*####### 165K GERMANY ####### [#g516c136] ####### 165K GERMANY #######;;;;;;;;;;;X EVT165060N;ドイツはバルカン問題に関する会議開催を提案;;;;;;;;;;X EVT165060D;サン・ステファノ条約への抗議が、欧州に大戦を引き起こすことを恐れ、\n宰相ビスマルクはベルリンでの国際会議の開催を提案した。会議では露\n土戦争でのロシアの戦勝と「大ブルガリア公国」創設から起因する諸問\n題の解決を図る。;;;;;;;;;;X ACT165060A;関係する諸国を会議に招待しよう;;;;;;;;;;X ACT165060B;バルカン半島の争いは我々に関係がない;;;;;;;;;;X EVT165061N;バルカン問題に関するベルリン会議;;;;;;;;;;X EVT165061D;1878年の春の終わりに、欧州列国の外交官は、その年の初めに露土戦争\nにおけるロシアの勝利によって引き起こされた危機について決議するた\nめにベルリンに集まった。条約改正の結果は、ブルガリア自治区を縮小、\nオーストリアによるボスニア・ヘルツェゴヴィナの支配、セルビア、モ\nンテネグロ、ルーマニアの独立の承認となった。欧州全面戦争を回避す\nる道筋をつけたことで、ドイツの大いなる威信を獲得した。;;;;;;;;;;X ACT165061A;バルカン半島に平和と安定を!;;;;;;;;;;X EVT165062N;モロッコでのクルップ社権益;;;;;;;;;;X EVT165062D;1870年代を通じてドイツの経済的、外交的な国力は飛躍的な伸びをみせた。そして均衡関係にある世界の政治経済的な舞台へと、ドイツは目を向けるようになってきたのである。さて1877年、モロッコ政府は軍事力の近代化計画について公表した。そこでクルップ社は沿岸防衛向けの大砲購入に向けた入札に参加し、契約を取り付けられるようドイツ政府に対して影響力行使を求めてきた。こうした支援を行うことでモロッコは、ドイツと競合する列強のうち一カ国のみの支配を完全に受けることもなくなるだろう。;;;;;;;;;;X EVT165062D;1870年代を通じてドイツの経済的、外交的な国力は飛躍的な伸びを\n見せた。そして均衡関係にある世界の政治経済的な舞台へと、ドイツ\nは目を向けるようになってきたのである。さて1877年、モロッコ政府は軍\n事力の近代化計画について公表した。そこでクルップ社は沿岸防衛向\nけの大砲購入に向けた入札に参加し、契約を取り付けられるようドイ\nツ政府に対して影響力行使を求めてきた。こうした支援を行うことでモ\nロッコは、ドイツと競合する列強のうち一カ国のみの支配を完全に受け\nることもなくなるだろう。;;;;;;;;;;X ACT165062A;クルップ社の入札を支援する;;;;;;;;;;X ACT165062B;モロッコに興味はない;;;;;;;;;;X EVT165065N;皇帝のタンジール訪問;;;;;;;;;;X EVT165065D;1905年の初頭から、フランスはモロッコに支配を確立すべく動き出した。だがモロッコはドイツ製造業にとっての一大市場となりつつあり、またフランスはそのモロッコ支配によって地中海西部で他の列強ににらみをきかせる重要拠点を得ることにもなる。さて皇帝は地中海を訪問中であるが、この機会を利用してモロッコの領土保全および独立に責任を負う旨明言すべきだろうか?;;;;;;;;;;X EVT165065D;1905年の初頭から、フランスはモロッコに支配を確立すべく動き出した。\nだがモロッコはドイツ製造業にとっての一大市場となりつつあり、またフラ\nンスはそのモロッコ支配によって地中海西部で他の列強に睨みを利かせ\nる重要拠点を得ることにもなる。さて皇帝は地中海を訪問中であるが、\nこの機会を利用してモロッコの領土保全および独立に責任を負う旨\n明言すべきだろうか?;;;;;;;;;;X ACT165065A;皇帝がタンジールを訪れた;;;;;;;;;;X EVT165066N;モロッコでのフランスの行動に抗議?;;;;;;;;;;X EVT165066D;1905年の初頭から、フランスはモロッコに支配を確立すべく動き出した。だがモロッコはドイツ製造業にとっての一大市場となりつつあり、またフランスはそのモロッコ支配によって地中海西部で他の列強ににらみをきかせる重要拠点を得ることにもなる。モロッコの領土保全および独立に責任を負う旨明言すべきだろうか?;;;;;;;;;;X EVT165066D;1905年の初頭から、フランスはモロッコに支配を確立すべく動き出した。\nだがモロッコはドイツ製造業にとっての一大市場となりつつあり、またフラ\nンスはそのモロッコ支配によって地中海西部で他の列強に睨みを利かせ\nる重要拠点を得ることにもなる。モロッコの領土保全および独立に責任\nを負う旨明言すべきだろうか?;;;;;;;;;;X ACT165066A;フランスのモロッコ介入に抗議する;;;;;;;;;;X EVT165067N;モロッコが新たな国際会議を要求;;;;;;;;;;X EVT165067D;我が国の支援が支えとなって、モロッコの軍事・財政面における統治行為を乗っ取ろうとするフランスの要求に対し、モロッコはこれを拒絶した。そして西洋列強のモロッコにおける役割を規制すべく国際会議を招集したいと、我が国に対しモロッコは支援を求めてきている。こうすることで、この地域でのフランスの野望に実にうまく釘をさせることになるだろう。;;;;;;;;;;X EVT165067D;我が国の支援が支えとなって、モロッコの軍事・財政面における統治行\n為を乗っ取ろうとするフランスの要求に対し、モロッコはこれを拒絶した。\nそして西洋列強のモロッコにおける役割を規制すべく国際会議を招集\nしたいと、我が国に対しモロッコは支援を求めてきている。こうすることで\nこの地域でのフランスの野望に実にうまく釘をさせることになるだろう。;;;;;;;;;;X EVT165069N;ドイツが仏西両国によるモロッコ介入に抗議;;;;;;;;;;X EVT165069D;1911年にフランスとスペインがモロッコに対し次々と介入していったことで、多くのドイツ人戦略家は、これをドイツが有する北アフリカでの利権と国際社会での威信にとっての脅威だとみなしている。そして一部からは、海軍をモロッコ沖に派遣して不満を表明するとともに、別の土地をドイツに補償名目で譲渡するよう求めるべきだとの声が上がっている。;;;;;;;;;;X EVT165069D;1911年にフランスとスペインがモロッコに対し次々と介入していったことで、\n多くのドイツ人戦略家は、これをドイツが有する北アフリカでの利権と国\n際社会での威信にとっての脅威だとみなしている。そして一部からは、\n海軍をモロッコ沖に派遣して不満を表明するとともに、別の土地をドイツ\nに補償名目で譲渡するよう求めるべきだとの声が上がっている。;;;;;;;;;;X ACT165069A;モロッコ沖に小艦隊を派遣する;;;;;;;;;;X ACT165069B;戦争の可能性に見合う価値がない;;;;;;;;;;X EVT165070N;イギリスがアガディール危機の解決を提案;;;;;;;;;;X EVT165070D;モロッコに関してフランスとの間に紛争が起こっているが、イギリス政府はこれの解決に向けて申し出を送ってきた。イギリスが尋ねてきたところによれば、フランスによるモロッコ支配を承認する対価としてフランスに要望する補償について、回答して欲しいとのことだ。;;;;;;;;;;X EVT165070D;モロッコに関してフランスとの間に紛争が起こっているが、イギリス政府は\nこれの解決に向けて申し出を送ってきた。イギリスが尋ねてきたところに\nよれば、フランスによるモロッコ支配を承認する対価としてフランスに要望\nする補償について、回答して欲しいとのことだ。;;;;;;;;;;X ACT165070A;コンゴ河の航行権を求める;;;;;;;;;;X ACT165070B;モロッコのスース谷の支配を求める;;;;;;;;;;X ACT165070C;紛争へのイギリスの調停を拒む;;;;;;;;;;X ACT165071A;コンゴ河盆地への参入権を求める;;;;;;;;;;X EVT165073N;アガディール危機解決へのドイツの要求をフランスが呑む;;;;;;;;;;X EVT165073D;モロッコをフランスが支配することについて我が国が求めていた補償を、フランスは供与することになった。;;;;;;;;;;X EVT165073D;モロッコをフランスが支配することについて我が国が求めていた補償を、\nフランスは供与することになった。;;;;;;;;;;X EVT165074N;アガディール危機解決へのドイツの要求をフランスが拒む;;;;;;;;;;X EVT165074D;モロッコをフランスが支配することについて我が国が求めていた補償に対し、フランスは不快感をあらわにした。;;;;;;;;;;X EVT165074D;モロッコをフランスが支配することについて我が国が求めていた補償に\n対し、フランスは不快感をあらわにした。;;;;;;;;;;X ACT165074A;戦争するに機は熟していない;;;;;;;;;;X ACT165074B;フランスに道理というものを教えてやらねば;;;;;;;;;;X EVT165075N;ニャムウェジをドイツの保護領に?;;;;;;;;;;X EVT165075D;ドイツ東アフリカ会社はタンガニーカ地方の内陸交易を十分に支配することができずにいた。そこで顧問のなかには、ニャムウェジの国内問題にドイツがより大きな支配力を行使できるようにしてはと主張するものもいる。イシケ王に対して保護領化条約を提案すべく、使節団を派遣すべきだろうか?;;;;;;;;;;X EVT165075D;ドイツ東アフリカ会社はタンガニーカ地方の内陸交易を十分に支配する\nことができずにいた。そこで顧問のなかには、ニャムウェジの国内問題に\nドイツがより大きな支配力を行使できるようにしてはと主張するものもい\nる。イシケ王に対して保護領化条約を提案すべく、使節団を派遣すべ\nきだろうか?;;;;;;;;;;X ACT165075A;タボラに使節を送れ;;;;;;;;;;X ACT165075B;今は沿岸部の開発に集中しよう;;;;;;;;;;X EVT165076N;イシケ王がドイツの保護を拒む;;;;;;;;;;X EVT165076D;イシケ王は我々の保護領化提案を断ってきた。そして彼はドイツの外交官をタボラから追放し、ニャムウェジ領内におけるドイツ商人の活動を禁止した。また報告によれば、イシケ王はイギリスやベルギーに外交支援を要請しているようだ。東アフリカにおけるドイツの地位は勢力均衡下にある。;;;;;;;;;;X ACT165076B;内陸部はそれほど重要じゃない;;;;;;;;;;X EVT165076D;イシケ王は我々の保護領化提案を断ってきた。そして彼はドイツの外\n交官をタボラから追放し、ニャムウェジ領内におけるドイツ商人の活動を\n禁止した。また報告によれば、イシケ王はイギリスやベルギーに外交支\n援を要請しているようだ。東アフリカにおけるドイツの地位は勢力均衡下\nにある。;;;;;;;;;;X ACT165076B;内陸部はそれほど重要でもない;;;;;;;;;;X EVT165077N;ヘレロをドイツの保護領に?;;;;;;;;;;X EVT165077D;南西アフリカ保護領の宣言によっても、内陸部を直接統治できるようになった訳ではなかった。だが内陸部ではナマ人とヘレロ人が長年にわたって戦争を繰り広げており、ヘレロ側と交渉した感触では、採掘権や市場参入権と引き換えに、彼らもドイツの保護を喜んで受け入れるかもしれない。;;;;;;;;;;X EVT165077D;南西アフリカを保護領とする宣言をしたものの、内陸部を直接統治でき\nるようになった訳ではなかった。だが内陸部ではナマ人とヘレロ人が長年\nにわたって戦争を繰り広げており、ヘレロ側と交渉した感触では、採掘\n権や市場参入権と引き換えに、彼らもドイツの保護を喜んで受け入れ\nるかもしれない。;;;;;;;;;;X ACT165077A;ヘレロに使節を送る;;;;;;;;;;X EVT165078N;ヘレロがドイツの保護を受容;;;;;;;;;;X EVT165078D;我々が申し出ていた保護領化に対し、ヘレロ人らはこれに同意した。そして彼らが敵対してきたナマ人を我々の影響下におくことについて、ヘレロ人はドイツと協力するのに乗り気である。;;;;;;;;;;X EVT165078D;我々が申し出ていた保護領化に対し、ヘレロ人らはこれに同意した。\nそして彼らが敵対してきたナマ人を我々の影響下におくことについて、\nヘレロ人はドイツと協力するのに乗り気である。;;;;;;;;;;X EVT165079N;ナマをドイツの保護領に?;;;;;;;;;;X EVT165079D;1880年代半ばから、ドイツ当局は南西アフリカに使節を送り、ナマ人の指導者であるヘンドリック・ウィトブーイを説得してドイツの覇権を認めさせようとした。しかしこれまでのところその試みは拒否されており、最近上がってきた報告によれば、ウィトブーイはケープタウンのイギリス当局に支援を求めて協議中だとのことだ。ウィトブーイへの影響力を確保するため、最後の試みを行うべきだろうか?;;;;;;;;;;X EVT165079D;1880年代半ばから、ドイツ当局は南西アフリカに使節を送り、ナマ人の\n指導者であるヘンドリック・ウィトブーイを説得してドイツの覇権を認めさ\nせようとした。しかしこれまでのところその試みは拒否されており、最近上\nがってきた報告によれば、ウィトブーイはケープタウンのイギリス当局に支\n援を求めて協議中だとのことだ。ウィトブーイへの影響力を確保するため\n最後の試みを行うべきだろうか?;;;;;;;;;;X ACT165079A;ナマに最終的な使節団を送る;;;;;;;;;;X EVT165080N;ドイツのアダマワ介入;;;;;;;;;;X EVT165080D;ソコト・カリフ国を構成しているヨラのスルタン領をイギリスは侵略した。これに対してドイツは、イギリスが東進してアダマワのスルタン領を狙っているのではないか、そうすればドイツはチャド湖に進出する機会を永遠に失ってしまうと考えている。この地域でドイツが影響力を行使できるようにするため、保護領化条約の締結に向けてアダマワに使節を送るべきだろうか?;;;;;;;;;;X EVT165080D;ソコト・カリフ国を構成しているヨラのスルタン領をイギリスは侵略した。こ\nれに対してドイツは、イギリスが東進してアダマワのスルタン領を狙ってい\nるのではないか、そうすればドイツはチャド湖に進出する機会を永遠に失\nってしまうと考えている。この地域でドイツが影響力を行使できるように\nするため、保護領化条約の締結に向けてアダマワに使節を送るべきだ\nろうか?;;;;;;;;;;X ACT165080A;アダマワに使節を送る;;;;;;;;;;X EVT165081N;アダマワがドイツの保護に同意;;;;;;;;;;X EVT165081D;我々が申し出ていた保護領化に対し、アダマワのスルタンがこれに同意した。これでチャド湖に進出することができるようになった。;;;;;;;;;;X EVT165081D;我々が申し出ていた保護領化に対し、アダマワのスルタンがこれに同意\nした。これでチャド湖に進出することができるようになった。;;;;;;;;;;X EVT165003N;フリードリヒ・ヴィルヘルムIV世がケルンの大聖堂に訪れる;;;;;;;;;;X EVT165003D;ケルンの大聖堂は1248年に建築が開始されたが、資金不足のため1528年\nに建築が中断され、何世紀もの間、未完成のままの姿をケルンの街の景\n色に映しつづけてきた。しかし1842年9月4日、フリードリヒ・ヴィルヘ\nルムIV世とケルンの大司教ヨハネス・フォン・ギーゼルによって、つい\nに建築を再開した。この出来事により、数十年にも及ぶプロイセン王家\nとカトリックとの対立に終止符を打たれる。;;;;;;;;;;X ACT165003A;つまりは、われわれ全てクリスチャンなのだ!;;;;;;;;;;X EVT165004N;ケルンの大聖堂が完成!;;;;;;;;;;X EVT165004D;623年の月日を経て、ケルンの大聖堂は今日完成した!高さ157メートル\nの世界一高い建築物だ。;;;;;;;;;;X ACT165004A;素晴らしい!世界中の注目を集めているぞ!;;;;;;;;;;X EVT165005N;ドイツのステイタスシンボル、アンハルター駅;;;;;;;;;;X EVT165005D;建築家フランツ・シュヴェヒテンによってデザインされた新たな建築物、\nベルリンのアンハルター駅は、6年の建設期間を経た後の1880年6月15日、\n皇帝ヴィルヘルムI世の御前で公開された。;;;;;;;;;;X ACT165005A;ほお!素晴らしい仕事だ;;;;;;;;;;X EVT165006N;ヴィルヘルムII世がテレフンケンを設立;;;;;;;;;;X EVT165006D;偉大なる電気製品企業、AEGとシーメンスは無線電信の異なる特許のこ\nとで言い争っていた。皇帝ヴィルヘルムII世の特別な要請で、シーメン\nス、ブラウン、AEGは、1903年5月27日にベルリンで無線電信のための企\n業を設立する。共同会社の商標は、「テレフンケン」が選ばれた。;;;;;;;;;;X ACT165006A;素晴らしい新会社だ!;;;;;;;;;;X ACT165006B;結構!産業はもう十分ある;;;;;;;;;;X EVT165007N;文化闘争(説教壇条項);;;;;;;;;;X EVT165007D;カトリック政党(中央党)とローマカトリック教会に対する文化闘争は、\n文部大臣アダルベルト・ファルクの強力な指導の元、1871年にスタート\nする。それは聖職者による政治主張を伴う説教を禁ずる法律をもたらし\nた。(説教壇条項).;;;;;;;;;;X ACT165007A;彼らに制限を加えよう!;;;;;;;;;;X ACT165007B;ばかな!これは急進的だ!;;;;;;;;;;X EVT165008N;プロイセンの学校法;;;;;;;;;;X EVT165008D;プロイセンの法律は、学校の国有化を推し進め、ローマカトリックの聖\n職者を教職から排除した。;;;;;;;;;;X ACT165008A;いい法律だ!;;;;;;;;;;X ACT165008B;やるがいい!;;;;;;;;;;X EVT165009N;プロイセンの教会法;;;;;;;;;;X EVT165009D;プロイセン憲法の教会政策(15と18)に関連する条項修正の後、聖職者の\n養成と任免、教会について扱う王立裁判所の設立、などなどについて、\n「五月法」によって国教の監視を検査する。;;;;;;;;;;X ACT165009A;憲法改正を許可する!;;;;;;;;;;X ACT165009B;だめだ!;;;;;;;;;;X EVT165010N;旧プロイセン教会の教義改革;;;;;;;;;;X EVT165010D;1873年に、ラインの教会は旧きプロイセンのルター教会の教義が適用さ\nれるであろう。カトリックの連中には面白くないだろうがな!;;;;;;;;;;X ACT165010A;改革を許可する!;;;;;;;;;;X ACT165010B;いかん!;;;;;;;;;;X EVT165011N;追放法と民事婚;;;;;;;;;;X EVT165011D;1874年、プロイセン憲法は民事婚を強制(1875年9月には帝国全土に広まっ\nた)。ローマカトリック教徒教区の教会の職務を帝国法で管理し(追放\n法)ローマカトリックの聖職者からの反発を買った。;;;;;;;;;;X ACT165011A;いい法律だ!;;;;;;;;;;X ACT165011B;だめだ!;;;;;;;;;;X EVT165012N;カトリックに資金は無用;;;;;;;;;;X EVT165012D;1875年、ローマカトリック教会への助成金の供給が禁止される(パン籠\n法)。ローマカトリックの司教は逮捕されるか追放され、その教会区は\n空位となった。;;;;;;;;;;X ACT165012A;カトリックにやる金はない!;;;;;;;;;;X ACT165012B;ばかな!;;;;;;;;;;X EVT165013N;文化闘争を収束させるための三つの「法制緩和」(1883まで);;;;;;;;;;X EVT165013D;1880年から1883年まで、文化闘争を段階的に鎮静化に向かわせるための、\n三つの「法制緩和」があった。;;;;;;;;;;X ACT165013A;文化的平和を目指そう!;;;;;;;;;;X ACT165013B;容赦無用!;;;;;;;;;;X EVT165014N;文化闘争の終結;;;;;;;;;;X EVT165014D;1873年に施行された「五月法」の撤廃により、1887年、文化闘争は終わ\nりを告げた。;;;;;;;;;;X ACT165014A;よろしい!文化的平和だ!;;;;;;;;;;X ACT165014B;まだまだ!;;;;;;;;;;X EVT165015N;ビスマルク暗殺;;;;;;;;;;X EVT165015D;ローマカトリック教徒の職人、エトゥアルト・フランツ・ルードヴィッ\nヒ・クルマンは、教会法への憤りから、1874年7月にバート・キッシン\nゲンにて、ビスマルクの暗殺を実行に移した。しかし、ビスマルクは生\nき延びた!護衛を増やさねばならない!!!;;;;;;;;;;X ACT165015A;テロリストどもめ!;;;;;;;;;;X EVT165016N;容疑者を確保!;;;;;;;;;;X EVT165016D;入念な捜査の結果、捜査官はビスマルク暗殺犯を確保した!素晴らしい!\n暗殺犯の処遇はどうするか?;;;;;;;;;;X ACT165016A;彼は公正なる法廷によって裁かれる!;;;;;;;;;;X ACT165016B;情状酌量の余地あり!;;;;;;;;;;X EVT165017N;急進的なプロテスタント!;;;;;;;;;;X EVT165017D;ビスマルク暗殺未遂と、暗殺犯の解放への反応として、急進的なプロテ\nスタント達はローマカトリックの施設に赴き、カトリック教会から略奪\nをおこなった!最初のローマカトリック教職者の殺人があってからは、\n軍の統制下で治安回復がおこなわれた!;;;;;;;;;;X ACT165017A;復讐だ!;;;;;;;;;;X EVT165018N;ビスマルクは平和的国家ドイツ帝国を宣言;;;;;;;;;;X EVT165018D;国民的英雄として名高いビスマルクは、新しい帝国の首相となった。外\n交政策において、彼は仏墺独露の欧州列強間の平和維持に専念した。ビ\nスマルクは、ヨーロッパにおけるドイツの位置は、戦争が起こったとき、\nそれに巻き込まれ国土を荒らされるであろうということを確信していた。\n彼は、ドイツが隣国にこれ以上の領有権主張を、おこなわないであろう\nことを、他の列強国に述べた。;;;;;;;;;;X ACT165018A;ヨーロッパに平和を;;;;;;;;;;X ACT165018B;ドイツ人は神以外、畏れるものは何もない;;;;;;;;;;X EVT165020N;カトリック教徒の保護;;;;;;;;;;X EVT165020D;教皇領政府と教皇は、速やかにドイツのカトリック教徒への弾圧を、や\nめるよう求めてきた。;;;;;;;;;;X ACT165020A;国内問題に干渉するな!;;;;;;;;;;X ACT165020B;彼らを保護しよう!;;;;;;;;;;X EVT165021N;カトリック教徒の保護;;;;;;;;;;X EVT165021D;イタリア政府と教皇は、速やかにドイツのカトリック教徒への弾圧を、\nやめるよう求めてきた。;;;;;;;;;;X ACT165021A;国内問題に干渉するな!;;;;;;;;;;X ACT165021B;彼らを保護しよう!;;;;;;;;;;X EVT165022N;ヴェーバー暴動;;;;;;;;;;X EVT165022D;機織り職工のグループは、賃上げ要求のため、シュレジエンのペーテル\nスヴァルダウとランゲンビーラウに集結した。しかし彼らの要求は拒絶\nされ、ペーテルスヴァルダウの工場は破壊された。この反乱は、軍隊に\nよって血を流しながら鎮圧された。;;;;;;;;;;X ACT165022A;軍を派遣せよ!;;;;;;;;;;X ACT165022B;彼らの要求する物を与えればよい!;;;;;;;;;;X EVT165023N;報道規制;;;;;;;;;;X EVT165023D;オットー・フォン・マントイフェル首相(1850-1858)政権下のプロイセ\nン政府が1851年にうちだした政策が、報道の自由に対する制限である。\n政府にとって都合の良い方向へと世論を操作するために、プロイセン行\n政部は懲戒規則を作成した。;;;;;;;;;;X ACT165023A;報道は管制されるべきだ!;;;;;;;;;;X ACT165023B;報道に自由を!;;;;;;;;;;X EVT165024N;検閲法;;;;;;;;;;X EVT165024D;1854年、すべての報道に厳しい検閲を義務づける法律が制定される。;;;;;;;;;;X ACT165024A;いいぞ!;;;;;;;;;;X ACT165024B;報道に自由を!;;;;;;;;;;X EVT165025N;オラニエンブルガー通りのシナゴーグ;;;;;;;;;;X EVT165025D;ベルリン、オラニエンブルガー通りのシナゴーグ(ユダヤ教の聖堂)は\nエドゥアルド・クノーブラオホによって1859年に完成された。プロイセ\nンのユダヤ人たちは、この新しい建物に満足している!;;;;;;;;;;X ACT165025A;おお、ベルリンのシナゴーグ!;;;;;;;;;;X EVT165030N;イタリアが我々に許可を求める;;;;;;;;;;X EVT165030D;オスマン帝国は日に日に衰え、その敵は全方面に存在していた。当時、\nヨーロッパの新興国であったイタリアは、十分な植民地獲得を達成でき\nていなかった。イタリアは北アフリカに目先を変えた。そこは激震に揺\nれるオスマン帝国の最後の砦であった。これはイタリアにとっての絶好\nの機会であったが、彼らは列強の支援を必要としていた;;;;;;;;;;X ACT165030A;イタリアを支援しよう;;;;;;;;;;X ACT165030B;承諾しかねる;;;;;;;;;;X ACT165031A;無視する;;;;;;;;;;X ACT165040A;承諾;;;;;;;;;;X ACT165040B;却下;;;;;;;;;;X ACT165042B;無視する;;;;;;;;;;X EVT165044N;ウィーン条約;;;;;;;;;;X EVT165044D;我々はデンマークを、完膚なきまでに打ちのめした。デンマークはシュ\nレスヴィッヒを割譲しなければならない。;;;;;;;;;;X ACT165044A;勝利!;;;;;;;;;;X EVT165045N;ルクセンブルク戦争;;;;;;;;;;X EVT165045D;フランスは国境を越え、ラインラントの奥深くに向けて進軍中である。\nこの戦争を終わらせる時がきた。;;;;;;;;;;X ACT165045A;和平を提案;;;;;;;;;;X ACT165045B;戦うのだ;;;;;;;;;;X EVT165046N;ドイツはルクセンブルク戦争に勝利;;;;;;;;;;X EVT165046D;対仏戦の勝利によって、我々はルクセンブルクを購入することが出来る\nのを暗にほのめかした。;;;;;;;;;;X ACT165046A;やっちまえ;;;;;;;;;;X ACT165046B;やめておけ;;;;;;;;;;X EVT165047N;ドイツはルクセンブルク戦争に勝利;;;;;;;;;;X EVT165047D;フランスは敗れ、ルクセンブルクは我らのものとなった。;;;;;;;;;;X ACT165047A;最高だ!;;;;;;;;;;X EVT165048N;ドイツの提案は却下;;;;;;;;;;X EVT165049N;ドイツの提案は承諾;;;;;;;;;;X ACT165049A;最高だ;;;;;;;;;;X ACT165068B;ドイツが侮辱された。フランスに罰を与えねば;;;;;;;;;;X ACT165079A;ナマに最後の使節を送る;;;;;;;;;;X ACT165080A;アダマワに使節を送る;;;;;;;;;;X EVT165100N;完全なるドイツ統一の時;;;;;;;;;;X EVT165100D;フランクフルト国民議会の結果を受けて、北ドイツ連邦が発足した。今\nこそ、全ドイツの指揮をとる時だ。;;;;;;;;;;X ACT165100A;北ドイツ諸邦に併合を提案しよう;;;;;;;;;;X ACT165100B;その必要はない;;;;;;;;;;X EVT165101N;ドイツ統一の時?;;;;;;;;;;X EVT165101D;全ドイツ民族が統一について語っている...我々を取り囲む列強国の手\nから、自らを守る唯一の方法は、同じ旗の下に統一されることである。\n統一についての投票を提案しよう。;;;;;;;;;;X ACT165101A;全てのドイツ諸邦に併合を提案しよう;;;;;;;;;;X ACT165101B;その必要はない;;;;;;;;;;X EVT165102N;北ドイツ連邦は併合を拒絶;;;;;;;;;;X EVT165102D;北ドイツ連邦は我々の提案を拒絶した。;;;;;;;;;;X ACT165102A;最悪だ;;;;;;;;;;X EVT165103N;南ドイツ連邦は併合を拒絶;;;;;;;;;;X EVT165103D;南ドイツ連邦は我々の提案を拒絶した。;;;;;;;;;;X ACT165103A;最悪だ;;;;;;;;;;X ####### 165K Germany flavor #######;;;;;;;;;;;X EVT165150N;初飛行;;;;;;;;;;X EVT165150D;カール・ヤトーはハノーファー近辺にて、飛行機の試験に成功した。彼\nは3メートルの高度を維持して65メートル近くの距離を飛行した。;;;;;;;;;;X EVT165151N;英仏海峡を越えて;;;;;;;;;;X EVT165151D;グスタフ・ハメルは、ブレリオXIで初の英仏海峡横断飛行を成し遂げた。;;;;;;;;;;X EVT165152N;フーゴ・ユンカース;;;;;;;;;;X EVT165152D;著名な航空設計技師、フーゴ・ユンカースは、輸送および軍用に適した\n双発飛行機の試験を成功させた。;;;;;;;;;;X EVT165260N;トルキスタンへの遠征;;;;;;;;;;X EVT165260D;アルベルト・グリューンウェーデル教授は、清領トルキスタンで考古\n学調査の遠征をおこなうために、ベルリン民族博物館から資金援助を求\nめた。;;;;;;;;;;X ACT165260B;そのような計画のために出せる金は無い;;;;;;;;;;X EVT165261N;千仏洞;;;;;;;;;;X EVT165261D;グリューンウェーデル教授の遠征隊は、寺院として使われていたと思わ\nれる、何百もの仏陀の絵によって飾られた信じがたい洞窟を発見したと\n報告してきた。その描画スタイルはインドの影響を示唆している。;;;;;;;;;;X ACT165261A;大変よろしい;;;;;;;;;;X EVT165262N;トルファンの古文書;;;;;;;;;;X EVT165262D;グリューンウェーデル教授の遠征隊は、トルファンの周辺で、多数の古\n文書を発見したと報告してきた。古文書は、25の文字体系、および15の\n言語で書かれている。;;;;;;;;;;X ACT165262A;大変よろしい;;;;;;;;;;X EVT165263N;黒水城 -カラホト-;;;;;;;;;;X EVT165263D;グリューンウェーデル教授の遠征隊は、失われた都市、カラホトの位置\nを確認したと報告してきた。建築物跡は、祭儀を執り行う僧侶をかたどっ\nた、20もの等身大の粘土彫刻に守られ、古文書を保存した状態で発見さ\nれた。;;;;;;;;;;X ACT165263A;大変よろしい;;;;;;;;;;X EVT165264N;楼蘭の廃墟;;;;;;;;;;X EVT165264D;グリューンウェーデル教授の遠征隊は、サマルカンドとブハラの古代語\nと思われる言語で書かれた文字の刻まれた石版の発見を報告してきた。\nカロシティ文字の石版の発見は、古代インドの帝国が中国の外れに存在\nしたことを示唆している。;;;;;;;;;;X ACT165264A;大変よろしい;;;;;;;;;;X EVT165265N;清が出土物の返還を要求;;;;;;;;;;X EVT165265D;清の大使は、グリューンウェーデル遠征隊がトルキスタンから持ち帰っ\nた出土物を、戻すよう求めてきた。;;;;;;;;;;X ACT165265A;断る;;;;;;;;;;X ACT165265B;出土物を返還せよ;;;;;;;;;;X