけるフランスの覇権を阻止しなければならない;;;;;;;;;;X
 ACT157070B;これはイギリスの戦争ではない;;;;;;;;;;X
 EVT157071N;第二次エジプト=トルコ戦争におけるヨーロッパ諸国の介入;;;;;;;;;;X
 EVT157071D;エジプトが迅速にオスマン帝国領を突き進んだため、列強は権益を\n度外視し、どちらか一方に完全な勝利を与えることを防ぐため\n介入を決定した。;;;;;;;;;;X
 ACT157071A;両者に解決のへの圧力をかける為、ヨーロッパの支援を取りつけよう;;;;;;;;;;X
 ACT157071B;エジプトの征服からオスマンを守るため、介入しよう;;;;;;;;;;X
 ACT157071C;エジプト人にオスマンを撃破させよう;;;;;;;;;;X
 EVT157072N;列強諸国が第二次エジプト=トルコ戦争の調停を提案する;;;;;;;;;;X
 EVT157072D;他の列強諸国からの外交的支持を獲得し、\nイギリスは対立を解消する準備をした。;;;;;;;;;;X
 ACT157072A;両者に対し、列強の仲裁を受け入れるよう要請する;;;;;;;;;;X
 EVT157073N;第二次エジプト=トルコ戦争を調停する最初の試み;;;;;;;;;;X
 EVT157073D;両者は妥協を容認しており、列強諸国は和解案を提示した。\nムハンマド・アリーはシリアから撤退する見返りに、\nオスマン帝国からエジプトの世襲支配権を獲得することとなった。;;;;;;;;;;X
 ACT157073A;取引を提示しよう;;;;;;;;;;X
 EVT157074N;ムハンマド・アリーと列強諸国の間の最終的決着;;;;;;;;;;X
 EVT157074D;長期間にわたる交渉の末、列強諸国の忍耐は限界に達した。\nイギリスはムハンマド・アリーに対し、以前より懲罰的な解決を\n受け入れることを要求した。;;;;;;;;;;X
 ACT157074A;列強の支援を受けて、この事態を解決しよう;;;;;;;;;;X
 EVT157075N;ムハンマド・アリーに対するイギリスの最後通牒;;;;;;;;;;X
 EVT157075D;ムハンマド・アリーが妥協案を拒絶すると、列強諸国は最後通牒を\n提示すると決めた。世襲支配と引き換えに、シリア、ヘジャズ、キプロス、\nおよびクレタをオスマン帝国に返還するか、成り行きに直面するようにと。;;;;;;;;;;X
 ACT157075A;ムハンマド・アリーに最後通牒を送る;;;;;;;;;;X
 EVT157076N;ムハンマド・アリーが最後通牒を拒絶;;;;;;;;;;X
 EVT157076D;ムハンマド・アリーは、危機を終わらせるためのイギリスの条件を、公然と\n拒絶している。ムハンマド・アリーに条件を受け入れさせるため、戦争を\nもって圧力をかけよう。;;;;;;;;;;X
 ACT157076A;警告を発しろ!;;;;;;;;;;X
 EVT157090N;「ヴァージニア号」事件;;;;;;;;;;X
 EVT157090D;スペインは海賊船「ヴァージニア号」を拿捕し、船長と幾人かの乗組員\nを処刑した。スペインは乗組員数名を拘束しており、この中にはイギリス\n市民が何人か含まれている。;;;;;;;;;;X
 ACT157090A;抗議する;;;;;;;;;;X
 ACT157090B;干渉しないでおこう;;;;;;;;;;X
 ACT157094A;条約を受け入れ、清帝国の税関事務局を支配しよう;;;;;;;;;;X
 ACT157094B;清は充分に処罰されていない;;;;;;;;;;X
 EVT157100N;イギリス−グアテマラ会議;;;;;;;;;;X
 EVT157100D;グアテマラの保守政権はイギリス領ホンジュラスの地位について条約をせ\nがんでいる。イギリスの保護国の国境を明確にするか、グアテマラがこれ\nに飽きるまで無視するか、全土をグアテマラに売却するか、イギリス政府\nは熟慮して返答しなければならない。;;;;;;;;;;X
 ACT157100A;国境会議を提示しよう;;;;;;;;;;X
 ACT157100B;グアテマラには苛立たされる - 問題を無視しよう;;;;;;;;;;X
 ACT157100C;手を洗おう - イギリス領ホンジュラスの売却を提案しよう;;;;;;;;;;X
 EVT157101N;条約へのイギリスの反応;;;;;;;;;;X
 EVT157101D;正式な運河条約の批准に伴うニカラグアへのアメリカ商人の投資は、この\n領域での経済的影響に打撃を受けたイギリス政府を大いに怒らせた。\nイギリス政府は条約に抗議し、アメリカ人に妥協させるため、大きな圧力\nがかけられた。;;;;;;;;;;X
 ACT157101A;抗議しよう - アメリカの拡大に対抗する;;;;;;;;;;X
 ACT157101B;そんなに急ぐことはない;;;;;;;;;;X
 EVT157102N;モスキート海岸;;;;;;;;;;X
 EVT157102D;1860年には、ニカラグアはモスキート海岸の問題の解決のため圧力を\nかけていた。何10年間もニカラグアによって望まれており、この長い沿岸\nの領土は国益のために必要であると考えられた。 イギリスはモスキート\n海岸をニカラグアに割譲する妥協を検討し、自治州とするとしたものの、\n領土を譲渡することは不本意であった。;;;;;;;;;;X
 ACT157102A;モスキート王国万歳!;;;;;;;;;;X
 ACT157102B;これは渡さない;;;;;;;;;;X
 EVT157103N;モスキート海岸;;;;;;;;;;X
 EVT157103D;1860年には、中央アメリカ連邦はモスキートコーストの問題の解決のた\nめ圧力をかけていた。何10年間も中央アメリカ連邦によって望まれてお\nり、この長い沿岸の領土は国益のために必要であると考えられた。 イギ\nリスは、ついにモスキートコーストを中央アメリカ連邦に売却しようと考え\nたものの、領土を譲渡することは不本意であった。;;;;;;;;;;X
 ACT157103A;売却を提案しよう;;;;;;;;;;X
 ACT157103B;保持する;;;;;;;;;;X
 EVT157104N;中央アメリカ連邦がモスキート海岸を購入;;;;;;;;;;X
 EVT157104D;中央アメリカ連邦は、モスキート海岸を売却するというイギリスの提案を\n喜んで受け入れ、この領域における緊張は解消された。;;;;;;;;;;X
 ACT157104A;よろしい;;;;;;;;;;X
 EVT157105N;アメリカがテキサスを併合;;;;;;;;;;X
 EVT157105D;イギリスはアメリカ合衆国によるテキサスの併合に反対し、これを阻止す\nる為に武力行使の熟考まで行った。大英帝国にテキサスを加えたがっ\nていたわけではないが、アメリカ合衆国の西方への拡大の阻止を図り、\nテキサス貿易から商業的利益を獲得し、さらにはアメリカの関税や奴隷\n制度に干渉しようとしていた。;;;;;;;;;;X
 ACT157105A;甘く見てはいかん;;;;;;;;;;X
 ACT157105B;宣戦布告だ;;;;;;;;;;X
 EVT157106N;アルタ・カリフォルニアの売却;;;;;;;;;;X
 EVT157106D;メキシコとアメリカ合衆国の間で戦争が勃発した後、イギリスが介入する\nという条件で、メキシコはイギリスに北アメリカの残りの領土を売却すると\n申し出た。;;;;;;;;;;X
 ACT157106A;メキシコはアメリカにテキサスを委ねるべきだった;;;;;;;;;;X
 ACT157106B;提案を受け入れよう;;;;;;;;;;X
 EVT157107N;イギリス領ホンジュラスの売却;;;;;;;;;;X
 EVT157107D;グアテマラがイギリス領ホンジュラス売却の申し出を受け入れた。;;;;;;;;;;X
 ACT157107A;喜ばしい結果だ;;;;;;;;;;X
 EVT157110N;ダラム報告;;;;;;;;;;X
 EVT157110D;ジョン・ジョージ・ラムトンとダラム伯爵は、アッパーとロワーの両カナダを\n一つの議会のもとで統合することを勧告する報告書を作成した。;;;;;;;;;;X
 ACT157110A;感謝の意を持って報告書を採用する;;;;;;;;;;X
 ACT157110B;報告書を却下する;;;;;;;;;;X
 EVT157111N;連邦法;;;;;;;;;;X
 EVT157111D;アッパーとロワーの両カナダを中央政府のもとに統合するための連邦法\nを準備した。この領域はカナダ東部とカナダ西部として知られている。;;;;;;;;;;X
 ACT157111A;この法に署名する;;;;;;;;;;X
 ACT157111B;この法には署名しない;;;;;;;;;;X
 EVT157114N;アメリカ合衆国からのフェニアン団の襲撃;;;;;;;;;;X
 EVT157114D;アイルランド独立を支持する活動を行っているアイルランドの兵士\n(最近アメリカ合衆国の軍から集められた)の組織は\nイギリス領北アメリカで民兵と衝突した。;;;;;;;;;;X
 ACT157114A;了解;;;;;;;;;;X
 EVT157115N;カナダ連邦;;;;;;;;;;X
 EVT157115D;カナダ東部、カナダ西部、ニューブランズウィック、およびノヴァスコシアから\nの代表は、新しいカナダ連邦の創設について議論するためにロンドンに\nおいて召集された。;;;;;;;;;;X
 ACT157115A;自治領カナダの創設;;;;;;;;;;X
 ACT157115B;イギリス領北アメリカを維持する;;;;;;;;;;X
 EVT157116N;ルーパートランドの売却;;;;;;;;;;X
 EVT157116D;ハドソン湾会社は、英領北アメリカが所有地を支配しても構わないと\n考えている。;;;;;;;;;;X
 ACT157116A;ハドソン湾会社の所有地をカナダへ;;;;;;;;;;X
 ACT157116B;売却しない;;;;;;;;;;X
 EVT157119N;北極圏の領土をカナダへ;;;;;;;;;;X
 EVT157119D;バフィン島の支配権と北極圏の大陸領土はカナダに引き渡すべきだろう。;;;;;;;;;;X
 ACT157119A;北極圏の領土をカナダに与える;;;;;;;;;;X
 ACT157119B;北極圏の領土をカナダに与えない;;;;;;;;;;X
 EVT157120N;ブリティッシュコロンビア問題;;;;;;;;;;X
 EVT157120D;ブリティッシュコロンビア植民地の有り方についての問題が議会で取り上\nげられている。カナダに加盟させるべきだろうか、あるいは自治領として\nコロンビア単独で解放されるべきだろうか?;;;;;;;;;;X
 ACT157120A;ブリティッシュコロンビアをカナダに加盟させる;;;;;;;;;;X
 ACT157120B;ブリティッシュコロンビアを自治領とする;;;;;;;;;;X
 EVT157121N;アラスカがカナダ連邦に加盟;;;;;;;;;;X
 EVT157121D;イギリス領アラスカは自治領カナダに加盟させるべきだろう。;;;;;;;;;;X
 ACT157121A;アラスカをカナダに加盟させる;;;;;;;;;;X
 ACT157121B;アラスカを保持する;;;;;;;;;;X
 EVT157122N;イギリスがインドを直轄支配;;;;;;;;;;X
 EVT157122D;カルカッタの英領インド政権内の反体制派による、大英帝国の支配\nからインドを分離するという試みは容認されるものではなく、イギリスは\n南アジアを直接統治せざるを得ない。;;;;;;;;;;X
 ACT157122A;宝石は王冠に残らねばならない;;;;;;;;;;X
 EVT157123N;イギリス東インド会社の解散;;;;;;;;;;X
 EVT157123D;インド大反乱後、議会は反乱の原因の一部はイギリスの東インド会社\nの統治にあると判断した。その結果、インドにイギリスの直轄支配が確\n立された。;;;;;;;;;;X
 ACT157123A;インドの官僚はロンドンからの監督を必要としている;;;;;;;;;;X
 ACT157123B;ロンドンからの直轄管理が必要であり、インドの官僚制度は廃止する;;;;;;;;;;X
 EVT157124N;藩王国との新たな関係 - アウド;;;;;;;;;;X
 EVT157124D;インドにおけるイギリス直轄支配の確立とともに、今や藩王国は新たな\n権力構造を受け入れ、直接ロンドンとの関係を育むと思われた。;;;;;;;;;;X
 ACT157124A;藩王国の宗主国の地位を引き受けよう;;;;;;;;;;X
 ACT157124B;藩王国は時代遅れである、イギリスは南アジア全てを直轄支配しなければならない;;;;;;;;;;X
 EVT157125N;藩王国との新たな関係 - ナグプル;;;;;;;;;;X
 EVT157125D;インドにおけるイギリス直轄支配の確立とともに、今や藩王国は新たな\n権力構造を受け入れ、直接ロンドンとの関係を育むと思われた。;;;;;;;;;;X
 ACT157125A;藩王国の宗主国の地位を引き受けよう;;;;;;;;;;X
 ACT157125B;藩王国は時代遅れである、イギリスは南アジア全てを直轄支配しなければならない;;;;;;;;;;X
 EVT157126N;藩王国との新たな関係 - ホルカル=シンディア;;;;;;;;;;X
 EVT157126D;インドにおけるイギリス直轄支配の確立とともに、今や藩王国は新たな\n権力構造を受け入れ、直接ロンドンとの関係を育むと思われた。;;;;;;;;;;X
 ACT157126A;藩王国の宗主国の地位を引き受けよう;;;;;;;;;;X
 ACT157126B;藩王国は時代遅れである、イギリスは南アジア全てを直轄支配しなければならない;;;;;;;;;;X
 EVT157127N;藩王国との新たな関係 - ラージャスタン;;;;;;;;;;X
 EVT157127D;インドにおけるイギリス直轄支配の確立とともに、今や藩王国は新たな\n権力構造を受け入れ、直接ロンドンとの関係を育むと思われた。;;;;;;;;;;X
 ACT157127A;藩王国の宗主国の地位を引き受けよう;;;;;;;;;;X
 ACT157127B;藩王国は時代遅れである、イギリスは南アジア全てを直轄支配しなければならない;;;;;;;;;;X
 EVT157128N;藩王国との新たな関係 - ハイデラバード;;;;;;;;;;X
 EVT157128D;インドにおけるイギリス直轄支配の確立とともに、今や藩王国は新たな\n権力構造を受け入れ、直接ロンドンとの関係を育むと思われた。;;;;;;;;;;X
 ACT157128A;藩王国の宗主国の地位を引き受けよう;;;;;;;;;;X
 ACT157128B;藩王国は時代遅れである、イギリスは南アジア全てを直轄支配しなければならない;;;;;;;;;;X
 EVT157129N;藩王国との新たな関係 - バスタール;;;;;;;;;;X
 EVT157129D;インドにおけるイギリス直轄支配の確立とともに、今や藩王国は新たな\n権力構造を受け入れ、直接ロンドンとの関係を育むと思われた。;;;;;;;;;;X
 ACT157129A;藩王国の宗主国の地位を引き受けよう;;;;;;;;;;X
 ACT157129B;藩王国は時代遅れである、イギリスは南アジア全てを直轄支配しなければならない;;;;;;;;;;X
 EVT157130N;藩王国との新たな関係 - トラヴァンコール;;;;;;;;;;X
 EVT157130D;インドにおけるイギリス直轄支配の確立とともに、今や藩王国は新たな\n権力構造を受け入れ、直接ロンドンとの関係を育むと思われた。;;;;;;;;;;X
 ACT157130A;藩王国の宗主国の地位を引き受けよう;;;;;;;;;;X
 ACT157130B;藩王国は時代遅れである、イギリスは南アジア全てを直轄支配しなければならない;;;;;;;;;;X
 EVT157131N;藩王国との新たな関係 - マイソール;;;;;;;;;;X
 EVT157131D;インドにおけるイギリス直轄支配の確立とともに、今や藩王国は新たな\n権力構造を受け入れ、直接ロンドンとの関係を育むと思われた。;;;;;;;;;;X
 ACT157131A;藩王国の宗主国の地位を引き受けよう;;;;;;;;;;X
 ACT157131B;藩王国は時代遅れである、イギリスは南アジア全てを直轄支配しなければならない;;;;;;;;;;X
 EVT157132N;藩王国との新たな関係 - ボローダ;;;;;;;;;;X
 EVT157132D;インドにおけるイギリス直轄支配の確立とともに、今や藩王国は新たな\n権力構造を受け入れ、直接ロンドンとの関係を育むと思われた。;;;;;;;;;;X
 ACT157132A;藩王国の宗主国の地位を引き受けよう;;;;;;;;;;X
 ACT157132B;藩王国は時代遅れである、イギリスは南アジア全てを直轄支配しなければならない;;;;;;;;;;X
 EVT157133N;藩王国との新たな関係 - カシミール;;;;;;;;;;X
 EVT157133D;インドにおけるイギリス直轄支配の確立とともに、今や藩王国は新たな\n権力構造を受け入れ、直接ロンドンとの関係を育むと思われた。;;;;;;;;;;X
 ACT157133A;藩王国の宗主国の地位を引き受けよう;;;;;;;;;;X
 ACT157133B;藩王国は時代遅れである、イギリスは南アジア全てを直轄支配しなければならない;;;;;;;;;;X
 EVT157135N;アメリカ先住民の土地割譲 - ジェームス・ダグラスとバンクーバー島;;;;;;;;;;X
 EVT157135D;オレゴン紛争の解決とともに、ブリティッシュコロンビアの資源開発を\n安全に始めることが出来るようになった。ヴィクトリアの基地から、現地の\nハドソン湾会社の代理人であるジェームス・ダグラスは、バンクーバー島の\n先住民と、この島のイギリス王室への主権の譲渡のために、一連の\n条約交渉を行った。;;;;;;;;;;X
 ACT157135A;条約を締結しよう;;;;;;;;;;X
 EVT157136N;アメリカ先住民の土地割譲 - ロビンソン条約;;;;;;;;;;X
 EVT157136D;五大湖北岸におけるイギリスの影響力の継続と、特にこの辺りでまとまっ\nた量の鉱物鉱床が見つかったことによりセントローレンス峡谷から西への\n白人の入植が拡大し、アメリカ合衆国への懸念が高まっていた。1850\n年、オンタリオ南西部ヒューロン湖沿岸の先住民共同体は、ウィリアム・\nロビンソンとの条約に調印し、保留地と補償金とを引きかえに領土を\n割譲した。;;;;;;;;;;X
 ACT157136A;条約を締結しよう;;;;;;;;;;X
 EVT157137N;アメリカ先住民の土地割譲  - ブリティッシュコロンビアの創設;;;;;;;;;;X
 EVT157137D;1857年フレーザー渓谷で金鉱が発見された事が知られた。このため\nアメリカの探鉱者が押し寄せ、この翌年のブリティッシュコロンビア植民地\nの創設とともに最高潮に達した。1857年、イギリス政府はこの地域を\n維持するため領有権を主張した。アメリカ先住民と土地の所有権につい\nての条約は調印されず、先住民は単に探鉱者と入植者によって彼らの\n土地を離れることを強制された。;;;;;;;;;;X
 ACT157137A;フレーザー渓谷における影響力を確立;;;;;;;;;;X
 EVT157138N;イギリスによる征服に対し、クリー族の抵抗運動が目覚める;;;;;;;;;;X
 EVT157138D;イギリスの支配を北米奥地に確立する経過には、イギリス政府の他の\n懸念だけでなく、輸送と通信の水準に制限される断続的な進行により\n、長い時間がかかった。先住民の領土の支配力は多寡が知れており、\nイギリスは先住民に対して迅速かつ軍事的な征服を企てていた。;;;;;;;;;;X
 ACT157138A;イギリス支配への抵抗は急激な盛り上がりを見せている;;;;;;;;;;X
 EVT157200N;外交的解決;;;;;;;;;;X
 EVT157200D;ロシアは、ペルシアにヘラートの州を割譲するために、\nアフガニスタンを説得した。;;;;;;;;;;X
 ACT157200A;これは災難だ!;;;;;;;;;;X
 EVT157201N;コーカサスの反乱;;;;;;;;;;X
 EVT157201D;コンスタンティノープルのイギリスの大使からの報告書には、コーカサスの\nコーカサス部族がロシアの支配に対し反乱中だとある。イギリスが彼らを\n支援するなら、ロシアはペルシアやオスマン帝国に対して迅速な攻撃が\nできないかもしれない。;;;;;;;;;;X
 ACT157201A;出来る限りの支援をしよう;;;;;;;;;;X
 ACT157201B;関わる事は無い;;;;;;;;;;X
 EVT157202N;ヴィクセン号事件;;;;;;;;;;X
 EVT157202D;ロシアは、イギリス商船のひとつヴィクセン号について、この船が武器を\n密輸していたと主張、黒海の港スジュクカレにおいてこれを拿捕した。;;;;;;;;;;X
 ACT157202A;ヴィクセン号の解放を要求する;;;;;;;;;;X
 ACT157202B;誤解について弁明する;;;;;;;;;;X
 EVT157203N;アフガニスタンの反乱;;;;;;;;;;X
 EVT157203D;アフガニスタンの人々は外国の支配に屈服しない;;;;;;;;;;X
 ACT157203A;奴らが望むようにしてやれ;;;;;;;;;;X
 EVT157204N;アフガニスタンの反乱;;;;;;;;;;X
 EVT157204D;アフガニスタンの人々は外国の支配に屈服しない;;;;;;;;;;X
 ACT157204A;奴らが望むようにしてやれ;;;;;;;;;;X
 EVT157211N;ラサ会議;;;;;;;;;;X
 EVT157211D;清は歴史的にチベットの領有権を主張していたが、その支配は希薄な\nものだった。チベットの首都ラサへのイギリスの支配力を持ってすれば、よ\nり強い関係を確立する条約を締結する機会がある。;;;;;;;;;;X
 ACT157211A;チベットの主権は清にある;;;;;;;;;;X
 ACT157211B;チベットを衛星国にしよう;;;;;;;;;;X
 ACT157211C;イギリスには他の計画がある;;;;;;;;;;X
 EVT157213N;ボワー写本;;;;;;;;;;X
 EVT157213D;トルキスタンでの狩猟旅行の際、ハミルトン・ボワー大尉は何人かのトレ\nジャーハンターからサンスクリット語の写本を買った。後に分ったことだが、\nこれらは紀元4世紀に遡る医学知識を含むものだった。;;;;;;;;;;X
 ACT157213A;なんと興味深い……;;;;;;;;;;X
 EVT157232N;中央アジア政策;;;;;;;;;;X
 EVT157232D;中央アジアのカーン統治国における、ロシアの計画の回避を望むなら、\n使節を派遣し、カーンと条約を締結し、カーンに保障を申し出るために\n「前進政策」を採るべきだろう。;;;;;;;;;;X
 ACT157232A;「前進政策」を採用;;;;;;;;;;X
 ACT157232B;「巧みな不活発」を堅持;;;;;;;;;;X
 EVT157233N;ブハラへの使節;;;;;;;;;;X
 EVT157233D;チャールズ・ストッダート大佐は、ブハラの首長、ナスルッラー・カーンと交渉\nし、あの国での奴隷制度を終わらせるよう促すためにブハラに旅行する\nことを買って出た。;;;;;;;;;;X
 ACT157233A;そのようにせよ;;;;;;;;;;X
 ACT157233B;ブハラに関心はない;;;;;;;;;;X
 EVT157234N;「グレートゲーム」「高貴なゲーム」;;;;;;;;;;X
 EVT157234D;アーサー・コノリー大尉が、チャールズ・ストッダート大佐の解放を求める\nことを買って出た。ブハラの首長(ナスルッラー・カーン)は、ネズミの蔓延す\nる牢にストッダートを投獄し、ストッダートがキリスト教を放棄し、イスラム\n教を受け入れることを強要したのだ。;;;;;;;;;;X
 ACT157234A;ストッダートの解放を求める;;;;;;;;;;X
 ACT157234B;ストッダートは「個人的な旅行者」だ;;;;;;;;;;X
 EVT157235N;ヒヴァへの使節;;;;;;;;;;X
 EVT157235D;熟考した上で、カーンにペルシア人とロシア人の捕虜を解放させる交渉\nのため、リッチモンド・シェークスピア中尉をヒヴァに急派した。ロシアがヒヴ\nァに侵攻するための口実を取り除くべきだろう。;;;;;;;;;;X
 ACT157235A;そのようにせよ;;;;;;;;;;X
 ACT157235B;ヒヴァに関心はない;;;;;;;;;;X
 EVT157236N;カーンの決心;;;;;;;;;;X
 EVT157236D;ヒヴァのカーンは、いかなる捕虜も釈放せず、忌々しい奴隷貿易を終わ\nらせる行動もしないと決心していた。;;;;;;;;;;X
 ACT157236A;これは厄介だ;;;;;;;;;;X
 EVT157237N;カーンの決心;;;;;;;;;;X
 EVT157237D;イギリスの密使の努力により、ヒヴァのカーンを説得し、外国人捕虜を\n解放することについて納得させることができた。;;;;;;;;;;X
 ACT157237A;非常に良い;;;;;;;;;;X
 EVT157238N;カーンの決心;;;;;;;;;;X
 EVT157238D;ヒヴァで捕虜になっているイギリスの同胞が満足できる解決となった。;;;;;;;;;;X
 ACT157238A;非常に良い;;;;;;;;;;X
 EVT157239N;ブハラがイギリスの申し出を拒否;;;;;;;;;;X
 EVT157239D;ストッダート大佐は失敗し、奴隷貿易を終わらせるためにブハラの首長を\n説得することが出来なかった。;;;;;;;;;;X
 ACT157239A;ちくしょう!;;;;;;;;;;X
 EVT157240N;ブハラが奴隷制の廃止に同意;;;;;;;;;;X
 EVT157240D;ナスルッラー・カーンは忌々しい奴隷貿易を終わらせる見返りに、\nイギリスの独立保障を受けることとなった。;;;;;;;;;;X
 ACT157240A;よくやった;;;;;;;;;;X
 EVT157241N;コノリーとストッダートが解放された;;;;;;;;;;X
 EVT157241D;ブハラの首長はストッダート大佐とコノリー大佐を解放した。カーンに奴隷\n制度を終わらせることを納得させる努力は無になった。;;;;;;;;;;X
 ACT157241A;非常によい;;;;;;;;;;X
 EVT157242N;コノリーとストッダートが処刑された;;;;;;;;;;X
 EVT157242D;便りが届くと、ナスルッラー・カーンはストッダート大佐とコノリー大佐の首\nをはねるよう命じた。;;;;;;;;;;X
 ACT157242A;ひどい;;;;;;;;;;X
 EVT157300N;アメリカ先住民の土地割譲 - ワシントン西部;;;;;;;;;;X
 EVT157300D;白人の入植は西進し、イギリス政府は白人の入植のために、ネイティブ\nインディアンの人々からの土地確保に動いた。ほとんどの場合、条約交\n渉は軍隊の力を背景に行われ、原住民の独占的な使用のための小さ\nな一区画の保留地を残して、王室に譲渡される結果に落ち着いた。\n1855年サカミシュ族は、ワシントン西部の伝来の土地の大部分を、保留\n地と引きかえに割譲する条約に調印した。;;;;;;;;;;X
 ACT157300A;条約を締結しよう;;;;;;;;;;X
 EVT157301N;アメリカ先住民の土地割譲 - オレゴン北東部;;;;;;;;;;X
 EVT157301D;白人の入植は西進し、イギリス政府は白人の入植のために、ネイティブ\nインディアンの人々からの土地確保に動いた。ほとんどの場合、条約交\n渉は軍隊の力を背景に行われ、原住民の独占的な使用のための小さ\nな一区画の保留地を残して、王室に譲渡される結果に落ち着いた。\n1855年ワスコ族は、オレゴン北東部の伝来の土地の大部分を、保留地\nと引きかえに割譲する条約に調印した。;;;;;;;;;;X
 ACT157301A;条約を締結しよう;;;;;;;;;;X
 EVT157302N;アメリカ先住民の土地割譲 - オレゴン南西部;;;;;;;;;;X
 EVT157302D;白人の入植は西進し、イギリス政府は白人の入植のために、ネイティブ\nインディアンの人々からの土地確保に動いた。ほとんどの場合、条約交\n渉は軍隊の力を背景に行われ、原住民の独占的な使用のための小さ\nな一区画の保留地を残して、王室に譲渡される結果に落ち着いた。\n1855年ローグリバー族は、オレゴン南西部の伝来の土地の大部分を、\n保留地と引きかえに割譲する条約に調印した。;;;;;;;;;;X
 ACT157302A;条約を締結しよう;;;;;;;;;;X
 EVT157303N;アメリカ先住民の土地割譲 - アイダホ北部;;;;;;;;;;X
 EVT157303D;白人の入植は西進し、イギリス政府は白人の入植のために、ネイティブ\nインディアンの人々からの土地確保に動いた。ほとんどの場合、条約交\n渉は軍隊の力を背景に行われ、原住民の独占的な使用のための小さ\nな一区画の保留地を残して、王室に譲渡される結果に落ち着いた。\n1863年ネズパース族は、アイダホ北部の伝来の土地の大部分を、保\n留地と引きかえに割譲する条約に調印した。;;;;;;;;;;X
 ACT157303A;条約を締結しよう;;;;;;;;;;X
 EVT157304N;アメリカ先住民の土地割譲 - オレゴン南東部;;;;;;;;;;X
 EVT157304D;白人の入植は西進し、イギリス政府は白人の入植のために、ネイティブ\nインディアンの人々からの土地確保に動いた。ほとんどの場合、条約交\n渉は軍隊の力を背景に行われ、原住民の独占的な使用のための小さ\nな一区画の保留地を残して、王室に譲渡される結果に落ち着いた。\n1864年マドク族は、オレゴン南東部の伝来の土地の大部分を、保留\n地と引きかえに割譲する条約に調印した。;;;;;;;;;;X
 ACT157304A;条約を締結しよう;;;;;;;;;;X
 EVT157305N;アメリカ先住民の土地割譲 - アイダホ南西部;;;;;;;;;;X
 EVT157305D;白人の入植は西進し、イギリス政府は白人の入植のために、ネイティブ\nインディアンの人々からの土地確保に動いた。ほとんどの場合、条約交\n渉は軍隊の力を背景に行われ、原住民の独占的な使用のための小さ\nな一区画の保留地を残して、王室に譲渡される結果に落ち着いた。\n1864年クラマス族は、アイダホ南西部の伝来の土地の大部分を、保\n留地と引きかえに割譲する条約に調印した。;;;;;;;;;;X
 ACT157305A;条約を締結しよう;;;;;;;;;;X
 EVT157306N;アメリカ先住民の土地割譲 - ワシントン東部;;;;;;;;;;X
 EVT157306D;白人の入植は西進し、イギリス政府は白人の入植のために、ネイティブ\nインディアンの人々からの土地確保に動いた。ほとんどの場合、条約交\n渉は軍隊の力を背景に行われ、原住民の独占的な使用のための小さ\nな一区画の保留地を残して、王室に譲渡される結果に落ち着いた。\n1873年ネズパース族は、ワシントン東部の伝来の土地の大部分を、\n保留地と引きかえに割譲する条約に調印した。;;;;;;;;;;X
 ACT157306A;条約を締結しよう;;;;;;;;;;X
 EVT157307N;植民地オレゴンをカナダに割譲;;;;;;;;;;X
 EVT157307D;植民地オレゴンは自治領カナダに加盟させるべきだろう。;;;;;;;;;;X
 ACT157307A;オレゴンはカナダに加盟させよう;;;;;;;;;;X
 EVT157308N;植民地オレゴンをコロンビアに割譲;;;;;;;;;;X
 EVT157308D;植民地オレゴンは自治領コロンビアに加盟させるべきだろう。;;;;;;;;;;X
 ACT157308A;オレゴンはコロンビアに加盟させよう;;;;;;;;;;X
 EVT157328N;民主ドイツの形成;;;;;;;;;;X
 EVT157328D;人々の意志がドイツを統一した;;;;;;;;;;X
 ACT157328A;民主主義には耐えられない!;;;;;;;;;;X
 ACT157328B;誰が気にかけるというのだ?;;;;;;;;;;X
 ACT157328C;奴らを叩き潰さなくては!;;;;;;;;;;X
 EVT157329N;民主ドイツの形成;;;;;;;;;;X
 EVT157329D;人々の意志がドイツを統一した;;;;;;;;;;X
 ACT157329A;民主主義の仲間を歓迎しよう!;;;;;;;;;;X
 ACT157329B;同盟を結ぶべきだ!;;;;;;;;;;X
 ACT157329C;誰が気にかけるというのだ?;;;;;;;;;;X
 EVT157330N;保守ドイツの形成;;;;;;;;;;X
 EVT157330D;反動主義者がドイツを統一した;;;;;;;;;;X
 ACT157330A;反動主義には耐えられない!;;;;;;;;;;X
 ACT157330B;奴らを叩き潰さなくては!;;;;;;;;;;X
 ACT157330C;誰が気にかけるというのだ?;;;;;;;;;;X
 EVT157331N;保守ドイツの形成;;;;;;;;;;X
 EVT157331D;反動主義者がドイツを統一した;;;;;;;;;;X
 ACT157331A;保守主義の仲間を歓迎しよう!;;;;;;;;;;X
 ACT157331B;同盟を結ぶべきだ!;;;;;;;;;;X
 ACT157331C;誰が気にかけるというのだ?;;;;;;;;;;X
 EVT157332N;ドイツ統一;;;;;;;;;;X
 EVT157332D;プロイセンはドイツを統一し、その過程で保守主義フランスを打ち破った。;;;;;;;;;;X
 ACT157332A;愉快なことだが、彼らが民主主義であるはずがないだろう?;;;;;;;;;;X
 ACT157332B;保守ドイツといえど、イギリスを支援することが出来よう;;;;;;;;;;X
 ACT157332C;誰が気にかけるというのだ?;;;;;;;;;;X
 EVT157333N;ドイツ統一;;;;;;;;;;X
 EVT157333D;プロイセンはドイツを統一し、その過程で民主主義フランスを打ち破った。;;;;;;;;;;X
 ACT157333A;ドイツを助けるべきだ!;;;;;;;;;;X
 ACT157333B;同盟を結ぼう!;;;;;;;;;;X
 ACT157333C;誰が気にかけるというのだ?;;;;;;;;;;X
 EVT157334N;ドイツ統一;;;;;;;;;;X
 EVT157334D;プロイセンはドイツを統一し、その過程で保守主義フランスを打ち破った。;;;;;;;;;;X
 ACT157334A;ドイツを助けるべきだ!;;;;;;;;;;X
 ACT157334B;同盟を結ぼう!;;;;;;;;;;X
 ACT157334C;誰が気にかけるというのだ?;;;;;;;;;;X
 EVT157335N;ドイツ統一;;;;;;;;;;X
 EVT157335D;プロイセンはドイツを統一し、その過程で民主主義フランスを打ち破った。;;;;;;;;;;X
 ACT157335A;不愉快だ;;;;;;;;;;X
 ACT157335B;民主主義を守らなければならない!;;;;;;;;;;X
 ACT157335C;誰が気にかけるというのだ?;;;;;;;;;;X
 EVT157400N;ロサスがパラナ川とウルグアイ川を封鎖;;;;;;;;;;X
 EVT157400D;アルゼンチンの独裁者ファン・マヌエル・デ・ロサスはアルゼンチン連邦に\n属さない全ての船に対してパラナ川とウルグアイ川を封鎖する新法を\n明らかにした。これは英仏およびウルグアイに良く思われないだろう。;;;;;;;;;;X
 ACT157400A;また、この男か!;;;;;;;;;;X
 ACT157432A;金だ!;;;;;;;;;;X
 EVT157509N;アメリカのロシア人;;;;;;;;;;X
 EVT157509D;南北戦争の間、ロシアは北部支持を示すため、アメリカ合衆国の東西\nの海岸に沿って港を訪問した。1863年、これはイギリス海軍に攻撃の\n恐怖をかき立てた。;;;;;;;;;;X
 ACT157509A;それがどうした?;;;;;;;;;;X
 ACT157509B;抗議文を送る;;;;;;;;;;X
 ACT157509C;行動を起こさなければならない!;;;;;;;;;;X
 EVT157510N;イギリスの小艦隊がアメリカ連合国を訪問;;;;;;;;;;X
 EVT157510D;ロシアがアメリカ合衆国に対して、支援を示したことで、イギリスはアメリカ\n連合国への支援で均衡を図らなければならない。ロシアの報復を受け\nることなく、このような行動をとることはできない。;;;;;;;;;;X
 ACT157510A;非武装の海軍艦艇を派遣する;;;;;;;;;;X
 ACT157510B;武装戦列艦を派遣する;;;;;;;;;;X
 ACT157510C;艦隊をアメリカに派遣しよう!;;;;;;;;;;X
 ACT157584A;アサンテに条約を提案する;;;;;;;;;;X
 ACT157584B;完全な征服が望ましい;;;;;;;;;;X
 EVT157604N;綿の禁輸;;;;;;;;;;X
 EVT157604D;アメリカ連合国は、アメリカ合衆国との戦争において、彼らに対し\n綿を禁輸にする支援を求めている。どうするべきだろうか?;;;;;;;;;;
 ACT157604A;中立を維持する;;;;;;;;;;X
 ACT157604B;譲歩する;;;;;;;;;;X
 EVT157701N;ユカタンが併合を要請;;;;;;;;;;X
 EVT157701D;1887年、マヤ族がユカタンを併合するようにイギリスに要請したが、イギ\nリスはこれを拒否、ユカタンに対抗しメキシコと同盟した。メキシコ人の\n好意を獲得し、メキシコとベリーズの間の国境問題の良い解決策がメ\nキシコに受け入れられることが期待されていた。;;;;;;;;;;X
 ACT157701A;そのような案件に関わる気はない。;;;;;;;;;;X
 ACT157701B;勇気と自由の戦士達を支援する!;;;;;;;;;;X
 EVT157702N;ユカタン防衛軍;;;;;;;;;;X
 EVT157702D;ユカタンについて条約が署名され、イギリスはユカタンを保護国として\n受け入れた。マヤ族はイギリスの指揮のもと、非正規兵部隊として組\nみ込まれた。;;;;;;;;;;X
 ACT157702A;ゲリラ戦;;;;;;;;;;X
 EVT157703N;モンテスマ事件;;;;;;;;;;X
 EVT157703D;1842年、メキシコ政府は、リザルディ及びリバプールとロンドンの会社で2隻\nの軍艦(グアダローペとモンテスマ)を買う契約をした。イギリスで募集された\n乗組員、及びこの船がイギリス人将校の指揮下のベラクルスに引き渡さ\nれた。在ロンドンテキサス共和国総領事ウィリアム・ケネディ、そしてイギリス\n大臣アスベル・スミスは、建造中のこの船をメキシコが使用することに反対、\n抗議し、イギリス政府に対してそれらを拘留するよう促した。;;;;;;;;;;X
 ACT157703A;船団を行かせる;;;;;;;;;;X
 ACT157703B;拘留する;;;;;;;;;;X
 EVT157704N;マヤ族が同盟を申し出る;;;;;;;;;;X
 EVT157704D;ユカタンのカスタ戦争の情勢が崩壊しはじめたとき、マヤ族はイギリスの\n保護の見返りとして、同盟をイギリスに申し出た。;;;;;;;;;;X
 ACT157704A;そのような案件に関わる気はない;;;;;;;;;;X
 ACT157704B;勇気と自由の戦士を支援する!;;;;;;;;;;X
 EVT157705N;マヤ同盟;;;;;;;;;;X
 EVT157705D;マヤとの条約が署名され、イギリスはユカタンを保護国として受け入れた。\nマヤ族はイギリスの指揮のもと、非正規兵部隊として組み込まれた。;;;;;;;;;;X
 ACT157705A;ゲリラ戦;;;;;;;;;;X
 EVT157706N;テキサスがイギリスの承認を求める;;;;;;;;;;X
 EVT157706D;1837年10月初頭、ヒューストン大統領は、テキサスの承認を求め、ジェ\nームス・ピンクニー・ヘンダーソンをイギリスとフランスに派遣した。ヘンダー\nソンは交渉を始めにロンドンに行った、しかしイギリスはテキサス承認がメ\nキシコの友好的な姿勢を損なうことを懸念していた。しかしながら、彼ら\nは、イギリスの港におけるテキサスの貿易について、こちらの言うとおりの\n条件に同意している。;;;;;;;;;;X
 ACT157706A;貿易関係を確立する;;;;;;;;;;X
 ACT157706B;テキサスを承認する;;;;;;;;;;X
 ACT157706C;奴隷主とは取引しない;;;;;;;;;;X
 EVT157707N;イギリスがテキサスを承認する;;;;;;;;;;X
 EVT157707D;イギリスの理想は世界的な奴隷制度廃止であり、そしてテキサスに奴\n隷制度があるにも関わらず、フランスが勢力を拡大し、テキサスにおいて\n貿易特権を獲得することを、ただ見過ごすことはできなかった。1840年\n秋、アバディーン卿はイギリス政府がテキサスを承認することを発表し、\n1840年10月13-16日、三つの条約(独立国として扱う、貿易と海運\n、そしてアフリカの奴隷貿易抑制)が締結された。;;;;;;;;;;X
 ACT157707A;テキサスを承認する;;;;;;;;;;X
 ACT157707B;原状を維持する;;;;;;;;;;X
 EVT157708N;イライザ・ラッセル号事件;;;;;;;;;;X
 EVT157708D;イライザ・ラッセルは海軍大佐が所有するイギリス帆船である。中立旗を\n掲げ、禁制品を積んで敵の港に入らなければ手出しをしないという命令\nにもかかわらず、1837年8月3日ジョゼフ・ラッセルはカンペチェ沖において\nテキサス船によって拿捕され、戦利品としてガルベストンに送られた。;;;;;;;;;;X
 ACT157708A;拿捕に抗議する;;;;;;;;;;X
 ACT157708B;かまうことはない;;;;;;;;;;X
 EVT157709N;イライザ・ラッセルの賠償;;;;;;;;;;X
 EVT157709D;イライザ・ラッセルには解放命令が出ていたが、実行が遅れていたため\nガルベストン湾の嵐によって破壊されてしまった。船主は破損と遅れに\nついて、イギリス政府に賠償を請求した。;;;;;;;;;;X
 ACT157709A;賠償を請求する;;;;;;;;;;X
 ACT157709B;かまうことはない;;;;;;;;;;X
 EVT157710N;リトルペン事件;;;;;;;;;;X
 EVT157710D;リトルペン号がリザルディ商会からタバスコ州行きの積荷を輸送している\nとき、浅瀬に座礁すると、積荷はメキシコ船パス&アビスパ号により回収\nされた。テキサス軍艦ブルータスとインビンシブルはアビスパ号を鹵獲しマ\nタゴルダに送り、リトルペン号は、破壊する前に価値あるものすべてを船\nから剥ぎ取られた。リザルディ商会はイギリス外務省を通じて賠償を請\n求した。;;;;;;;;;;X
 ACT157710A;賠償を請求する;;;;;;;;;;X
 ACT157710B;かまうことはない;;;;;;;;;;X
 EVT157711N;テキサスの船の賠償;;;;;;;;;;X
 EVT157711D;1838年、イギリス政府はテキサスに対し、未払いの海事賠償を再び請求した。;;;;;;;;;;X
 ACT157711A;賠償を請求する;;;;;;;;;;X
 ACT157711B;かまうことはない;;;;;;;;;;X
 EVT157712N;テキサスの船の賠償;;;;;;;;;;X
 EVT157712D;1838年、イギリス政府はテキサスに対し、未払いの海事賠償を再び請求した。;;;;;;;;;;X
 ACT157712A;賠償を請求する;;;;;;;;;;X
 ACT157712B;かまうことはない;;;;;;;;;;X
 EVT157713N;テキサスの船の賠償;;;;;;;;;;X
 EVT157713D;1838年、イギリス政府はテキサスに対し、未払いの海事賠償を再び請求した。;;;;;;;;;;X
 ACT157713A;賠償を請求する;;;;;;;;;;X
 ACT157713B;かまうことはない;;;;;;;;;;X
 EVT157714N;テキサスが船の賠償をはねつける;;;;;;;;;;X
 EVT157714D;テキサスがイギリスの海事賠償請求を拒否すると、イギリス外務大臣\nパーマストンは、支払いを強制するために必要なあらゆる行動を取る\nために、イギリスの軍艦を送ると脅した。;;;;;;;;;;X
 ACT157714A;かまうことはない;;;;;;;;;;X
 ACT157714B;軍艦を派遣しろ;;;;;;;;;;X
 EVT157715N;テキサスが船の賠償をはねつける;;;;;;;;;;X
 EVT157715D;テキサスがイギリスの海事賠償請求を拒否すると、イギリス外務大臣\nパーマストンは、支払いを強制するために必要なあらゆる行動を取る\nために、イギリスの軍艦を送ると脅した。;;;;;;;;;;X
 ACT157715A;かまうことはない;;;;;;;;;;X
 ACT157715B;軍艦を派遣しろ;;;;;;;;;;X
 EVT157716N;テキサスの挑戦;;;;;;;;;;X
 EVT157716D;イギリス政府はテキサスの拒絶に対し、海事賠償を強制的に履行させ\nるために、軍艦を派遣することで応じた。テキサスはこの船に砲火を開く\nことで答えた。;;;;;;;;;;X
 ACT157716A;国交を断絶しよう;;;;;;;;;;X
 ACT157716B;これは戦争を意味する!;;;;;;;;;;X
 ACT157716C;かまうことはない;;;;;;;;;;X
 EVT157717N;マヤ族の挑発;;;;;;;;;;X
 EVT157717D;ベリーズにおけるイギリスの責任者は、ユカタンのマヤ人クルソブに対して\nベリーズから牛が盗まれ続ける場合に取り得る可能性に関して警告を\n送った。イギリスが普通の価格でクルソブに1000バレルの火薬を供給し\nない場合、クルソブはベリーズの侵入をほのめかすことになっていた。ベリ\nーズは恐慌に陥り、コロサルの通りではバリケードが築かれた。;;;;;;;;;;X
 ACT157717A;何が起こるか様子を見よう;;;;;;;;;;X
 ACT157717B;先制攻撃だ;;;;;;;;;;X
 EVT157718N;マヤ族の挑発;;;;;;;;;;X
 EVT157718D;クルソブへのイギリス領ホンジュラスによる武器販売という理由で、ベリー\nズはクルソブと対立するマヤ組織の標的になった。サン・ペドロとイカイチ\nェ・マヤは、イギリスがマヤの領地と考えたものに使用料を払うか、ベリー\nズの完全な破壊を覚悟するよう要求した。ベリーズは恐慌に陥った。ベ\nリーズは避難民でごった返しており、総督の船は直ちに出航できる準備\nをした状態におかれた。;;;;;;;;;;X
 ACT157718A;何が起こるか様子を見よう;;;;;;;;;;X
 ACT157718B;先制攻撃だ;;;;;;;;;;X
 EVT157719N;マヤ族がコロサイを占領;;;;;;;;;;X
 EVT157719D;100人以上のイカイチェ・マヤの一団はベリーズでコロサル市を一時的に\n占領し、クルソブを探していると主張した。奴らは何も見つけられずに撤\n退した。;;;;;;;;;;X
 ACT157719A;助けてくれ!;;;;;;;;;;X
 EVT157720N;マヤ族がオレンジウォークを攻撃;;;;;;;;;;X
 EVT157720D;イカイチェ・マヤの一団は、ベリーズでオレンジウォークの村を攻撃した。\n助けはアメリカの移民から来た、銃声を聞きつけて集まった、数百の元\n南部連合退役軍人がマヤ人を後方に連れて行き、多大な犠牲を払っ\nて奴らを撃退した。;;;;;;;;;;X
 ACT157720A;助けてくれ!;;;;;;;;;;X
 EVT157800N;ロシアがアラスカを売却;;;;;;;;;;X
 EVT157800D;ロシアがアラスカ売却を持ちかけてきている;;;;;;;;;;X
 ACT157800A;それを買おう;;;;;;;;;;X
 ACT157800B;そんなものは要らん;;;;;;;;;;X
 EVT157801N;バーケンヘッド号の沈没;;;;;;;;;;X
 EVT157801D;バーケンヘッド号は軍隊と兵士の家族を乗せてコークを出港、南アフリカ\n行きの正しい航路を外れ、岩礁の尖峰を航行した。兵士の規律は救\n命艇を最初に『女性と子供たち』に与え、乗員638人の内193人を生\nき残らせた。50万ポンドに近い金貨が失われた。;;;;;;;;;;X
 ACT157801A;悲劇だ;;;;;;;;;;X
 EVT157802N;テムズ川の氾濫;;;;;;;;;;X
 EVT157802D;テムズ川はウィンザーでもう一つの最高水位期に達した。そして、再度グ\nレートウェスタン鉄道高架橋を覆いかねない脅威となった。1875年の氾\n濫後、これは実に14ヵ月に渡っていた。;;;;;;;;;;X
 ACT157802A;恐ろしい;;;;;;;;;;X
 EVT157803N;タイタニック号の沈没;;;;;;;;;;X
 EVT157803D;氷原を通って減速することに関するスミス船長の失敗は、タイタニック号の\n沈没の原因としてあげられた。十分な救命艇を運ぶことを怠り、2200人\nの乗員のうちの1500人の人名が失われた。;;;;;;;;;;X
 ACT157803A;悲劇だ;;;;;;;;;;X
 ACT157841A;ショナに取引を提案;;;;;;;;;;X
 EVT157899N;ベリーズ購入;;;;;;;;;;X
 EVT157899D;メキシコの交渉人がイギリス政府にベリーズの購入を提案した。売却すべきか?;;;;;;;;;;X
 ACT157899A;保持するつもりだ;;;;;;;;;;X
 ACT157899B;よし、売却しよう;;;;;;;;;;X
 EVT157900N;オスマン帝国が選挙を操作;;;;;;;;;;X
 EVT157900D;クリミア戦争後、モルダヴィアとワラキアは、統一する道を開く特別の憲\n法制定会議の選挙を行うことにより統一しようと試みた。しかし、オスマ\nン帝国は選挙過程に干渉し、統一に反対する代表が選ばれるよう不\n正操作を行った。この動きに抗議し、かつ新たな選挙を行うようにトル\nコ人に圧力をかけるべく列強を促すべきだろう。;;;;;;;;;;X
 ACT157900A;選挙をやり直すよう圧力をかけよう!;;;;;;;;;;X
 ACT157900B;関心のあるところではない;;;;;;;;;;X
 EVT157993N;イオニア諸島;;;;;;;;;;X
 EVT157993D;ギリシアでゲオルギオス1世の即位したことを受け、1864年イギリスは\n1815年以来保護国としていたイオニア諸島をギリシアに譲渡した。;;;;;;;;;;X
 ACT157993A;ギリシアとの絆を築こう;;;;;;;;;;X
 ACT157993B;ここは地中海防衛の鍵となるところだ;;;;;;;;;;X
 EVT157990N;ロンドン条約;;;;;;;;;;X
 EVT157990D;フランスの親エジプト政策に反対し、主要なヨーロッパ列強である英墺\n普露は1840年7月15日、サブライン・ポルタ(オスマン帝国の首相官邸)\nにおいて、ロンドン条約に署名した。このとき、フランスは条約を拒絶した。;;;;;;;;;;X
 ACT157990A;オスマン帝国を支援しよう;;;;;;;;;;X
 EVT157994N;ラプラタには疲れた;;;;;;;;;;X
 EVT157994N;ラプラタ封鎖に対する疲れ;;;;;;;;;;X
 EVT157994D;ラプラタ介入に関する世論は崩れ始め、解決のためのコストに対して公\n庫は明らかに欠乏している。大規模な混乱を起こさないために、議会\nは艦隊を帰還させることを決定した。;;;;;;;;;;X
 ACT157994A;艦隊を帰還させよう;;;;;;;;;;X
 EVT157995N;ラプラタ川におけるイギリスの姿勢;;;;;;;;;;X
 EVT157995D;フランスとイギリスが恐れていたのは、ロサスがウルグアイを併合し、加えて\nブエノスアイレスの統治者に影響を及ぼすことでパラナ川とウルグアイ川\nの海運の独占を望んでいることだった。パラグアイにロサスの妨害がなけ\nればアルゼンチン国内市場への良好なアクセスが保障できるだろう。;;;;;;;;;;X
 ACT157995A;この地域に介入しよう;;;;;;;;;;X
 ACT157995B;打撃は与えない!;;;;;;;;;;X
 EVT157996N;ピラティニ同盟への保障;;;;;;;;;;X
 EVT157996D;ブラジルの反乱者であるウルグアイとリオグランデは今や同盟国であり、\nラプラタのバシンはラテンアメリカにおける最も重要な商業地のひとつだ。\n平和を保障すれば、この領域からのイギリスの収入は安全に保たれる\nだろう。しかしながら、この反乱者に対抗しブラジルを支持すれば、この\n領域において信頼できる同盟国を獲得できるかもしれない。;;;;;;;;;;X
 ACT157996A;保障する;;;;;;;;;;X
 ACT157996B;関係ないことだ;;;;;;;;;;X
 ACT157996C;反乱者に対抗しブラジルを支持する;;;;;;;;;;X
 EVT157997N;駐ブラジルイギリス大使;;;;;;;;;;X
 EVT157997D;駐ブラジルイギリス大使、ウィリアム・クリスティはドン・ペドロ二世が、盗難\nにあったイギリス船の貨物について弁済することを要求。皇帝は弁済に\n同意した。;;;;;;;;;;X
 ACT157997A;代価を受け取ろう;;;;;;;;;;X
 EVT157998N;アバディーン条約;;;;;;;;;;X
 EVT157998D;1845年8月9日に署名されたアバディーン条約は、更なる奴隷売買を\n防ぐために、いかなる海域においても、全てのブラジル船に対し、検査を\n行う権限をイギリス海軍委員会に与えた。;;;;;;;;;;X
 ACT157998A;承認する;;;;;;;;;;X
 ACT157998B;承認しない;;;;;;;;;;X
 EVT157999N;ブラジルがイギリスを無視;;;;;;;;;;X
 EVT157999D;もとよりブラジル政府の奴隷貿易に対抗する姿勢は消極的なものであ\nったが、さらに近頃のブラジルの態度は奴隷貿易廃止の拒否を示して\nおり、イギリスはより徹底的な姿勢をとらねばならないだろう。;;;;;;;;;;X
 ACT157999A;戦争だ;;;;;;;;;;X
 ACT157999B;野蛮人には奴隷と暮らさせろ;;;;;;;;;;X

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