08/05/07 翻訳おわり

 ####### 213K MEXICO #######;;;;;;;;;;;X,,
 ACT14800A;戦争になるぞ!;;;;;;;;;;X
 ACT14800B;猛烈に抗議する;;;;;;;;;;X
 ACT14805A;戦争になるぞ!;;;;;;;;;;X
 ACT14805B;示威に過ぎん。好きにさせておけ;;;;;;;;;;X
 EVT14815N;レフォルマ戦争;;;;;;;;;;X
 EVT14815D;新憲法が制定されたのを受けて、教会支持派と改革支持派の間の諍いが内戦に発展した。;;;;;;;;;;X
 ACT14815A;戦火だ!;;;;;;;;;;X
 ACT14816A;自由!;;;;;;;;;;X
 EVT213001N;ペイストリー戦争;;;;;;;;;;X
 EVT213001D;1838年、メキシコに住むとあるフランス人菓子職人から訴えがあった。それによれば自分の店舗が荒らされたとのことだが、しかし彼はフランス政府とルイ・フィリップに対して補償を求めてしまったのだ。これに応じたフランス政府から、60万ペソもの借款を全額返済するよう督促が送られてきた。;;;;;;;;;;X
 ACT213001A;そんなお粗末な菓子職人などいらん!拒否せよ;;;;;;;;;;X
 ACT213001B;彼の作るケーキが恋しい。払い込もう;;;;;;;;;;X
 EVT213002N;戦争回避に向けた最後のチャンス;;;;;;;;;;X
 EVT213002D;フランスが砲艦を派遣してきた。サンフアン・デ・ウロアの要塞が砲撃を\n受け、ベラクルス港も掌握されてしまった。軍事力を誇示するようなこ\nうした行為に対し、借款を返済するか対仏開戦を認めるかの岐路に\nメキシコ政府は立たされている。;;;;;;;;;;X
 ACT213002A;そうかそうか、話はまとまった;;;;;;;;;;X
 ACT213002B;なんと酷い、引き続き拒否せよ;;;;;;;;;;X
 EVT213005N;海外からの投資;;;;;;;;;;X
 EVT213005D;海外からの投資を呼び込むため、政府は奨励金を出そうかと\n考えている。;;;;;;;;;;X
 ACT213005A;奨励金を出そう;;;;;;;;;;X
 ACT213005B;奨励など不要だ;;;;;;;;;;X
 EVT213010N;教育改革;;;;;;;;;;X
 EVT213010D;ガビーノ・バレダをトップに据えた政府系委員会から、新しく作成した\nカリキュラムと教育の義務化についての提言があった。;;;;;;;;;;X
 EVT213011N;アメリカ合衆国からの投資;;;;;;;;;;X
 EVT213011D;我が国の産業に海外から投資を呼び込もうとしていることについて、\n政府の奨励金が功を奏しているようだ。;;;;;;;;;;X
 EVT213012N;ベリーズ購入;;;;;;;;;;X
 EVT213012D;メキシコの協議担当者が、ベリーズの購入についてイギリス政府に取引\nを申し出ている。この協議を進めていくべきだろうか?;;;;;;;;;;X
 ACT213012A;購入を打診する;;;;;;;;;;X
 ACT213012B;いや、買ってはいけない;;;;;;;;;;X
 EVT213013D;ベリーズの購入について、イギリスが同意してくれた!;;;;;;;;;;X
 ACT213013A;ようこそ、ベリーズ!;;;;;;;;;;X
 EVT213014D;ベリーズの購入について、イギリスはこれを拒否してきた。;;;;;;;;;;X
 ACT213014A;イングランドめ、呪われろ!;;;;;;;;;;X
 EVT213015N;イギリスからの投資;;;;;;;;;;X
 EVT213016N;フランスからの投資;;;;;;;;;;X
 EVT213017N;ドイツからの投資;;;;;;;;;;X
 EVT213017D;我が国へ海外から投資を呼び込もうとしていることについて、\n政府の奨励金が功を奏することとなった。;;;;;;;;;;X
 EVT213023N;アユトラ計画;;;;;;;;;;X
 EVT213023D;自由主義者のリーダーであるメルチョール・オカンポとベニート・フアレスは\n新政府樹立に向けた宣言を発した。;;;;;;;;;;X
 ACT213023A;自由派を支持する;;;;;;;;;;X
 ACT213023B;穏健派を支持する;;;;;;;;;;X
 ACT213023C;保守派を支持する;;;;;;;;;;X
 EVT213024N;フアレス法;;;;;;;;;;X
 EVT213024D;フアレス法が可決されると、軍人や貴族層の持っていた特権がなくなり、\nさらに教会関係者の民事事件を裁いていた教会裁判所の司法権も\n否定されることになる。これにより、あらゆるメキシコ人は法の下で平等\nであるとの原則が確立され、ある程度までは公正さも復活することだろ\nう。;;;;;;;;;;X
 ACT213024A;法案を通過させろ;;;;;;;;;;X
 ACT213024B;度が過ぎている;;;;;;;;;;X
 EVT213025N;レルド法;;;;;;;;;;X
 EVT213025D;レルド法が可決されると、教会は宗教目的に使っていないあらゆる財\n産を売却しなければならなくなる。これにより、民衆は利益を享受するこ\nとになるだろう。土地についても、かつての賃借人が買い上げない場合\nは競売にかけれらることになった。;;;;;;;;;;X
 EVT213026D;これまでメキシコの教育は教会に牛耳られてきた。この特権を廃止して\n民衆に学校を与えるべきかという問題には、広く大衆の関心が集まって\nいる。;;;;;;;;;;X
 ACT213026A;教育を教会から取り上げろ;;;;;;;;;;X
 ACT213026B;教会に支配させておけ;;;;;;;;;;X
 EVT213027N;新憲法;;;;;;;;;;X
 EVT213027D;強い行政府と安定した立法府、これを定める新憲法の制定は、\nメキシコが引き続き繁栄していくためにぜひとも必要なものだ。;;;;;;;;;;X
 ACT213027A;新憲法に改革を体現させる;;;;;;;;;;X
 ACT213027B;改革を移ろいやすいままにする;;;;;;;;;;X
 ACT213027C;改革を守るため、再び独裁制をたてる;;;;;;;;;;X
 EVT213028N;主体的な外交活動;;;;;;;;;;X
 EVT213028D;われらが隣人とより良くやっていくためには、主体的な外交活動を\nすすめていかねばならない。;;;;;;;;;;X
 ACT213028A;北アメリカと同盟;;;;;;;;;;X
 ACT213028B;ヨーロッパと同盟;;;;;;;;;;X
 ACT213028C;ヨーロッパからの借款で資金を調達する;;;;;;;;;;X
 EVT213029N;タクバヤ計画;;;;;;;;;;X
 EVT213029D;フェリクス・スロアガ将軍は教会や軍部の協力を得て、軍事力でもって\n政権から自由派を排除し、投獄してしまった。;;;;;;;;;;X
 ACT213029A;信仰と特権を!;;;;;;;;;;X
 EVT213030N;連邦主義者の騒乱;;;;;;;;;;X
 EVT213030D;アメリカ合衆国との開戦当時、メキシコ軍の上層部は戦勝を予想して\nいた。兵士の装備、規律ともに高い水準にあり、また幾度もの革命騒\nぎで実践訓練を積んでいたためだ。だが中央集権派の軍隊はたちどこ\nろに敗北を重ね、軍の上層部は驚きのあまり騒然となった。さらにこの\n敗戦のため、アカプルコとグアダラハラで敗戦に景気付いた連邦派が反\n乱を起こし、さらにベラクルスとメキシコシティーでは守備隊が逃亡する\n始末だった。;;;;;;;;;;X
 ACT213030A;災厄だ!;;;;;;;;;;X
 EVT213031N;アメリカ合衆国が進歩派を支援;;;;;;;;;;X
 EVT213031D;アメリカ合衆国は自由派を支援している。彼らのために保守派は\nメキシコ湾を封鎖できないでいるようだ。;;;;;;;;;;X
 ACT213031A;これは心に留めておかねば;;;;;;;;;;X
 EVT213032N;アメリカ合衆国が教会派を支援;;;;;;;;;;X
 EVT213032D;アメリカ合衆国は保守派を支援している。彼らの支援を得て行われた\nメキシコ湾封鎖により、自由派は海上からの武器や物資の補給を\n絶たれた格好だ。;;;;;;;;;;X
 EVT213033N;アメリカの支援が終わる;;;;;;;;;;X
 EVT213033D;レフォルマ戦争は自由派の勝利に終わり、アメリカ合衆国の支援も\nもはや必要なくなった。;;;;;;;;;;X
 EVT213034N;アメリカの介入が終わる;;;;;;;;;;X
 EVT213034D;レフォルマ戦争は自由派の勝利に終わった。アメリカ合衆国はメキシコ\n湾岸の海上封鎖に尽力していたが、それも終わりを迎えることになった。;;;;;;;;;;X
 EVT213035N;レフォルマの大鉈;;;;;;;;;;X
 EVT213035D;レフォルマ戦争に勝った自由派は、教会への復讐を始めた。祭壇や教\n会の外装、説教台、さらには懺悔室までもが手斧で叩き壊された。聖\n人像は首を落とされ、銃弾で蜂の巣にされたあげく火を放たれた。財\n物も文献も持ち去られ、宗教書は燃やされた。カトリック僧侶はメキシ\nコを追われたが、なかには石打で死亡するものもあった。;;;;;;;;;;X
 ACT213035A;信教と良心の自由を!;;;;;;;;;;X
 EVT213036N;マクシミリアンの改革;;;;;;;;;;X
 EVT213036D;メキシコへのフランス軍駐留により、文学や芸術が刺激を受けて栄える\nようになったが、実証主義のような哲学体系も同時にもたらされた。ま\nたマクシミリアン皇帝は新法を起草して、先住民の救済と権利保護に\n関する諮問機関を設立したが、皇帝はそれに加えて、信教の自由およ\nび教会財産の国有化に関してベニート・フアレスが以前出した布告す\nら承認したのである。;;;;;;;;;;X
 ACT213036A;マクシミリアン万歳!;;;;;;;;;;X
 EVT213037N;皇帝の処刑;;;;;;;;;;X
 EVT213037D;マクシミリアンに出廷命令が下されたが、彼は「皇帝に対し司法権は\n行使し得ない」と主張してこれを拒んだ。そして彼の不在のうちに死刑\nが宣告された結果、皇帝はケレタロ市を見渡せる「鐘の丘」で銃殺隊\nにより処刑された。結局のところ最後に残されたのは自由派であり、\n彼らは新憲法とレフォルマ法令に基づいてメキシコをとりまとめていく\nことになった。;;;;;;;;;;X
 ACT213037A;メキシコ万歳!;;;;;;;;;;X
 EVT213038N;アメリカ合衆国の武器供給が終わる;;;;;;;;;;X
 EVT213039N;ナバホ人のセボジェータ襲撃;;;;;;;;;;X
 EVT213039D;ナバホ人がセボジェータ近辺を襲撃している。;;;;;;;;;;X
 ACT213039A;助けてくれ!;;;;;;;;;;X
 EVT213040N;ナバホのサビナル襲撃;;;;;;;;;;X
 EVT213040D;リオグランデのサビナル近郊で、ナバホ人の襲撃が発生した。;;;;;;;;;;X
 EVT213041N;兵力の解体;;;;;;;;;;X
 EVT213041D;皇帝が処刑されたのち、ベニート・フアレスは数万人もの兵力を解散さ\nせることにした。フアレスの考えでは、メキシコにこのような大軍を養う余\n裕はなかったのだ。しかし軍司令官のなかには、これに不平を隠さない\n者もいる。;;;;;;;;;;X
 ACT213041A;撃ち払え!;;;;;;;;;;X
 EVT213042N;ヤキ人が峡谷をめぐり防戦;;;;;;;;;;X
 EVT213042D;ソノラに住むヤキ人が、神から与えられたと信じて疑わない峡谷を守る\nために反乱軍へと身を投じた。自由派による土地法の施行で、峡谷が\n取り上げられるのではないかと彼らは考えたのだ。;;;;;;;;;;X
 ACT213042A;この地は我々の領土だ!;;;;;;;;;;X
 EVT213043N;ノリア計画;;;;;;;;;;X
 EVT213043D;ベニート・フアレスには、改革が未遂のまま終わってしまうのではという不\n安が付き纏っていた。そのため彼は議会に手を回し、立候補時に有利\nとなるよう選挙制度を改正させたあげく、秘密投票や自由投票の原則\nを台無しにしてしまうべく働きかけを続けていたのだ。そうしてフアレスが\n二度目の再選を果たしたが、これを拒む一派は任期を守るべきだと主\n張し、反乱軍として蜂起した。だがその中には軍の英雄だったポルフィリ\nオ・ディアスもいたのだ。彼は当初連邦軍から逃げ回っていたが、その最\n中、フアレスが心臓発作で死去したとの一報が入ってきた。;;;;;;;;;;X
 ACT213043A;「投票は有効、再選なし」;;;;;;;;;;X
 EVT213044N;トゥシュテペック計画;;;;;;;;;;X
 EVT213044D;ポルフィリオ・ディアスは、投票で勝てなくなると政権を転覆してしまった。\nそして政権の座につくや、すぐさま権力基盤の強化に取り掛かった。州\n知事の選定や軍司令官の入れ替えなどを通じて行政、軍事、司法の\n支配を掌握し、また後援者やマスメディアへは根回しを怠らず、そして教\n会の支持についてもこれを取り付けるべく奔走したのである。ディアスは\n無政府状態を終わらせなければ経済発展も起こりえないと信じていた\nのだ。;;;;;;;;;;X
 ACT213044A;秩序と進歩を!;;;;;;;;;;X
 EVT213045N;クルソブの新しいリーダー;;;;;;;;;;X
 EVT213045D;ユカタンのマヤ人反乱軍であるクルソブに、ボニファシオ・ノベロという\n新たな指導者が現れた。彼のもとクルソブはラディーノに対し攻勢を\nかけている。;;;;;;;;;;X
 EVT213046N;イギリスのユカタン攻撃;;;;;;;;;;X
 EVT213046D;サンペドロとイカイチェに住むマヤ人らがイギリスに対し、ベリーズ侵略を\nちらつかせて恐喝をはたらいた。これを受けてイギリスはユカタンへ先制\n攻撃をかけることにした。;;;;;;;;;;X
 ACT213046A;戦争になるぞ!;;;;;;;;;;X
 ACT213046B;好きにさせておけ;;;;;;;;;;X
 EVT213047N;ディアスのプエブラ掌握;;;;;;;;;;X
 EVT213047D;自由派が皇帝に対して二度目の戦争を仕掛けている頃、\nポルフィリオ・ディアスは皇帝の監獄から抜け出して挙兵し、\nプエブラの支配を掌握した。;;;;;;;;;;X
 ACT213047A;ディアス万歳!;;;;;;;;;;X
 EVT213048N;チアパスのカスタ戦争;;;;;;;;;;X
 EVT213048D;チアパスで「空から石が降ってくる」という事件があった。これを土着の\n先住民は神々からのメッセージと捉え、それに従い彼らはメキシコ人に\n抗って蜂起した。掛け声に応えて終結した先住民の数は、数千人に\nのぼった。;;;;;;;;;;X
 EVT213049N;メキシコがテキサスに和平を提案;;;;;;;;;;X
 EVT213049D;連邦派のとなえる理念によれば、中央政府はテキサスの自己決定権を\n承認すべきである。だがそのためには、テキサスもその対価を補償しなけ\nればならない。テキサスがこの前に示してきたところによれば、500万ドル\nまでなら支払う用意があるとの事だった。;;;;;;;;;;X
 ACT213049A;和平を進める;;;;;;;;;;X
 ACT213049B;テキサスはメキシコの一部だ;;;;;;;;;;X
 EVT213050N;テキサスが和平を受諾;;;;;;;;;;X
 EVT213050D;テキサスが和平を受諾した。;;;;;;;;;;X
 EVT213051N;アルタ・カリフォルニア売却;;;;;;;;;;X
 EVT213051D;アルタ・カリフォルニアとは、現在のカリフォルニア州、ネバダ州、ユタ州そし\nてアリゾナ州にあたる領域である。アメリカ合衆国は以前からこの地域\nの領有主張を唱えており、またそれと並行して進められた植民事業に\nより、多くのアングロサクソン系住民が居住するようになっている。彼ら植\n民者はアメリカ合衆国への割譲および合流を求めているが、連邦主義\nによれば、彼らの自己決定権は尊重されなければならない。そこで我が\n国はアメリカ合衆国に対し、2500万ドルを補償額としたアルタ・カリフォ\nルニア売却案を提示することとなった。;;;;;;;;;;X
 ACT213051A;取引を申し出よう;;;;;;;;;;X
 ACT213051B;アルタ・カリフォルニアはメキシコの一部だ;;;;;;;;;;X
 EVT213052N;アメリカ合衆国がアルタ・カリフォルニアを購入;;;;;;;;;;X
 EVT213052D;アルタ・カリフォルニア購入に関して、アメリカ合衆国はこれに\n同意することになった。;;;;;;;;;;X
 EVT213053N;アメリカ連合国がソノラとチワワを併合;;;;;;;;;;X
 EVT213053D;ソノラやチワワはメキシコの一州でありながら、その州知事はまるで封建\n領主のように振舞う地域となっていた。アメリカ連合国はその彼らを説き\n伏せて自国に併合させるべく、テキサス志願騎兵第四連隊のジェーム\nズ・ライリー大佐を派遣した。その結果、州知事らは連合国との取引に\n応じメキシコ中央政府の権威を否定することになってしまった。;;;;;;;;;;X
 EVT213054N;アメリカ連合国がソノラとチワワの対価を支払う;;;;;;;;;;X
 EVT213054D;アメリカ連合国は、ソノラおよびチワワの対価を支払っても良いと\n回答してきた。;;;;;;;;;;X
 ACT213054A;和平を保とう;;;;;;;;;;X
 EVT213055N;ソノラとチワワをめぐりアメリカ連合国が宣戦;;;;;;;;;;X
 EVT213055D;アメリカ連合国はソノラとチワワの対価を払うつもりはないと主張し、\nさらに宣戦布告をかけてきた。;;;;;;;;;;X
 ACT213055A;なんて事を!;;;;;;;;;;X
 EVT213056N;アルタ・カリフォルニア割譲の危機;;;;;;;;;;X
 EVT213056D;アルタ・カリフォルニアの政治家に、フアン・バウティスタ・アルバラードという\n人物がいた。彼はかの地が独立すべきだと訴えてメキシコ中央政府に\n叛旗を翻し、結局これに成功して州知事となった。反乱当初に数多く\nいた政敵のうち、ロサンゼルスやサンディエゴのものはアルバラードの手で\n鎮圧された。さらに南部に残っていた派閥も、アルバラードがメキシコの\n州知事としての立場から外れなかったことで、その疑いの目を解くことに\nなった。;;;;;;;;;;X
 ACT213056A;彼を知事にしよう;;;;;;;;;;X
 ACT213056B;反乱など粉砕してしまえ;;;;;;;;;;X
 ACT213056C;アルタ・カリフォルニアを衛星国としよう;;;;;;;;;;X
 EVT213060N;ポルフィリオ・ディアスが自由選挙を公言;;;;;;;;;;X
 EVT213060D;独裁者ポルフィリオ・ディアスがインタビューのなかで体制放棄を公言した\nそれによれば、メキシコには民主制を導入する素地ができている。そのた\nめ野党が出てくるならばそれを歓迎し、また現行の任期が切れれば引\n退するつもりだ、とのことだ。このインタビューが公表されると、メキシコは\nまもなく大騒ぎになった。だが実際のところ、メキシコの政治体制につい\nてディアスは改革に向けて何一つ手を打たなかった。;;;;;;;;;;X
 EVT213061N;フランシスコ・マデロの正論;;;;;;;;;;X
 EVT213061D;チワワに住む若く裕福な地主であるフランシスコ・マデロは、何年にもわ\nたって民主主義の理想を唱え続けてきた。そして彼はその著書の中で\nディアス体制を「家父長政治」だと酷評して否定し、メキシコは崖っぷち\nに立たされていると予測した。そうしてまもなく彼の本はベストセラーにな\nり、マデロ自身も反再選党を結党してディアス大統領に立ち向かうこと\nになるのだった。;;;;;;;;;;X
 ACT213061A;「巨象に立ち向かう細菌」とはよく言ったものだ;;;;;;;;;;X
 EVT213062N;ポルフィリオ・ディアスが前言を撤回;;;;;;;;;;X
 EVT213062D;反再選党が結党されたのを受けて、独裁者ポルフィリオ・ディアスは引\n退するとの公約を反故にしてしまった。そしてフランシスコ・マデロは投獄\nされたが、彼は自身の投獄されているサンルイス・ポトシの刑務所から、\nメキシコの大衆に向かって立ち上がるよう声をあげていった。;;;;;;;;;;X
 EVT213064N;ヤキ人がカヘメのもとで団結;;;;;;;;;;X
 EVT213064D;ヤキ人の歴史のなかで最もたぐいまれな指導力を発揮したリーダーとい\nえば、それはカヘメだろう。カヘメとはヤキ語で「水を飲まぬ者」を意味す\nる彼のあだ名であり、その本名はホセ・マリア・レイバといった。彼はもと軍\n人で、ヤキ平定戦を含め多くの戦いに身を投じて軍功をあげ、その働き\n振りが評価されてヤキ地方の治安判事に登用された。だがその任期を\n務め上げると、ヤキ人の自治が達成されるまで中央政府を承認しない\nとの声をあげるようになったのである。;;;;;;;;;;X
 EVT213065N;ヤキ領の侵略;;;;;;;;;;X
 EVT213065D;ソノラ州知事に着任したカルロス・オルティスは、州の主権という観念に\n心を奪われて周りが見えなくなっている人物であった。当時の北部国境\n地帯ではソノラ州兵がアパッチ掃討戦に従事していたのだが、オルティス\nはこれが連邦軍との共同戦であることを不満とし、クーデター疑惑をでっ\nちあげて州兵を引き上げてしまった。だがこうした行為の滑稽さには周\n囲も気が付くようになる。すると彼は先住民の反乱が今にも起こりそうだ\nと主張し、弟に軍を与えて先住民領に攻め込ませた。だが彼らはカヘメ\n率いるヤキ人に敗れ、追い返されてしまったのである。;;;;;;;;;;X
 EVT213066N;カヘメ暗殺の試み;;;;;;;;;;X
 EVT213066D;メキシコ当局はカヘメ暗殺を試み、かつて彼に追放されたヤキの首長\nをけしかけようとした。だがこれが成功することはなく、ソノラのアシエンダ\n(大農場)や牧場、鉄道駅はカヘメ一味による大規模な襲撃を受ける\nことになってしまった。こうしたヤキ人の反乱は、最終的にカヘメが拘束、\n処刑されるまで続くことになる。;;;;;;;;;;X
 EVT213067N;ヤキの撤退;;;;;;;;;;X
 EVT213067D;非凡な指導者カヘメを処刑により失ったヤキ人だったが、彼ら反乱軍\nは家族を引き連れてバカテテ山地に篭り、当局への反抗を続けていくこ\nとになった。それまで無名だったテタビアテ(転がる石、の意)がカヘメに\n代わって台頭し、彼の指揮のもとでグアイマス近辺のアシエンダを襲撃し\nていったのである。それから和平協定が結ばれるまでの10年以上、テタ\nビアテはヤキ人の指導者として戦いを続けることになる。;;;;;;;;;;X
 EVT213068N;ヤキ人が再び蜂起;;;;;;;;;;X
 EVT213068D;1899年、バクムおよびビカムの両植民地で砲声があがった。ヤキ人が\n再び反乱を起こしたのだ。そして大軍となったヤキ人叛徒はヤキ地方で\nメキシコ軍と戦い、その多くが死亡した。この戦いで生き延びた3000人\nの反乱軍らは山岳地帯に逃げ込み、マソコバという平原に築城して抵\n抗を続けたが、最終的には政府軍の手により撃破されることとなった。;;;;;;;;;;X
 EVT213069N;ポルフィリオ・ディアスがヤキを平定;;;;;;;;;;X
 EVT213069D;ヤキ人の反乱問題に終止符を打ったのはポルフィリオ・ディアスだった。\n彼はヤキ人の大半を一網打尽に捕らえて事実上の奴隷とし、ユカタン\nにあるサイザル麻プランテーションや、オアハカのサトウキビ農場へと送致\nしてしまったのだ。そして当局の拘束を免れたヤキ人も大半がアリゾナに\n逃れ、反乱軍の活動すべき基盤がヤキの地からいなくなってしまった。そ\nの後彼らの土地は接収され、競売にかけられていくことになる。;;;;;;;;;;X
 EVT213070N;ポルフィリオ・ディアスがユカタンを平定;;;;;;;;;;X
 EVT213070D;ポルフィリオ・ディアスの一隊がユカタンで勝利を収めた。これにより、\nユカタンのラディーノを何十年も苦しめてきた政治不安は終わりを\n迎えることとなった。;;;;;;;;;;X
 EVT213071N;ポルフィリオ・ディアスがマヤを平定;;;;;;;;;;X
 EVT213071D;ポルフィリオ・ディアスはユカタンに住むマヤ人を完全に征服してしまうこと\nにし、イグナシオ・ブラーボ将軍にその任を与えた。彼らクルソブも武器を\n取って応戦したが、モーゼル銃に機関銃、速射砲を配備していたブラー\nボ部隊に敵うはずもなく打ちのめされてしまった。そして政府軍がユカタ\nンの首都を制圧するとクルソブの多くはベリーズへと避難し、残った者は\n事実上の奴隷として、メキシコ各地にあるアシエンダでの労働に駆り出\nされることになった。カスタ戦争はついに終結したのだ。;;;;;;;;;;X
 EVT213101N;サンハシントの戦い;;;;;;;;;;X
 EVT213101D;メキシコ軍は罠にはまった。テキサス軍に裏をかかれて記録的な大敗を\n喫してしまったのだ。メキシコ軍の指令将官が捕虜となり、テキサス当局\nの手によって彼はベラスコ条約に調印させられてしまう。こうしてテキサス\nの独立は承認され、しかもその条文はテキサス側に有利なように書かれ\nたものが採用されることになった。;;;;;;;;;;X
 ACT213101A;彼らから取り上げるのはよそう;;;;;;;;;;X
 ACT213101B;条約を受け入れよう;;;;;;;;;;X
 ACT213101C;反乱軍なぞ粉砕してしまえ!;;;;;;;;;;X
 EVT213102N;第二のベラスコ条約?;;;;;;;;;;X
 EVT213102D;テキサスおよびその同盟国のアメリカ合衆国により、メキシコ軍は\n打ちのめされてしまった。どうしようか?;;;;;;;;;;X
 ACT213102A;我が方に勝ち目はない;;;;;;;;;;X
 ACT213102B;反乱軍のようなクズと取引はしない!;;;;;;;;;;X
 EVT213103D;またしても我が軍はテキサスに敗北した。どうしようか?;;;;;;;;;;X
 EVT213104D;テキサスが再三にわたり送ってきた和平案を、我々はすべて一蹴してい\nる。しかしテキサスを実効支配する反体制派を屈服させるのはもはや不\n可能なのが実情だ。平和を得るためには、もしかすると彼らの条件を呑\nむことが必要になってくるかもしれない。;;;;;;;;;;X
 EVT213105N;テキサスが国境を侵害;;;;;;;;;;X
 EVT213105D;テキサスとメキシコの国境地帯での緊張により、\n危機的事態が起こることとなってしまった。;;;;;;;;;;X
 ACT213105A;戦争になるぞ!;;;;;;;;;;X
 ACT213105B;示威にすぎん。やらせておけ;;;;;;;;;;X
 EVT213106N;テキサスがソノラ購入を打診;;;;;;;;;;X
 EVT213106D;メキシコ北部のソノラについて、テキサスがこれを購入したいと\n打診してきた。;;;;;;;;;;X
 EVT213108N;ニューメキシコの反乱;;;;;;;;;;X
 EVT213108D;テキサスはニューメキシコに対する領有主張を固めようと、サンタフェ遠征\n隊を送り込んできた。彼らはニューメキシコに到達すると、アルミホ州知\n事のもとへ分隊を送り込んで接見させた。こうした示威行為を見せ付け\nられたこともあって、現地住民の中に潜む反乱分子らは、ニューメキシ\nコはテキサスに割譲されるべきだと主張して公然と反乱を起こすことにな\nった。;;;;;;;;;;X
 EVT213109N;ブエナビスタ購入;;;;;;;;;;X
 EVT213109D;ブエナビスタを購入したいと、デザレットが我が国と接触してきた。;;;;;;;;;;X
 EVT213111N;テキサスのユカタン介入;;;;;;;;;;X
 EVT213111D;ユカタンの反乱軍との接触をはかるため、テキサス政府はユカタン内部\nに密使を派遣してきた。そして反乱軍とテキサスのあいだで協定が結ば\nれ、メキシコの脅威が去るまでのあいだテキサスの保護国となることを条\n件に、ユカタン共和国はテキサスの承認を受けられることになった。彼ら\nマヤ人叛徒は、テキサス士官のもとで非正規軍ながら部隊として戦える\n体制を整えつつある。;;;;;;;;;;X
 EVT213112N;デザレットの挑発;;;;;;;;;;X
 EVT213112D;デザレットとメキシコの国境地帯での緊張により、危機的事態が起こる\nこととなってしまった。;;;;;;;;;;X
 ACT213112B;相手にしなければいい;;;;;;;;;;X
 EVT213113N;テキサスが和平を模索;;;;;;;;;;X
 EVT213113D;1839年、テキサス共和国のラマー大統領は、和平交渉を行わせるため\nにバーナード・ビーをメキシコへと送り込んできた。;;;;;;;;;;X
 ACT213113B;テキサスの独立を承認する;;;;;;;;;;X
 EVT213114N;リオグランデ共和国;;;;;;;;;;X
 EVT213114D;コアウィラ、ヌエボレオン、タマウリパスといったメキシコ北東部の連邦派の\nリーダーらは中央政府との縁を切って新連邦を作ろうと画策し、その結\n果リオグランデ共和国の建国という構想が浮かび上がった。そこで彼ら\nはテキサスのラレドに集まり、メキシコからの独立を宣言した。;;;;;;;;;;X
 ACT213114A;リオグランデ万歳!;;;;;;;;;;X
 EVT213115N;テキサスがメキシコ北部に介入;;;;;;;;;;X
 EVT213115D;ヌエボレオンの反乱軍との接触をはかるため、テキサス政府はヌエボレオ\nン内部に密使を派遣してきた。そして反乱軍とテキサスのあいだで協定\nが結ばれ、メキシコの脅威が去るまでのあいだテキサスの保護国となるこ\nとを条件に、リオグランデ共和国はテキサスの承認を受けられることにな\nった。彼ら反乱軍は、テキサス士官のもとで非正規軍ながら部隊として\n戦える体制を整えつつある。;;;;;;;;;;X
 EVT213116N;ユカタンでの反乱;;;;;;;;;;X
 EVT213116D;メキシコで中央集権派の政権が誕生するとユカタンは一個の軍管区と\nされ、その自治性も著しく失われていった。これに異を唱えてユカタン独\n立を唱道し、中央政府に対して反乱を起こしたのが、ユカタンにあった\n民兵組織の部隊長を務めていたサンティアゴ・イマーンである。反乱当\n初は政府軍が優勢だったが、彼はこれを打開するため、マヤ人から大\n義のために戦ってくれる兵士を募ろうとした。そのためにイマーンが公約と\nして打ち出したのが、当時民衆を苦しめていた教会税額の引き下げで\nある。これに対する反応は絶大なものだった。;;;;;;;;;;X
 ACT213116A;反乱軍など粉砕してしまえ!;;;;;;;;;;X
 EVT213117N;テキサスのユカタン介入;;;;;;;;;;X
 EVT213117D;テキサスの出した和平案は、メキシコ側の断固とした拒否にあって実現\nしなかった。そこでテキサス政府は、ユカタンの反乱軍との接触をはかる\nためにユカタン内部に密使を派遣してきた。そして反乱軍とテキサスの\nあいだで協定が結ばれ、メキシコの脅威が去るまでのあいだテキサスの\n保護国となることを条件に、ユカタン共和国はテキサスの承認を受けら\nれることになった。彼らマヤ人叛徒は、テキサス士官のもとで非正規軍\nながら部隊として戦える体制を整えつつある。;;;;;;;;;;X
 EVT213118N;ユカタンがメキシコへ再統合;;;;;;;;;;X
 EVT213118D;ユカタンはその努力の甲斐あって、メキシコ中央政府との交渉のテーブ\nルにつけることになった。そこで合意されたのが、メキシコシティー側が自\n治を認めるならば、ユカタンはメキシコの一州として連邦に復帰するとい\nうものだった。そしてユカタン州内では、議会がマヤ志願兵と交わした減\n税公約を果たすときが来てしまった。しかし軍に入隊した者はあまりに\n多く、志願兵の全員に報奨を与えるのは不可能だと考えられたため、\n結局これは延期されたのみであった。;;;;;;;;;;X
 ACT213118A;おかえり!;;;;;;;;;;X
 EVT213119N;ユカタンで再度蜂起;;;;;;;;;;X
 EVT213119D;前の内戦で結ばれた条約においてユカタンは種々の権利を勝ち取った\nが、サンタ・アナはこれらの自治権を奪い取るべく大統領布告を発する\nようになった。これはユカタンとの協定をないがしろにする行為だったため\n結果としてユカタンで再び反乱が起こるようになった。;;;;;;;;;;X
 ACT213119A;自由を!;;;;;;;;;;X
 EVT213120N;カリフォルニアがバハ・カリフォルニア購入を打診;;;;;;;;;;X
 EVT213120D;バハ・カリフォルニアを購入したいと、カリフォルニアが我が国へ\n接触してきた。;;;;;;;;;;X
 EVT213122N;カリフォルニアの国境侵犯;;;;;;;;;;X
 EVT213122D;カリフォルニアとメキシコの国境地帯での緊張により、危機的事態が\n起こることとなってしまった。;;;;;;;;;;X
 EVT213123N;イギリスのユカタン介入;;;;;;;;;;X
 EVT213123D;ユカタンの叛徒はイギリスへの併合を請願しイギリスもこれを受け入れた\nそして両者の間で条約が結ばれ、ユカタンはイギリスの保護国として承\n認されることになった。彼らマヤ人叛徒は、イギリス士官のもとで非正規\n軍ながら部隊として戦える体制を整えつつある。;;;;;;;;;;X
 EVT213124D;ブエナビスタを購入したいと、テキサスが我が国に接触してきた。;;;;;;;;;;X
 EVT213126N;テキサスの煽動;;;;;;;;;;X
 EVT213127N;ユカタンへの最後通牒;;;;;;;;;;X
 EVT213127D;サンタ・アナは再び政権の座につくと、遠征軍を派遣するぞと脅しをかけ\nつつユカタンの分離主義者に最後通牒を突きつけた。その結果として、\n志願兵には土地が供与されとともに教会税も減免されるとの公約が発\nせられ、これに応じたユカテク人が武器をとり、マヤ人もこぞって軍へと入\n隊していった。;;;;;;;;;;X
 EVT213128N;戦後の大混乱;;;;;;;;;;X
 EVT213128D;アメリカ合衆国との戦争に敗れたことで、メキシコ国内は\n大混乱に陥った。;;;;;;;;;;X
 EVT213129N;サンタ・アナの帰還;;;;;;;;;;X
 EVT213129D;1841年10月9日、4頭の白馬に曳かれた豪華な馬車に乗って\nサンタ・アナはメキシコシティーに入城し、暫定職ながらメキシコ\n大統領の座に返り咲いた。彼はテキサスへの敵意を引き続き\n煽り立てていこうとしている。;;;;;;;;;;X
 ACT213129A;ことを進める;;;;;;;;;;X
 ACT213129B;利害対立を避ける;;;;;;;;;;X
 EVT213130N;アリスタ将軍の声明;;;;;;;;;;X
 EVT213130D;メキシコ陸軍の北部司令官であるマリアーノ・アリスタ将軍は、モンテレー\nで声明を発表し「テキサス軍管区」へ侵攻するつもりだとの考えを明ら\nかにした。テキサス人が独立しようとどう足掻いたところでそれは無駄に\n終わるだろうとアリスタ将軍は断言する一方で、今回の侵攻作戦中に\n中立を貫く者には特赦と保護を与えようとの公約も発表した。;;;;;;;;;;X
 ACT213130A;我々の決意を表明するんだ;;;;;;;;;;X
 ACT213130B;内々に伝えればよいのでは?;;;;;;;;;;X
 EVT213131N;テキサス侵攻;;;;;;;;;;X
 EVT213131D;1842年上旬、メキシコ軍はテキサスに侵攻しゴリアド、レフュジオ、ヴィク\nトリアといった都市を次々と落としていき、そして最前線はサンアントニオ\nに迫っている。テキサス側は防衛するに足りる兵力がすぐには集まらない\nと知ると矢継ぎ早に撤退を重ね、メキシコは労せずしていくつもの町を\n手中に収めることができた。そんな状況下にあったテキサスだが、のちに\n重要人物となるアレクサンダー・サマヴェルが招集に応じ民兵を率いて\n集まったのもこの時である。;;;;;;;;;;X
 ACT213131A;兵を引く;;;;;;;;;;X
 ACT213131B;押し通す;;;;;;;;;;X
 EVT213132N;1824憲法の再制定;;;;;;;;;;X
 EVT213132D;革命で大勝利をおさめたのは連邦派の側だった。そして彼らの手により\n1824年憲法が再制定されることとなった。;;;;;;;;;;X
 EVT213133N;コーパスクリスティへの先制攻撃;;;;;;;;;;X
 EVT213133D;メキシコがサンアントニオを攻略したのを受けて、テキサスでは自国が非\n常事態にあるとの声明を発表し、資金提供と志願兵への参加をアメリ\nカ合衆国市民に呼びかけた。これに応じた志願兵はコーパスクリスティ\nに集結したが、アントニオ・カナレス・ロシージョ率いるメキシコ軍は、彼ら\n志願兵が部隊に組み込まれるまでに叩いてしまおうと考えている。;;;;;;;;;;X
 ACT213133A;突撃だ!;;;;;;;;;;X
 ACT213133B;あくまで監視するだけだ;;;;;;;;;;X
 EVT213134N;カスタ戦争の爆発;;;;;;;;;;X
 EVT213134D;カスタ戦争は起こったものの、反乱軍を率いていた一人であるハシント・\nパットが和平に応じた。この際に合意した内容は多岐にわたる。マヤ人\nには自治権と土地利用権が解放されたほか、これまで教会に納めてき\nた税金は廃止されて手数料も減額、さらには負債によらない奴隷が解\n放されて酒税もなくなることになった。しかしこの条約にはハシント・パッ\nトをマヤの支配者とする項目が書き記されており、そのために他のマヤ\n人グループはこれを拒絶することになってしまった。こうして彼らはさらなる\n暴力行為へと追いやられていくことになったのだ。;;;;;;;;;;X
 EVT213135N;サンアントニオ掌握;;;;;;;;;;X
 EVT213135D;サンタ・アナは引き続きテキサス領内を混乱に陥らせようとした。サンアン\nトニオ攻撃のため、アドリアン・ボール将軍にその任を与えたのだ。将軍\nは部隊にリオグランデ河を渡り対岸にあるイーグルパスに奇襲をかけさせ\nたところ、イーグルパスの守備隊はメキシコ正規軍に攻められていると知\nるや降参してしまった。さらに将軍はサラドクリークに軍を進め、そこに集\n結していたテキサス軍を攻撃する。結局メキシコ軍はこの戦いでも勝利\nし、多くの捕虜をメキシコに送致しつつ、サンアントニオから撤収してリオ\nグランデ方面へと帰っていったのである。;;;;;;;;;;X
 ACT213135A;奴らにメキシコの剣の切れ味を教えてやろう;;;;;;;;;;X
 ACT213135B;今はまだその時ではない;;;;;;;;;;X
 EVT213136N;マヤ人が田畝に戻る;;;;;;;;;;X
 EVT213136D;当時、マヤの反乱は最高潮に達しようとしていた。しかしそれは突然、\n潮が引くように弱まっていったのである。トウモロコシ刈取りの時期がやっ\nてきたことがその原因で、多くのマヤ人はそれを神聖な責務だと考えて\nおり、彼らが畑に戻っていったことで反乱が沈静化したのだ。さらにユカ\nタン西部のマヤ人が、同じマヤの反乱軍ではなくラディーノらを支援する\nようになったのもその理由につけ加えられる。いずれにせよこの期間から\nラディーノのもとには外国の同調者から資金や物資が届くようにもなった。;;;;;;;;;;X
 ACT213136A;潮目が変わった;;;;;;;;;;X
 EVT213137N;テキサスの報復;;;;;;;;;;X
 EVT213137D;メキシコが以前行ったテキサス侵攻への報復として、1842年にサマヴェ\nル遠征軍がメキシコへと派遣された。メキシコに近いテキサス共和国の\nサンアントニオには、栄誉と略奪品が得られると聞いた志願兵が続々と\n集結していき、そして11月25日、彼らはサンアントニオを発って進軍し\nラレドとゲレロを制圧した。;;;;;;;;;;X
 ACT213137A;ただの襲撃だとみなす;;;;;;;;;;X
 EVT213138N;ミエールの戦い;;;;;;;;;;X
 EVT213138D;アレクサンダー・サマヴェルは配下の民兵らに対し任務を終えて帰宅す\nるように命じたが、その多くは従わなかった。そして1842年12月25日の\n午後、彼らテキサス民兵はリオグランデを渡ってミエールに攻撃を仕掛け\nた。この戦いにおけるテキサス側の死傷者が僅か30人だったのに対し、\nメキシコ軍は死者600人、負傷者200人という大損害を蒙った。しかし\nテキサス兵は飲食品に加えて弾薬類にも事欠いており、最終的にこの\n戦いはメキシコの勝利に終わった。;;;;;;;;;;X
 EVT213141N;モンテスマ事件;;;;;;;;;;X
 EVT213141D;1842年、メキシコ政府は軍艦の購入のため、リバプールとロンドンのリサ\nルディ社と契約を結んだ。発注された二隻の軍艦はそれぞれグアダルー\nペとモンテスマと名づけられ、乗組員はイギリスで募集されたほか、艦船\n自体もイギリス人士官のもとでベラクルス港まで送られることになった。;;;;;;;;;;X
 ACT213141A;軍艦を発注しよう;;;;;;;;;;X
 ACT213141B;必要ないな;;;;;;;;;;X
 EVT213142N;軍艦が足止めを食らう;;;;;;;;;;X
 EVT213142D;メキシコの軍艦購入を止めさせようとテキサスが圧力をかけてきた。そし\nてグアダルーペとモンテスマの両艦船は、イギリス政府の手によりメキシコ\n到着前に足止めを食らい、さらに契約の無効まで言い渡されることに\nなってしまった。;;;;;;;;;;X
 ACT213142A;これは心に留めておかねば;;;;;;;;;;X
 EVT213143N;軍艦の到着;;;;;;;;;;X
 EVT213143D;テキサスは抗議したものの、グアダルーペ号とモンテスマ号が\nメキシコに到着した。;;;;;;;;;;X
 ACT213143A;素晴らしい!;;;;;;;;;;X
 EVT213152N;シウダーゲレロ宣言;;;;;;;;;;X
 EVT213152D;モンテレー生まれの著名な弁護士であったアントニオ・カナレスは、1838\n年、シウダーゲレロである声明文を発表した。ここで彼は連邦主義的な\n1824年憲法を採用しなおすことを要求し、中央集権主義の現政権を\n批判した。;;;;;;;;;;X
 ACT213152A;連邦主義だ!;;;;;;;;;;X
 EVT213153N;連邦派の反乱;;;;;;;;;;X
 EVT213153D;シウダーゲレロ宣言を聞いた民衆は、フランスによる海上封鎖もあって、\n1824年憲法の支持を訴えて団結するようになった。;;;;;;;;;;X
 EVT213154N;テキサスが連邦派に加入;;;;;;;;;;X
 EVT213154D;テキサスのラマー大統領はメキシコ政府に対し、独立を承認しないのな\nらば武力攻撃に踏み切るとの脅しをかけている。だがリューベン・ロス、フ\nアン・セギン、そしてウィリアム・フィッシャーに率いられたテキサス軍の一隊\nは、リオグランデ河を渡りメキシコ国内の連邦派と合流した。ラマー大統\n領は戻るよう呼びかけたが、彼らがそれに応えることはなかった。;;;;;;;;;;X
 ACT213154A;盗賊とみなす;;;;;;;;;;X
 EVT213155N;連邦派の反乱が拡大;;;;;;;;;;X
 EVT213155D;連邦派はその地盤を得て、サルティージョからタンピコにわたる地域で\nいくつかの都市を掌握した。;;;;;;;;;;X
 EVT213156N;連邦派がフランスを支援;;;;;;;;;;X
 EVT213156D;全国にいる連邦派が、フランスを支援するために民兵となって蜂起した。;;;;;;;;;;X
 ACT213156A;呪われろ!;;;;;;;;;;X
 EVT213157N;連邦派がテキサスを支援;;;;;;;;;;X
 EVT213157D;メキシコとテキサスの間で戦争が勃発すると、メキシコ国内の連邦派は\nテキサスと同盟を結んだ。;;;;;;;;;;X
 EVT213158N;ユカタンが独立を宣言;;;;;;;;;;X
 EVT213158D;ユカタンで発生した反乱は地場を得たといえるまでに拡大し、これを受\nけてユカタン半島の民衆はメキシコ支配に対して一斉に立ち上がった。\nユカタンの議会はただちに独立宣言を可決し、新憲法も起草された。\nこうして誕生した二院制議会をもつ新国家ユカタンでは、先住民も含\nめあらゆるユカタン人に等しく市民権が与えられ、信教の自由やあらゆ\nる特権の廃止も定められることになった。;;;;;;;;;;X
 EVT213159N;カスタ戦争の開幕;;;;;;;;;;X
 EVT213159D;ユカタンにおいて先住民も武器をとったことで、マヤ系住民も自己決定\n権という概念を知ることになった。そうして彼らは何世紀もの間繰り返さ\nれてきた抑圧に復讐し、ユカタンから非マヤ系の住民を追放してしまお\nうと考えるようになったのだ。;;;;;;;;;;X
 ACT213159A;仕返しだ!;;;;;;;;;;X
 EVT213160N;サンタ・アナの引退;;;;;;;;;;X
 EVT213160D;サンタ・アナはメキシコ人から再び尊敬を集められるようにはならなかった\nそこで彼は一時的に政界から身を引くことにした。;;;;;;;;;;X
 ACT213160A;事態が沈静化してきた;;;;;;;;;;X
 EVT213161N;ブスタマンテ大統領が人質に;;;;;;;;;;X
 EVT213161D;1840年7月、ホセ・ウレア将軍とバレンティン・ゴメス・ファリアス将軍に率\nいられた兵士が反乱を起こし、大統領府を襲撃してブスタマンテ大統\n領を拘束した。大統領は後ほど解放されたが、ガブリエル・バレンシア将\n軍の手を借りることでこの反乱はようやく鎮圧された。;;;;;;;;;;X
 EVT213162N;ブスタマンテ大統領の敗北;;;;;;;;;;X
 EVT213162D;1841年9月、ブスタマンテ大統領は前線に出るために議会に諮って大\n統領府を空けることにした。当時のグアダラハラでは、マリアーノ・パレデス\nやガブリエル・バレンシアといった将軍が中央政府に叛旗を翻しており、\nブスタマンテ大統領はこれを討伐しようとしたのだ。この申請は受け入れ\nられ、大統領職代行理事会の指名によって、フランシスコ・ハビエル・エ\nチェベリアが大統領代理を務めることになった。しかし不幸にも、政府軍\nは反乱軍将官の前に敗れ去ってしまったのだ。;;;;;;;;;;X
 EVT213163N;サンタ・アナの乱痴気騒ぎ;;;;;;;;;;X
 EVT213163D;サンタ・アナは政権に返り咲いたあとも多額の資金を必要とした。税率\nは指数関数的に上がっていき、借款を強要し、聖職者すらも対象とし\nて思いのままに資産没収を行った。海外の投資家に虚偽の採鉱権を\n売るような真似までしたのだ。だがこうして得た莫大な歳入は、サンタ・\nアナの個人的な欲望のため浪費されていった。そろいの軍服を着せた\n私兵に装備を買い与え、自分の栄誉をたたえるパーティーを果てしなく\n続けていくために、国費があてがわれたのである。;;;;;;;;;;X
 ACT213163A;サンタ・アナ万歳!;;;;;;;;;;X
 EVT213164N;サンタ・アナの失権;;;;;;;;;;X
 EVT213164D;サンタ・アナの政権は終わりを迎えるときがきた。財源が底を突いてしま\nい、彼を支えてきた軍事部門が支払いを受けられなくなったためだ。穏\n健派と連邦派は協同し立ち上がってサンタ・アナを国外追放とし、メキ\nシコ大統領の座にはホセ・ホアキン・エレーラがつくことになった。またサン\nタ・アナの足が葬られた墓地は暴かれ、その左足はあたりにいる群衆の\nもとに引きずり出された。;;;;;;;;;;X
 ACT213164A;エレーラ万歳!;;;;;;;;;;X
 EVT213165N;メキシコのラディーノ支援;;;;;;;;;;X
 EVT213165D;カスタ戦争が開戦すると、ユカタンのラディーノはメキシコ政府に支援を\n嘆願してきた。;;;;;;;;;;X
 ACT213165A;ラディーノを支援する;;;;;;;;;;X
 ACT213165B;自力でなんとかさせる;;;;;;;;;;X
 EVT213166N;テキサスがユカタンの連邦派を支援;;;;;;;;;;X
 EVT213166D;連邦派の反乱軍どもを助けるために、テキサス海軍がユカタンのシザー\nル港に向かっている。これらの艦船はベラクルスにいたるまでのカンペチェ\n湾を航行し、タンピコ港を10月いっぱい封鎖した。;;;;;;;;;;X
 ACT213166A;海賊とみなす;;;;;;;;;;X
 EVT213167N;テキサスがタバスコの連邦派を支援;;;;;;;;;;X
 EVT213167D;テキサスの軍艦オースティン、ザヴァラ、サン・バーナードはユカタンのブリッ\nグ船を伴って、メキシコのタバスコ州にあるサンフアン・バウティスタに姿を\n見せた。中央集権派の守備隊600人に守られたこの街を連邦派に取\nり返させよう、さらにはメキシコ南部から中央集権派を追い出してしまお\nう、そう考えたテキサス海軍はグリハルデ河(タバスコ河)を遡上してきた\nのだ。だが艦隊がやってきたとの報を聞くや、中央集権派は街を放棄し\nて逃げ出してしまった。;;;;;;;;;;X
 ACT213167A;ただの業突く張りの山賊じゃないか;;;;;;;;;;X
 EVT213168N;ユカタンがテキサス海軍を借りる;;;;;;;;;;X
 EVT213168D;中央集権派の部隊からユカタン沿岸部を防衛するため、ユカタン共和\n国はテキサスから海軍を借りてくることになった。;;;;;;;;;;X
 EVT213170N;カンペチェ湾での敗戦;;;;;;;;;;X
 EVT213170D;強大な蒸気船モクテスマと蒸気フリゲートのグアダルーペ、そして2隻のブ\nリッグと2隻のスクーナーからなるメキシコ艦隊はテキサス艦隊と遭遇し、\n航行しつつ交戦することになった。その結果モクテスマの艦長と20名の\n乗員が死亡し、メキシコ海軍はユカタン水域から追いやられてしまう。こ\nの敗戦によってメキシコ政府の遠征軍はその補給線を失い、カンペチェ\nから撤退せざるを得なくなった。;;;;;;;;;;X
 EVT213171N;サンタ・アナの独裁;;;;;;;;;;X
 EVT213171D;サンタ・アナは政権に復帰すると、絶対的な権力をもつ大統領独裁制\nを確立した。;;;;;;;;;;X
 EVT213172N;エレーラ政権の転覆;;;;;;;;;;X
 EVT213172D;アメリカ合衆国によるテキサス併合について、エレーラ大統領はこの協\n議に前向きな姿勢を示したが、これを不満とするパレデス将軍により\n政権は転覆されてしまった。;;;;;;;;;;X
 ACT213172A;パレデス万歳!;;;;;;;;;;X
 EVT213173N;サンタ・アナの台頭;;;;;;;;;;X
 EVT213173D;アメリカ合衆国との戦争が勃発すると、グアダラハラやサンルイス・ポトシの将軍らはサンタ・アナ支持の声明文を発した。そしてサンタ・アナはベラクルスに帰還し、1824年憲法の復活を宣言した。これまでメキシコを動かしてきた軍管区委員会は弾圧され、自由主義的な法律が次々と採択されて教会の財産も剥奪されることになった。;;;;;;;;;;X
 EVT213174N;サンタ・アナの陸軍創製;;;;;;;;;;X
 EVT213174D;サンタ・アナは政権につくと、アシエンダ労働者の中からより抜いてメキシ\nコ陸軍を編成した。こうした政権運営に必要な資金は、教会から巻き\n上げた資産で充当することとなった。;;;;;;;;;;X
 EVT213175N;ユカタンの中立宣言;;;;;;;;;;X
 EVT213175D;米墨戦争が開戦するとカンペチェに住むユカタン人は、ユカタンは独立\nした地域であって今回の戦争では中立を貫くと宣言した。メキシコとか\nかわりを持ち続けていれば、そのうちアメリカの軍艦が街を焼き払ってしま\nうと考えたのだ。そしてユカタン州の他の地域もカンペチェに続き、マヤ人\nのもとには土地供与と減税をするから協力するように、との使節が送ら\nれるようになった。;;;;;;;;;;X
 EVT213176N;サンタ・アナの陸軍再編;;;;;;;;;;X
 EVT213176D;サンタ・アナはその「人並み外れた編成力」を用いて陸軍の再編に\n取り掛かった。ただ彼の部隊が以前から敗戦を重ねているのは\n周知の事実だ。;;;;;;;;;;X
 EVT213177N;サンタアナが再び陸軍を再編;;;;;;;;;;X
 EVT213178N;サンタ・アナの辞任;;;;;;;;;;X
 EVT213178D;アメリカ合衆国との戦争に敗れたことでサンタ・アナの威信は失墜し、\n彼は大統領の座を辞してジャマイカへ、次いでコロンビアへと亡命する\nことになった。サンタ・アナがメキシコ国内に有していた資産の大半は\n接収されたが、それと時を同じくして、メキシコは敗戦による混乱へ\n陥ることになる。;;;;;;;;;;X
 EVT213179N;サンタ・アナ左足の国葬;;;;;;;;;;X
 EVT213179D;サンタ・アナはペイストリー戦争の際、左足をベラクルスの戦いで失って\nいる。彼のアシエンダに埋められていたその左足が、今回掘り起こされて\nメキシコシティーに運び込まれることになった。サンタ・アナの足が入った\n骨壷はパレード用の軍服を着た兵士に付き添われて、メキシコシティー\nのそこかしこを回ってからサンタパウラ墓地に入り、特注で作らせた墓に\n納められた。この祭礼には外国政府の重鎮やメキシコ外交団も参列し\nサンタ・アナ自身はこの時のために作っておいた義足をつけて、その列に\n加わった。;;;;;;;;;;X
 EVT213180N;サンタ・アナの復活;;;;;;;;;;X
 EVT213180D;アメリカ合衆国との戦争で、メキシコは国家の荒廃という深刻な事態に\n直面していた。そこで中央集権派は考えを巡らし、ヨーロッパの王室か\nらメキシコを統治してくれる者を探すことで現状を打開しようとした。だが\nそれを選ぶまでの間、国内秩序を維持していくためには軍事独裁体制\nを設ける必要がある。そこで中央集権派のトップを務めていたルーカス・\nアラマンは、手なづけやすい人物としてサンタ・アナを選定し、サンタ・アナ\nもこれを受け入れた。;;;;;;;;;;X
 EVT213181N;オカンポと司教;;;;;;;;;;X
 EVT213181D;自由派の政治家だったメルチョール・オカンポは、ミチョアカン州議会で\n教会がその活動に際して課す謝礼額について発言し、聖職者が貧困\n層を虐げていることを理由としてこれを引き下げるべきだと主張した。す\nるとある神父(モレリア司教とされる)が匿名ながら反論文を出し、オカン\nポを攻め立てた。それによると、彼の政策は信教と良心の自由を実現\nさせようとするものであり、これは神の意思に背くとのことだ。こうした論\n戦により、レフォルマは哲学分野でも始まることになったのだ。;;;;;;;;;;X
 EVT213182N;サンタ・アナの逃亡;;;;;;;;;;X
 EVT213182D;アユトラの自由主義革命の直撃を受けたサンタ・アナは、メキシコから\n逃亡して再び亡命生活に入ることとなった。;;;;;;;;;;X
 EVT213183N;新憲法の影響;;;;;;;;;;X
 EVT213183D;新憲法は共同体が土地を持てる制度を全面的に廃止することをうたっ\nているが、この条項の適用対象には教会だけでなく、先住民集落の共\n有地も入ってしまうことが明らかになった。そのため新憲法は先住民から\nの猛烈な抵抗を受けて、この条項の施行も彼らについては見送られる\nことになった。だが教会財産については引き続きその没収を図っていき、\nその結果として、大土地所有者がその領地を大幅に拡大することとなっ\nた。;;;;;;;;;;X
 EVT213184N;フアレスが脱出;;;;;;;;;;X
 EVT213184D;フアレスは保守派に逮捕されてしまい、銃殺隊の前に引き出された。し\nかしその時、詩人のギジェルモ・プリエトが両者の間に割って入り「勇気\nある人間ならば暗殺などしないはずだ!」と叫んだのだ。それを聞いた\n銃殺隊は銃口を下ろし、フアレスは命からがら脱出に成功した。彼はグ\nァナフアト、グアダラハラを経てベラクルスに逃げのび、そこで自由派政府\nをたてて保守派への抵抗運動を続けていくことになった。;;;;;;;;;;X
 ACT213184A;フアレス万歳!;;;;;;;;;;X
 EVT213185N;フアレスの恩赦布告;;;;;;;;;;X
 EVT213185D;ベニート・フアレスは自由派のリーダーであったにもかかわらず、死刑を\n宣告されていた保守派の面々に恩赦を与えた。;;;;;;;;;;X
 EVT213186N;オカンポの死;;;;;;;;;;X
 EVT213186D;武装した保守派の連中は、フアレスが彼らの特赦を申し出ているにも\nかかわらず、依然メキシコ北部を徘徊している。そして彼らの手により、\nメルチョール・オカンポ、サントス・デゴジャード将軍、レアンドロ・バージェ\n将軍といった自由派のリーダーが捕らえられ、処刑されてしまった。;;;;;;;;;;X
 ACT213186A;彼はレフォルマの英雄だ;;;;;;;;;;X
 EVT213187N;ベニート・フアレスがオアハカ州知事に;;;;;;;;;;X
 EVT213187D;1847年、ベニート・フアレスがオアハカ州知事に就任した。彼は先住民\nであるサポテク人の生まれをもつ弁護士として、法治国家とその正義を\n強く信じていたが、その一方でカトリックを篤く信仰していた。そのためフ\nアレスの任期中、彼は国家と教会が協同してやっていけるような政策を\n推し進め、「偉いお坊さん方がお上と一緒にやっていく」と体制が維持\nされることとなったのだ。;;;;;;;;;;X
 ACT213187A;信仰と社会、か;;;;;;;;;;X
 EVT213188N;オアハカで感染症;;;;;;;;;;X
 EVT213188D;オアハカでコレラが流行したが、その際フアレス州知事は対処法としてふ\nたつの戦略をとった。彼はまず病院建設を急がせるなどして、公衆衛生\nが回復するよう手を打った。だがそれに加えて、「神に許しを請うて恐る\nべき災厄から救ってくださるよう」祈るための三日間の祈願期間を宣言\nしたのだ。;;;;;;;;;;X
 ACT213188A;コレラだ!;;;;;;;;;;X
 EVT213189N;フアレスとリンカーン;;;;;;;;;;X
 EVT213189D;フアレスは1858年にメキシコシティーを追われ、アメリカ合衆国へ亡命す\nることになった。その亡命生活中、エイブラハム・リンカーンはフアレスに対\nし、彼の政権とメキシコ市民が自由を勝ち取れるようにとの私信を送っ\nている。リンカーンがアメリカ合衆国の大統領になったあとも彼ら二人の\n交友関係は続き、強くなりさえもした。そしてメキシコ皇帝と戦うフアレス\nの部隊のもとには、大量の武器や物資が送られるようになったのである。;;;;;;;;;;X
 ACT213189A;彼らは友人であり、隣人だ;;;;;;;;;;X
 EVT213190N;レフォルマが法律に;;;;;;;;;;X
 EVT213190D;戦闘も終わると、自由主義者らはその改革構想を現実のものにしてい\nった。そうした法案の多くはオカンポが起草したもので、こうした新法によ\nって教会のもっていた社会的地位は、もはや回復できないほどまでに切\nり崩されていった。教会財産は補償無しに国有化され、修道院も閉\n鎖、墓地は国有地とされた。また公務員が宗教儀礼に参加することも\n禁止されて、宗教行為の自由が保障されるようになった。;;;;;;;;;;X
 ACT213190A;信教と良心の自由を!;;;;;;;;;;X
 EVT213191N;サンタ・アナの教会支援;;;;;;;;;;X
 EVT213191D;聖職者らはサンタ・アナが養兵のために資金を必要としていると知るや、\n反教会的な法律を撤廃してくれるなら資金を出そうと申し出てきた。;;;;;;;;;;X
 EVT213192N;1837年恐慌;;;;;;;;;;X
 EVT213192D;1837年初頭、ウォール街の銀行が正貨での支払を拒むようになったの\nを皮切りに、アメリカ合衆国を沸かせていた土地投機や紙幣でのバブル\nがついにはじけてしまった。これによってアメリカ合衆国経済は破綻し、\n以降長きにわたって経済停滞が続くことになる。メキシコもこの余波を\n受け、国内経済はひどい混乱に陥った。;;;;;;;;;;X
 ACT213192A;国家的危機だ!;;;;;;;;;;X
 EVT213193N;十字架の宣託;;;;;;;;;;X
 EVT213193D;マヤ人らは大義を掲げて戦っていた。しかし彼らが敗れ去ろうとしたまさ\nにその時、フアン・デ・ラ・クルス・プックという名のマヤ人が、最終的に勝\n利するのはマヤ人だという宣託を語りかける十字架の幻影を目にした。\nこの「語る十字架」信仰はマヤ人のあいだに広まっていき、宣託自体も\n文書にしたものが回覧されだした。彼らはいつしかクルソブと呼ばれ、\n「語る十字架」の命令に従ってラディーノを攻撃するようになった。;;;;;;;;;;X
 ACT213193A;聖なる十字架だ!;;;;;;;;;;X
 EVT213194N;ユカタンがサンタ・アナと同盟;;;;;;;;;;X
 EVT213194D;サンタ・アナが権力の座に復帰すると、ユカタン政府は彼の政権と手を\n結ぶことになった。かつてユカタン半島と連邦派の重鎮らは切っても切り\n離せない関係にあったが、彼らは見捨てられることになったのだ。しかし\nサンティアゴ・イマーンの跡を継いだ彼の息子は連邦派の大義を掲げ、\nかつてカスタ戦争で戦った数千人もの退役軍人を集結させてしまった。\nしかもその反乱軍と戦うために辺境から部隊を引き上げさせた途端、ク\nルソブまでもが攻撃を仕掛けてきた。;;;;;;;;;;X
 EVT213195N;パシフィコス・デル・スール;;;;;;;;;;X
 EVT213195D;カスタ戦争が長期化するにつれ、自部族への和平が結べないかと模索\nするものがマヤ人の首長にも多く出始めた。そこで政府は恩赦の対象を\n拡大し、インディオにも武器携帯を認めることにした。こうして和平条約\nを受け入れたマヤ人は「パシフィコス・デル・スール」とよばれ、形式上な\nがらメキシコ軍士官とされた。しかしその一方で、引き続きラディーノと結\n託し彼らに軍事支援を与えているマヤ人もあった。結局のところ、最後\nまでラディーノとの戦いを続けたのはクルソブだけだったのだ。;;;;;;;;;;X
 ACT213195A;平和を;;;;;;;;;;X
 EVT213196N;コレラがユカタンを直撃;;;;;;;;;;X
 EVT213196D;1853年、致死性のコレラがユカタンを席巻し、ラディーノの10人に1人\nがその立場にかかわらず死亡する事態となった。;;;;;;;;;;X
 ACT213196A;コレラだ!;;;;;;;;;;X
 EVT213197N;クルソブの反撃;;;;;;;;;;X
 EVT213197D;ユカタン政府と反乱軍の戦いが再び始まったが、ユカタン軍は戦意喪\n失に苦しんだ。当初の作戦ではユカタン軍も目標を達成できていたもの\nの、最終的にはクルソブの反撃をうけて圧倒された。この戦いで、戦線\nに出ていた部隊の半数を超える兵士が失われてしまった。;;;;;;;;;;X
 ACT213197A;助けてくれ!;;;;;;;;;;X
 EVT213198N;ユカタンを再び連邦派が席巻;;;;;;;;;;X
 EVT213198D;サンタ・アナが大統領府を追われると、ユカタンには再び自由主義と連\n邦主義が帰ってきた。社会秩序はユカタン政府の手に戻り、国庫も支\n払能力を取り戻した。しかし不幸なことに、メリダのユカタン政府がメキ\nシコシティーから解放されたように、カンペチェもメリダからの解放を望む\n声をあげ始めたのである。そしてユカタン政府がカンペチェを叩くために\n兵を移動したことで、ラディーノを攻撃せよという「語る十字架」の宣託と\nそれに従うクルソブの蜂起を招くことになってしまったのだ。;;;;;;;;;;X
 ACT213198A;ユカタン万歳!;;;;;;;;;;X
 EVT213199N;カンペチェが戦闘を継続;;;;;;;;;;X
 EVT213199D;クルソブの脅威が根強く残るなか、カンペチェはメリダに対し、独立を求\nめて戦いを続けている。そして「語る十字架」は依然としてクルソブに対\nし、ラディーノを攻撃するよう命じている。;;;;;;;;;;X
 EVT213200N;カンペチェが独立を得る;;;;;;;;;;X
 EVT213200D;ユカタンで発生した内戦は、カンペチェとメリダの双方が疲弊を重ねたこ\nとで和平に至った。そうしてカンペチェとメリダは公式に分離されることに\nなったのである。だがこの和平合意が結ばれた直後、メリダでこれに対\nする反乱が発生した。この反乱を首謀したのは、ペドロ・アセレート大佐\nである。;;;;;;;;;;X
 EVT213201N;アセレート部隊;;;;;;;;;;X
 EVT213201D;アセレート大佐はメリダの支配を事実上その手中に収めた。そして彼が\n次に取り掛かったのは、これまでラディーノを打ち負かしてきたマヤ人への\n報復だった。クルソブの信仰拠点はヌーク・カーフ・バラム・ナー・サンタク\nルスにあったが、ユカタン軍は過去の戦いで何度もここを占領してきた。\nしかし何度占領しても、クルソブの反撃にあって圧倒され、多くの兵を\n失う結果に終わっていたのである。;;;;;;;;;;X
 ACT213201A;聖なる十字架万歳!;;;;;;;;;;X
 EVT213202N;「語る十字架」の沈黙;;;;;;;;;;X
 EVT213202D;カスタ戦争のあいだ、マヤ人は拘束した捕虜の大半を殺してしまってい\nた。さらにクルソブの指導者らがこれを積極的に進めていったことで、メ\nスティーソの出自をもつクルソブ士官の心象は悪化していき、ついに彼ら\nは捕虜虐殺を命じてきた「語る十字架」の言う事を信用しなくなったの\nだった。そしてついに、クルソブ内部で内紛が発生してしまう。こうしたな\nか組織のトップに立っていたベナンシオ・プックが殺害され、さらに十字\n架の宣託を受けてメンバーにその声を伝えていたプックの甥がその後を\n追うと、「語る十字架」は宣託を発しないようになってしまった。;;;;;;;;;;X
 ACT213202A;ベナンシオ・プックは多くの人間を殺めた;;;;;;;;;;X
 EVT213203N;ユカタンが皇帝と同調;;;;;;;;;;X
 EVT213203D;メキシコで帝政が確立すると、メリダやカンペチェの指導者は皇帝の側\nに立つことを選んだ。ユカタンは帝国の一県となり、帝国政府から派遣\nされた長官によって一元的に統治されることになった。また帝国の領土\nは南方へと、曲がりなりにも地図上はだが、ベリーズ全土にグァテマラの\nペタン県の半分を含む領域にまで拡大した。;;;;;;;;;;X
 ACT213203A;神よ、皇帝を守りたまえ;;;;;;;;;;X
 EVT213204N;皇帝軍の大敗;;;;;;;;;;X
 EVT213204D;ユカタン半島にラディーノの支配が確立すると、皇帝はクルソブ平定のた\nめに遠征軍を送った。しかし遠征軍は圧倒され、壊滅してしまった。;;;;;;;;;;X
 ACT213204A;神よ、我らを守りたまえ!;;;;;;;;;;X
 EVT213205N;皇后がユカタンに到着;;;;;;;;;;X
 EVT213205D;メキシコ皇后のマリア・カルロッタ・アマリアが、蒸気船タバスコ号に乗って\nシザール港に到着した。そして彼女がメリダ市に入城する際、サンベニー\nト砦から101発の礼砲が撃たれ、教会は鐘を鳴らし、市民からは歓声\nをもって迎えられた。そしてカルロッタはカンペチェでも同様の待遇で歓\n迎されたのであった。ユカタンへの特使としては、マクシミリアンも彼女以\n上の適任者は見つけられなかっただろう。;;;;;;;;;;X
 ACT213205A;神よ、皇后を守りたまえ;;;;;;;;;;X
 EVT213206N;皇帝の復権;;;;;;;;;;X
 EVT213206D;以前の戦いではクルソブにこっぴどくやられてしまったものの、皇帝は\n諦めなかった。成果をあげるため、さらなる軍事作戦を試みたのだ。\nこの時ばかりは皇帝軍もクルソブを追い返すのに成功している。;;;;;;;;;;X
 ACT213206A;和平を模索する;;;;;;;;;;X
 EVT213207N;共和主義者の反乱;;;;;;;;;;X
 EVT213207D;かつて優勢だったマクシミリアンだったが、今や風向きも代わり、彼は不\n利になりつつある。するとカンペチェでガルシア前知事が反乱を起こし、\nタバスコの共和主義者もガルシアらを支援するようになった。;;;;;;;;;;X
 EVT213208N;ユカタンでの帝政終焉;;;;;;;;;;X
 EVT213208D;反乱を起こしていた共和主義者らだったが、彼らが地歩を得ると、\n共和主義の大義の下に志願兵が続々と集まってきた。;;;;;;;;;;X
 EVT213210N;バンコ・デ・アビオ;;;;;;;;;;X
 EVT213210D;バンコ・デ・アビオ(興業銀行)とは、1831年にルーカス・アラマンが設立\nした銀行で、産業起業家が機械や技術を購入する際に信用貸しを行\nうことを目的としていた。しかし当時のメキシコでは社会不安が蔓延し\nており、すぐには成果が挙げられないかもしれない。;;;;;;;;;;X
 ACT213210A;産業化を進めなくては;;;;;;;;;;X
 ACT213210B;自由企業経済で対応できるだろう;;;;;;;;;;X
 EVT213211N;バンコ・デ・アビオによる産業化;;;;;;;;;;X
 EVT213211D;バンコ・デ・アビオが資金を供給するようになったおかげで、産業機械の\n購入や外国人工員の招聘などが行えるようになった。バンコ・デ・アビオ\nの行ってきた事業の正しさが証明されつつある。;;;;;;;;;;X
 ACT213211A;よし;;;;;;;;;;X
 EVT213212N;バンコ・デ・アビオによる発展;;;;;;;;;;X
 EVT213212D;バンコ・デ・アビオが資金を供給するようになったおかげで、牧夫もより多\nくの家畜を育てていけるようになった。バンコ・デ・アビオの行ってきた事\n業の正しさが証明されつつある。;;;;;;;;;;X
 EVT213213N;バンコ・デ・アビオの閉鎖?;;;;;;;;;;X
 EVT213213D;その目標は未だ達成できていないが、政府はバンコ・デ・アビオの閉鎖を\n検討している。;;;;;;;;;;X
 ACT213213A;閉鎖しよう;;;;;;;;;;X
 ACT213213B;引き続き投資を行っていこう;;;;;;;;;;X
 EVT213215D;ビジャ・デ・レオンに養蚕業が確立されれば、きっとメキシコの織物業の\nためになることだろう。;;;;;;;;;;X
 EVT213216D;バンコ・デ・アビオによる支援のかいあって、メキシコの産業は発展を始め\n資本家階級も生まれつつある。;;;;;;;;;;X
 EVT213217N;基金の流用;;;;;;;;;;X
 EVT213217D;バンコ・デ・アビオの産業開発基金について、政府当局の人間がこれを\n着服、流用していたことが判明した。;;;;;;;;;;X
 ACT213217A;ひどい無駄が出てしまった;;;;;;;;;;X
 EVT213218N;基金の充当;;;;;;;;;;X
 EVT213218D;政府は戦争資金を調達するため、バンコ・デ・アビオの産業開発基金を\n取り崩してしまうことを決定した。;;;;;;;;;;X
 ACT213218A;戦争に全てを捧げよう;;;;;;;;;;X
 EVT213219N;産業開発に失敗;;;;;;;;;;X
 EVT213219D;産業機械は倉庫の中でどこかに消えてしまい、外人作業員も手持ち\n無沙汰な毎日を送っている。バンコ・デ・アビオの行ってきた事業が無駄\nであったことが証明されつつある。;;;;;;;;;;X
 EVT213220N;ペイストリー戦争の解決;;;;;;;;;;X
 EVT213220D;このままフランスとの戦争を続ければ、メキシコは破壊されつくしてしまう\nだろう。フランスの代表団が言ってきたところによれば、メキシコが借款全\n額を返済しまたこの戦争で生じた損害を併せて補填するならば、フラン\nスは和平を受け入れる用意があるとのことだ。;;;;;;;;;;X
 ACT213220B;戦争を継続する;;;;;;;;;;X
 EVT213301N;ソノラとチワワの購入;;;;;;;;;;X
 EVT213301D;メキシコ北部にあるソノラとチワワについて、アメリカ連合国はこれを\n購入したいと打診してきた。;;;;;;;;;;X
 EVT213302N;ソノラとチワワの取引を連合国が打診;;;;;;;;;;X
 EVT213303N;テキサスの早期併合;;;;;;;;;;X
 EVT213303D;アメリカ合衆国がテキサスを併合した。;;;;;;;;;;X
 ACT213303B;国交を破棄する;;;;;;;;;;X
 EVT213304N;テキサス旗艦の敗北;;;;;;;;;;X
 EVT213304D;テキサス海軍の旗艦、インデペンデンスは、1836年の1月から3月にかけ\nて就航後初の巡航任務を行った。そこでメキシコの沿岸を航行して小\n型船を数隻拿捕し、修理のためニューオリンズに入ったのだ。そして4月\nインデペンデンスはニューオリンズを発ってガルベストンに向かったが、そこ\nを2艘のメキシコ艦が発見、攻撃を加えた。両艦は4時間ほど海戦を繰\nり広げ、その結果インデペンデンスを降伏に追いやることに成功した。\nそうしてメキシコ海軍の所有する軍艦は、8艘にまで拡大したのだ。;;;;;;;;;;X
 ACT213304A;復讐はなった;;;;;;;;;;X
 EVT213305N;テキサスがマタモロスを封鎖;;;;;;;;;;X
 EVT213305D;1836年7月、テキサスはマタモロスを封鎖するとの宣言を発した。;;;;;;;;;;X
 ACT213305A;対処しよう;;;;;;;;;;X
 EVT213306N;ソノラ独立国;;;;;;;;;;X
 EVT213306D;ガストン・ラウセ・ブルボン伯は、一攫千金を夢見てフランスからカリフォル\nニアにやってきた。だが実際に豊かになるのが難しいと知るや、彼の目は\nメキシコへと向くようになる。そして彼は遠征軍の参加者を募ると鉱脈\n調査のためと偽ってグアイマスに上陸し、ソノラの奥深くへと潜入してそ\nの独立を宣言したのである。だが彼の掲げたソノラ国旗がフランスのトリ\nコロールそのものであったところに、その内実がうかがえる。;;;;;;;;;;X
 EVT213307N;テキサスの軍艦がユカタン沿岸を略奪;;;;;;;;;;X
 EVT213307D;テキサス海軍の軍艦インビンシブルとブルータスがユカタン半島東部に浮\nかぶコスメル島に上陸してきた。彼らはそこからコントイ島、ツィラム、テル\nチャクと沿岸部を西に向かって航行中し、その道中にある沿岸の村落\nは襲撃を受け、またメキシコの艦船も数多く拿捕されている。すでにログ\nウッド(染料木の一種)を積んだスクーナー船のウニオンや、武装スクー\nナー船のコレオ、ラファエリアがテキサス海軍の手に渡ってしまった。そして\nシザール港もしつこい砲撃を受けて業務に支障をきたしており、反撃し\nたものの戦闘は短時間で終わり、テキサス海軍は意気揚々と帰頭して\nしまった。;;;;;;;;;;X
 EVT213308N;テキサス海軍の撃破;;;;;;;;;;X
 EVT213308D;テキサス海軍のインビンシブルはブルータスとともに、メキシコ船を数多く\n拿捕してガルベストン港へと帰ったがインビンシブルは港に入れず、港外\nで投錨して一夜を過ごすことになった。そこでメキシコ海軍は翌日、ベン\nセドール・デル・アラモとリベルタドールの2艘の軍艦を使ってインビンシブ\nルを攻撃した。ガルベストン港内にいたブルータスが手を貸そうと駆けつ\nけてきたものの道中で座礁し、結果としてインビンシブル1艘に対し、2\n艘の軍艦で戦える状況に持ち込むことができた。そのうち戦闘が長引く\nとインビンシブルは逃走を図ったが、座礁して沈没する結果に終わった。;;;;;;;;;;X
 EVT213309N;アメリカ合衆国のユカタン介入;;;;;;;;;;X
 EVT213309D;カスタ戦争が勃発するとユカタン州政府は捨て身の戦術をとった。ユカ\nタン半島での「主権と実効支配」を差し出すことを条件に、マヤ人鎮圧\nのため介入してくれないかとアメリカ合衆国に打診したのだ。そしてこの\n申し出は快諾され、ユカタンに外国勢力が入り込むこととなった。;;;;;;;;;;X
 EVT213310N;スペインのユカタン介入;;;;;;;;;;X
 EVT213310D;カスタ戦争が勃発するとユカタン州政府は捨て身の戦術をとった。ユカ\nタン半島での「主権と実効支配」を差し出すことを条件に、マヤ人鎮圧\nのため介入してくれないかとスペインに打診したのだ。そしてこの申し出\nは快諾され、ユカタンに外国勢力が入り込むこととなった。;;;;;;;;;;X
 EVT213311N;イギリスのユカタン介入;;;;;;;;;;X
 EVT213311D;カスタ戦争が勃発するとユカタン州政府は捨て身の戦術をとった。ユカ\nタン半島での「主権と実効支配」を差し出すことを条件に、マヤ人鎮圧\nのため介入してくれないかとイギリスに打診したのだ。そしてこの申し出\nは快諾され、ユカタンに外国勢力が入り込むこととなった。;;;;;;;;;;X
 EVT213312N;ヤキ人がラウセ・ブルボンに合流;;;;;;;;;;X
 EVT213312D;ガストン・ラウセ・ブルボン伯がソノラの独立を宣言した。彼はヤキ人に\n自治を約束したため、ヤキ人も彼の元に集うこととなった。;;;;;;;;;;X
 EVT213313N;アメリカ合衆国とのアルタ・カリフォルニア売却交渉;;;;;;;;;;X
 EVT213313D;アルタ・カリフォルニアとは、現在のカリフォルニア州、ネバダ州、ユタ州、ア\nリゾナ州にまたがる領域に広がっていたメキシコの領土である。アメリカ\n合衆国は、バハ・カリフォルニアに加えてこの地域も購入したいと、メキシ\nコに打診してきた。;;;;;;;;;;X
 EVT213315N;ベアフラッグ反乱;;;;;;;;;;X
 EVT213315D;アメリカ人の扇動に刺激され、アングロ系住民の一群がメキシコ人の権\n力が及ぶ都市の中でも最北の都市であるソノマでデモ行進を行った。\n市民を率いていたのはマリアノ・バレホという名の囚人であった。彼らはそ\nのまま同市を占領すると、合衆国との同盟を宣言してしまった。;;;;;;;;;;X
 EVT213316N;ヌエバ・レオンの割譲;;;;;;;;;;X
 EVT213316D;メキシコ北部にあるヌエバレオンとコアウィラの両州は、サンディアゴ・ビダ\nウリ州知事によってなかば封建的に支配されていた。そして彼はレフォル\nマ戦争での軍事支援を得ようとして、これらの州をアメリカ連合国に売\nり払ってしまった。;;;;;;;;;;X
 EVT213317D;メキシコ北部にあるヌエバレオンとコアウィラの両州は、サンディアゴ・ビダ\nウリ州知事によってなかば封建的に支配されていた。そして彼はレフォル\nマ戦争での軍事支援を得ようとして、これらの州をテキサスに売り払って\nしまった。;;;;;;;;;;X
 EVT213318D;メキシコ北部にあるヌエバレオンとコアウィラの両州は、サンディアゴ・ビダ\nウリ州知事によってなかば封建的に支配されていた。そして彼はレフォル\nマ戦争での軍事支援を得ようとして、これらの州をアメリカ合衆国に売\nり払ってしまった。;;;;;;;;;;X
 EVT213316N;ヌエボ・レオンの割譲;;;;;;;;;;X
 EVT213316D;メキシコ北部にあるヌエボレオンとコアウィラの両州は、サンディアゴ・ビダ\nウリ州知事によってなかば封建的に支配されていた。そして彼はレフォル\nマ戦争での軍事支援を得ようとして、これらの州をアメリカ連合国に売\nり払ってしまった。;;;;;;;;;;X
 EVT213317D;メキシコ北部にあるヌエボレオンとコアウィラの両州は、サンディアゴ・ビダ\nウリ州知事によってなかば封建的に支配されていた。そして彼はレフォル\nマ戦争での軍事支援を得ようとして、これらの州をテキサスに売り払って\nしまった。;;;;;;;;;;X
 EVT213318D;メキシコ北部にあるヌエボレオンとコアウィラの両州は、サンディアゴ・ビダ\nウリ州知事によってなかば封建的に支配されていた。そして彼はレフォル\nマ戦争での軍事支援を得ようとして、これらの州をアメリカ合衆国に売\nり払ってしまった。;;;;;;;;;;X
 EVT213319D;メキシコとアメリカ合衆国の間で戦争が勃発したが、メキシコはイギリス\nに対し、対米戦に介入してくれるならば北米大陸に残った領土を売却\nしようと取引を持ちかけることになった。;;;;;;;;;;X
 EVT213320D;メキシコとアメリカ合衆国の間で戦争が勃発したが、メキシコはフランス\nに対し、対米戦に介入してくれるならば北米大陸に残った領土を売却\nしようと取引を持ちかけることになった。;;;;;;;;;;X
 EVT213321N;フランスのアルタ・カリフォルニア購入;;;;;;;;;;X
 EVT213321D;我々が出した領土売却案にフランスは同意し、メキシコとともに\nアメリカ合衆国との戦争へと参加してくれることになった。;;;;;;;;;;X
 ACT213321A;共存共栄だ;;;;;;;;;;X
 EVT213322D;アルタ・カリフォルニア売却に関する申し出をフランスは却下した。そこで\nメキシコはイギリスに対し、対米戦に介入してくれるならば北米大陸に\n残った領土を売却しようと取引を持ちかけることになった。;;;;;;;;;;X
 EVT213323N;イギリスのアルタ・カリフォルニア購入;;;;;;;;;;X
 EVT213323D;我々が出した領土売却案にイギリスは同意し、メキシコとともにアメリカ\n合衆国との戦争へと参加してくれることになった。;;;;;;;;;;X
 EVT213324N;カリフォルニアとデザレットの反乱;;;;;;;;;;X
 EVT213324D;カリフォルニアとデザレットはともに独立を宣言し、\n目下反乱を起こしている。;;;;;;;;;;X
 EVT213325N;アメリカ合衆国のアルタ・カリフォルニア併合;;;;;;;;;;X
 EVT213325D;アメリカ合衆国が、アルタ・カリフォルニアを併合してしまった。;;;;;;;;;;X
 ACT213325B;猛烈に抗議する;;;;;;;;;;X
 EVT213326N;アルタ・カリフォルニアの割譲;;;;;;;;;;X
 EVT213326D;アルタ・カリフォルニアで起こった反乱に対してどのように対処するか、\n我々は決定しなければならない。;;;;;;;;;;X
 EVT213328N;フランスのソノラ介入;;;;;;;;;;X
 EVT213328D;ソノラで反乱が起こったのを受けて、フランスはこれを併合しようとした。;;;;;;;;;;X
 EVT213329N;ロウアー・カリフォルニア共和国;;;;;;;;;;X
 EVT213329D;グアダルーペ・イダルゴ条約によってメキシコは国土の半分を失った。しか\nしアメリカ合衆国内には、もっと多くの領土を獲得してもいいはずだと考\nえる一派が数多く存在していたのだ。サンフランシスコ・デイリー・ヘラル\nド紙の編集補佐を務めていた医者のウィリアム・ウォーカー「大佐」もそ\nの一人だった。彼はメキシコからもっと領地を剥いでしまおうという考えを\nぶち上げ、これに共鳴するカリフォルニア人を集めてバハ・カリフォルニアの\nラパス市を占領してしまった。そこで彼は、ロウアー・カリフォルニア共和国\nの樹立を宣言した。;;;;;;;;;;X
 EVT213330N;ソノラ共和国;;;;;;;;;;X
 EVT213330D;ウィリアム・ウォーカーは、バハ・カリフォルニアで起こした反乱が成功した\nのを受けて部隊をソノラに移動させ、当地での支配権を得るために戦\nいだした。;;;;;;;;;;X
 EVT213331N;ヤキ人がウィリアム・ウォーカーに合流;;;;;;;;;;X
 EVT213331D;ウィリアム・ウォーカーはソノラ独立を宣言したが、彼は自治を与えるとの\n約束をちらつかせてヤキ・インディアンを結集させた。;;;;;;;;;;X
 EVT213332N;アメリカ合衆国のバハ・カリフォルニア介入;;;;;;;;;;X
 EVT213332D;バハ・カリフォルニアで反乱が起こったのを受けて、アメリカ合衆国は\nこれを併合しようとしてきた。;;;;;;;;;;X
 EVT213333N;アメリカ合衆国のソノラ介入;;;;;;;;;;X
 EVT213333D;ソノラで反乱が起こったのを受けて、アメリカ合衆国はこれを\n併合しようとしてきた。;;;;;;;;;;X
 EVT213334N;ヤキ人がフランスへ合流;;;;;;;;;;X
 EVT213334D;フランスはメキシコに侵略すると、自治の約束をエサに\nヤキ人を結集させた。;;;;;;;;;;X
 EVT213335N;ヤキ人がオーストリアへ合流;;;;;;;;;;X
 EVT213335D;オーストリアはメキシコに侵略すると、自治の約束をエサに\nヤキ人を結集させた。;;;;;;;;;;X
 EVT213336N;ニューメキシコがテキサスに加入;;;;;;;;;;X
 EVT213336D;ニューメキシコはメキシコ中央政府に対して反乱を起こし、\nさらにテキサスに併合を打診している。;;;;;;;;;;X
 EVT213338N;イギリスがマヤと同盟;;;;;;;;;;X
 EVT213338D;マヤ人がイギリスに同盟締結を提案し、イギリス側もこれに同意してしま\nった。この条約調印によって、ユカタンはイギリスの保護国となる代わりに\nその独立を承認されることになる。そしてマヤ人たちはイギリス人士官の\nもと、非正規兵ながら部隊として戦える準備を整えつつある。;;;;;;;;;;X
 EVT213339D;クルソブがベリーズ侵略をちらつかせて恐喝したのを受け、\nイギリスが先制攻撃を仕掛けてきた。;;;;;;;;;;X
 EVT213340N;メキシコの征服行為にアパッチが反抗;;;;;;;;;;X
 EVT213340D;キシコ北西部は交通の便が悪く、情報も得にくい地域のひとつである\nそこでこの地に中央の支配を及ぼすためには、他の中央政府が抱える\n懸案事項と同様、ゆっくり、少しづつことを進める必要があった。だが実\n際にメキシコ政府は先住民が住むこの土地を、軍事力を使って一気\n呵成に征服してしまった。そのためいくら制圧したといっても、実効支配\nしていると言うにはほど遠い統治体制しか敷けなかったのだった。;;;;;;;;;;X
 ACT213340A;メキシコ統治への反抗がどんどん広まっている;;;;;;;;;;X
 EVT213399N;グアダルーペ・イダルゴ条約;;;;;;;;;;X
 EVT213399D;我が国はアメリカ合衆国と交戦中だが、大統領はこれについて和平を\n申し出てはと言ってきた。この条約が締結されれば、1500万ドルの補\n償金と引き換えに、メキシコのもつ北部領土はアメリカ合衆国へと割譲\nされることになる。;;;;;;;;;;X
 EVT213400N;ユカタン戦争の終焉;;;;;;;;;;X
 EVT213400D;イギリス側がわが国を蹂躙し打ちのめしてしまうのも、もはや時間の問題\nだ。大幅な譲歩は避けられないだろう。;;;;;;;;;;X
 EVT213080N;アメリカ先住民の領地割譲 - コアウイラ;;;;;;;;;;X,,
 EVT213080D;メキシコ政府はリオグランデの北部および東部地域を移民のために\n開放するように求めた。\nメスカレロ・アパッチ族は政府の要求を受け入れ地域を\n彼らに明け渡した。;;;;;;;;;;X,,
 EVT213081N;アメリカ先住民の領地割譲 - テハス;;;;;;;;;;X,,
 EVT213081D;メキシコ政府はブラゾス川およびレッドレバー上流を移民ために\n開放するように求めた。\nコマンチ族とキオワ族は政府の要求を受け入れ地域を彼らに明け渡した。;;;;;;;;;;X,,
 EVT213082N;アメリカ先住民の領地割譲 - アパッチ族;;;;;;;;;;X,,
 EVT213082D;メキシコ政府はアパッチと条約を交わしその土地の提供と無\n制限の利用を約束させた。\nギラ川の南方一帯の地域への植民が解放された。;;;;;;;;;;X,,
 EVT213083N;アメリカ先住民の領地割譲 - アパッチ族;;;;;;;;;;X,,
 EVT213083D;メキシコ政府はアパッチと条約を交わしその土地の提供と無\n制限の利用を約束させた。\nギラ川の北方一帯の地域への植民が解放された。;;;;;;;;;;X,,
 EVT213084N;アメリカ先住民の領地割譲 - パユート族;;;;;;;;;;X,,
 EVT213084D;メキシコ政府はパユートと条約を交わしその土地の提供と無\n制限の利用を約束させた。\nヨセミテとモハーヴェへの植民が解放された。;;;;;;;;;;X,,
 EVT213085N;アメリカ先住民の領地割譲 - イラッカ族;;;;;;;;;;X
 EVT213085D;メキシコ政府はイラッカと条約を交わしその土地の提供と無\n制限の利用を約束させた。\nサクラメントの北部および東部、\nトゥオルミ川への植民が解放された。;;;;;;;;;;X
 EVT213086N;アメリカ先住民の領地割譲 - ショショーニ族;;;;;;;;;;X
 EVT213086D;メキシコ政府はショショーニと条約を交わしその土地の提供と無制限の利用を約\n束させた。シエラネバダ東部への植民が解放された。;;;;;;;;;;X
 EVT213087N;アメリカ先住民の領地割譲 - パユート族;;;;;;;;;;X
 EVT213087D;メキシコ政府はパユートと条約を交わしその土地の提供と無制限の利用を約束させた。\n モハーベ北東部への植民が解放された。;;;;;;;;;;X
 EVT213088N;アメリカ先住民の領地割譲 - ショショーニ族;;;;;;;;;;X
 EVT213088D;メキシコ政府はショショーニと条約を交わしその土地の提供と無制限の利用を約束させた。\n グレートソルトレイクの砂漠地帯へのへの植民が解放された。;;;;;;;;;;X
 EVT213089N;アメリカ先住民の領地割譲 - ウテ族;;;;;;;;;;X
 EVT213089D;メキシコ政府はウテと条約を交わしその土地の提供と無制限の利用を約束させた。\n コロラド川上流への植民が解放された。;;;;;;;;;;X
 EVT213090N;アメリカ先住民の領地割譲 - ナバホ族;;;;;;;;;;X
 EVT213090D;メキシコ政府はナバホと条約を交わしその土地の提供と無制限の利用を約束させた。\n グランドキャニオンの南側とサンファン山への植民が解放された。;;;;;;;;;;X

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