####### 246K Paraguay #######;;;;;;;;;;;X
 EVT246000N;パラグアイの独立主張;;;;;;;;;;X
 EVT246000D;1842年11月25日、アスンシオンで開かれた議会で、パラグアイ人として\nの国民意識の高まりを背景にアルゼンチンからのパラグアイの独立が宣\n言された。;;;;;;;;;;X
 ACT246000A;我らはパラグアイ人としての誇りを持っている;;;;;;;;;;X
 ACT246000B;アルゼンチンを刺激すべきではない;;;;;;;;;;X
 EVT246002N;奴隷制廃止;;;;;;;;;;X
 EVT246002D;パラグアイで奴隷の売買が禁止されてから数年後、自由子宮法が制定さ\nれた。パラグアイ社会がより「文明的」になるために、全ての奴隷の子\n供を自由人として誕生させることで奴隷制は終わらせるべきであろう。\n奴隷制が消えるのはもはや時間の問題だ。;;;;;;;;;;X
 ACT246002A;奴隷の漸減を;;;;;;;;;;X
 EVT246003N;ホセ・ガスパル・ロドリゲスの死;;;;;;;;;;X
 EVT246003D;1840年9月20日、後継者を残さずに「至高の指導者」元首ホセ・ガスパ\nル・ロドリゲス・デ・フランシアが亡くなった。数日後には軍事政権が\n誕生し、自由主義者をなだめるために一部の政治犯が釈放された。;;;;;;;;;;X
 ACT246003A;新たな軍事政権に国を治めさせる;;;;;;;;;;X
 ACT246003B;これ以上軍隊は国家に関わるな!;;;;;;;;;;X
 EVT246004N;国家の大混乱;;;;;;;;;;X
 EVT246004D;軍事政権の無能な政治が露呈されたことで、1941年1月に軍事政権は打\n倒された。続いて別のクーデターが16日後に発生し、国家は大混乱に陥っ\nた。;;;;;;;;;;X
 ACT246004A;国中を混乱が覆いつくす;;;;;;;;;;X
 EVT246005N;ロペスが最高執政官として指名される;;;;;;;;;;X
 EVT246005D;混乱は1841年3月、議会によって最高執政官にカルロス・アントニオ・\nロペスが選出されるまで続いた。1844年、別の議会によってロペスは共\n和国の大統領として指名された。カルロス・アントニオ・ロペスは混乱\nを終息させ、国家を安定へと導いていった。;;;;;;;;;;X
 ACT246005A;ロペスを最高執政官に指名する;;;;;;;;;;X
 EVT246006N;1844年の憲法;;;;;;;;;;X
 EVT246006D;1844年、新しいパラグアイ憲法により、カルロス・アントニオ・ロペス\nは国家の最高の権限を持つ大統領として承認された。また、この憲法は\n国家が教会の叙任権を有するとの条項が含まれていた。大統領は教会、\n聖職者、司教や教皇の布告をコントロールする権限を持つ。;;;;;;;;;;X
 ACT246006A;制定する;;;;;;;;;;X
 ACT246006B;より自由主義的な憲法を制定する;;;;;;;;;;X
 EVT246007N;ソラノ・ロペスがヨーロッパを訪れる;;;;;;;;;;X
 EVT246007D;1853年、カルロス・アントニオ・ロペスの息子フランシスコ・ソラノ・\nロペスがパラグアイ軍の武器を買うためにヨーロッパを訪れた。ソラノ\nはヨーロッパでエリザ・アリシア・リンチと恋に落ち、彼女はソラノの\n最期の日まで共にいた。ヨーロッパでソラノはナポレオン3世治下のフ\nランス帝国の偉容を絶賛した。;;;;;;;;;;X
 ACT246007A;彼をヨーロッパに行かせる;;;;;;;;;;X
 ACT246007B;彼をパラグアイに留まらせる;;;;;;;;;;X
 EVT246011N;製鉄所の建設;;;;;;;;;;X
 EVT246011D;1850年、ロペスはパラグアイの更なる防衛と領土保全の目的で、製鉄所\nと工廠を建設するための専門家を外国から招聘した。;;;;;;;;;;X
 ACT246011A;工廠を建設する;;;;;;;;;;X
 ACT246011B;どこに金があるんだ、我が兄弟よ?;;;;;;;;;;X
 EVT246014N;戦争の準備;;;;;;;;;;X
 EVT246014D;ウルグアイのコロラド党へのブラジルとアルゼンチンの支援を計算に入\nれていたため、最初はコロラド党に対するブランコ党との公式な同盟を\n結ぶことはためらっていたが、ロペスはアルゼンチンとブラジルが南米\nの勢力の均衡に対する脅威であると感じた。パラグアイの領土と独立が\n脅かされている。1864年初頭、ロペスは戦争の可能性を視野に入れ総動\n員をかけた。;;;;;;;;;;X
 ACT246014A;戦争がやってくる!;;;;;;;;;;X
 ACT246014B;引き下がる;;;;;;;;;;X
 EVT246015N;ソノラ・ロペスの抗議;;;;;;;;;;X
 EVT246015D;ウルグアイ大統領アタナシオ・アギーレはパラグアイに特使を派遣し、\nブラジルとアルゼンチンからの圧力に対して支援を求めた。;;;;;;;;;;X
 ACT246015A;抗議する;;;;;;;;;;X
 ACT246015B;関わらない;;;;;;;;;;X
 EVT246016N;マルケス・デ・オリンダ号の拿捕;;;;;;;;;;X
 EVT246016D;ウルグアイ政府の内紛を解決するための外交的な試みが全て失敗した後、\nブラジルはウルグアイに最後通牒を送り、コロラド党の反逆者に直接介\n入するも同然の行動を取ったため、ロペスはウルグアイに対するいかな\nる介入もしないよう最後通牒を送った。書簡が無視されブラジル軍がウ\nルグアイに侵攻したため、ロペスはブラジルに宣戦し、パラグアイ川を\n通ってマトグロッソに向かうマルケス・デ・オリンダ号を拿捕した。;;;;;;;;;;X
 ACT246016A;船を拿捕せよ!;;;;;;;;;;X
 ACT246016B;引き下がる;;;;;;;;;;X
 EVT246017N;ソラノがミシオネスの通行許可を求める;;;;;;;;;;X
 EVT246017D;リオグランデ・ド・スルとウルグアイへ侵攻するために、アルゼンチン\nにミシオネスの陸軍の通行許可を求めなければなりません。;;;;;;;;;;X
 ACT246017A;通行許可を求める;;;;;;;;;;X
 ACT246017B;マトグロッソを通って進軍せよ!;;;;;;;;;;X
 EVT246018N;ソラノがミシオネスの通行許可を求める;;;;;;;;;;X
 EVT246018D;アルゼンチンはパラグアイ軍がミシオネスを通行することを拒否した。\n彼はミトレの軍閥の支援を当てにして、ウルグアイのブランコ党の支援\nとブラジルとのマトグロッソからの撤兵の協定を交渉できると判断した。\n1865年4月、彼はアルゼンチンにもまた宣戦し、コリエンテス州に侵攻\nした。;;;;;;;;;;X
 ACT246018A;宣戦布告!!!;;;;;;;;;;X
 ACT246018B;前線は一方向に留める;;;;;;;;;;X
 EVT246020N;ソノラ・ロペスの死;;;;;;;;;;X
 EVT246020D;アスンシオンの陥落後も、ロペスはゲリラ部隊を率いてアマムベイに逃\nれた。1869年8月16日、アコスタ・ヌーでの最後の戦いで敗れ、彼の軍\n隊は壊滅した。それでもロペスは再び逃亡したが、ブラジル軍の追跡に\nより最終的にケッロ・コラで包囲され、1870年3月1日に死亡した。;;;;;;;;;;X
 ACT246020A;祖国と共に死のう;;;;;;;;;;X
 EVT246022N;カルロス・アントニオ・ロペスの死;;;;;;;;;;X
 EVT246022D;1862年、カルロス・アントニオ・ロペスの死後、息子のソラノ・ロペス\nが地位を継承した。彼は数百人の知識人や改革派を投獄することで権力\nを統合し、パラグアイ議会は全会一致で彼を大統領に選出した。しかし、\nソラノは国際関係において攻撃的行為を避けよとの父の遺言を心に留め\nておくべきであっただろう。特にブラジルとの関係については。;;;;;;;;;;X
 ACT246022A;新プレシデンテ万歳!;;;;;;;;;;X
 ACT246022B;自由な選挙によって選出せよ!;;;;;;;;;;X
 EVT246024N;戦争の結末;;;;;;;;;;X
 EVT246024D;ブラジル大統領リオブランコ卿と、アルゼンチン大統領ホセ・ペレスの\nもとでアスンシオンに仮政府が成立した。同盟の協定に従ってウマイタ\nは破壊され、残存する軍隊は解散され、パラグアイは戦時賠償として領\n土を割譲することが約束された。コンデ・ドゥの要求により、仮政府は\n奴隷制の廃止を宣言した。;;;;;;;;;;X
 ACT246024A;仮政府設立;;;;;;;;;;X
 EVT246025N;1870年の憲法;;;;;;;;;;X
 EVT246025D;パラグアイ戦争の敗北の後、新たによりリベラルな憲法が制定された。\n新憲法のもとで自由党と保守党の2つの政党が結成され、旧来の権威主\n義的な支配に取って代わった。;;;;;;;;;;X
 ACT246025A;国家にリベラルな統治を;;;;;;;;;;X
 ACT246025B;国家に保守的な統治を;;;;;;;;;;X
 ACT246025C;完全なる民主主義を;;;;;;;;;;X
 ACT246025D;独裁政権を打ち立てる;;;;;;;;;;X
 ####### 246K Paraguay Flavor #######;;;;;;;;;;;X
 EVT246001N;自由母胎法;;;;;;;;;;X
 EVT246001D;1842年、カルロス・アントニオ・ロペスは自由母胎法を施行した。これは\n奴隷全てを解放する類のものではなかったが、奴隷取引の廃止と、奴\n隷の親を持つ子でも25歳で解放し自由市民とする旨規定する法令だ\nった。だが現実には奴隷の出生率向上により、奴隷人口の増加と価\n格低下を引き起こすことになってしまった。;;;;;;;;;;X
 ACT246001A;施行しよう;;;;;;;;;;X
 ACT246001B;奴隷は必要だ;;;;;;;;;;X
 EVT246008N;グアラニー討伐作戦;;;;;;;;;;X
 EVT246008D;1843年、イェルバマテ(マテ茶の原木)の生い茂る一帯に住むグアラニ\nー・インディオに対して、ロペスは彼らの討伐作戦を決行した。その結果\n我が国は、イェルバマテと輸出向け木材を獲得することになった。;;;;;;;;;;X
 ACT246008A;作戦開始だ;;;;;;;;;;X
 ACT246008B;グアラニーとは平和共存を図ろう;;;;;;;;;;X
 EVT246009N;先住民特権の剥奪;;;;;;;;;;X
 EVT246009D;1848年、インディオの地位に関する布告が発せられた。これによって彼\nらが有していた「特別な地位」は剥奪され、またその共有地も国有地\nに切り替えられた。そしてロペスはこの広大な土地を、一族や取り巻き\nに分け与えたのである。;;;;;;;;;;X
 ACT246009A;布告に賛成する;;;;;;;;;;X
 ACT246009B;この布告のことは忘れる;;;;;;;;;;X
 EVT246010N;ウマイタ要塞;;;;;;;;;;X
 EVT246010D;1850年にブラジルと防衛同盟結成条約を結んだことで、仮想敵国は\nアルゼンチンに絞られた。アルゼンチンの独裁者ロサスはウルグアイやパラ\nグアイの征服を狙っており、いかにその意思を挫くかが問題となったので\nある。そこでブラジル将校の構想によりトーチカの石組みが始まり、かの\n悪名高きウマイタ要塞の築城が図られることになった。;;;;;;;;;;X
 ACT246010A;要塞を建てる;;;;;;;;;;X
 ACT246010B;常時の防衛には金がかかり過ぎる;;;;;;;;;;X
 EVT246012N;ロペスの教育投資;;;;;;;;;;X
 EVT246012D;ロペスがパラグアイを支配していた期間、400を超える学校が建てられ\nて25000人もの国民が初等教育を受け、さらに中等教育制度も再び\n設けられた。こうした政策により、パラグアイ人の識字率が向上した。;;;;;;;;;;X
 ACT246012A;教育に投資しよう;;;;;;;;;;X
 ACT246012B;国民が知識層になるなどごめんだ;;;;;;;;;;X
 EVT246013N;学生研修制度と技術者の導入;;;;;;;;;;X
 EVT246013D;カルロス・アントニオ・ロペス大統領は、いかにパラグアイの産業を発展させるかという重要課題に取り組んだ。かつては皮革製品やイェルバマテの輸出により、または工業品の輸入に課した関税により歳入面を賄ってきたが、これを改めることにしたのだ。そのため独裁官ロペスは方針を策定し、国内での産業育成をはかるべくパラグアイ国内における技術者や専門家を増やしていくことになった。こうしてパラグアイ人の学生が海外に送られるとともに、国外の技術者とも契約を結んで指導にあたらせることとなった。;;;;;;;;;;X
 EVT246013D;カルロス・アントニオ・ロペス大統領は、いかにパラグアイの産業を発展さ\nせるかという重要課題に取り組んだ。かつては皮革製品やイェルバマテ\nの輸出により、または工業品の輸入に課した関税により歳入面を賄っ\nてきたが、これを改めることにしたのだ。そのため独裁官ロペスは方針を\n策定し、国内での産業育成をはかるべくパラグアイ国内における技術\n者や専門家を増やしていくことになった。こうしてパラグアイ人の学生が\n海外に送られるとともに、国外の技術者とも契約を結んで指導にあた\nらせることとなった。;;;;;;;;;;X
 ACT246013A;この計画に予算を出せ;;;;;;;;;;X
 ACT246013B;そんなことをする元手がない;;;;;;;;;;X
 EVT246019N;リアチュエロ海戦;;;;;;;;;;X
 EVT246019D;コリエンテス地方を流れるパラナ川にリアチュエロという河川港がある。ここのやや下流方面で1865年6月、三国同盟戦争で唯一の、しかし重要な帰結をもたらした海戦が行われた。この戦いでパラグアイ艦隊はブラジル帝国海軍に撃破され、パラグアイと外洋を繋いでいたパラナ川もブラジルの封鎖下におかれることになったのだ。この封鎖は終戦まで継続された。;;;;;;;;;;X
 EVT246019D;コリエンテス地方を流れるパラナ川にリアチュエロという河川港がある。こ\nこのやや下流方面で1865年6月、三国同盟戦争で唯一の、しかし重\n要な帰結をもたらした海戦が行われた。この戦いでパラグアイ艦隊はブ\nラジル帝国海軍に撃破され、パラグアイと外洋を繋いでいたパラナ川も\nブラジルの封鎖下におかれることになったのだ。この封鎖は終戦まで継\n続された。;;;;;;;;;;X
 ACT246019A;水域を封鎖された!;;;;;;;;;;X
 EVT246021N;パラグアイ初の鉄道;;;;;;;;;;X
 EVT246021D;1858年、ロペスはイギリス企業と契約してパラグアイ初の鉄道路線を引いた。これは南アメリカ大陸でも最初に造られた鉄道のひとつだった。;;;;;;;;;;X
 EVT246021D;1858年、ロペスはイギリス企業と契約してパラグアイ初の鉄道路線を引\nいた。これは南アメリカ大陸でも最初に造られた鉄道のひとつだった。;;;;;;;;;;X
 ACT246021A;鉄道を敷け;;;;;;;;;;X
 ACT246021B;その資金を皮革産業に充てろ;;;;;;;;;;X
 EVT246023N;アスンシオン国立大学;;;;;;;;;;X
 EVT246023D;1889年、アスンシオン国立大学が開校した。これはパラグアイ初の大学であり、国内での研究活動によい刺激を与えてくれるだろう。またパラグアイ人の学生が高水準の研究環境を求めて国外に出る必要も、ついになくなったのだ。;;;;;;;;;;X
 EVT246023D;1889年、アスンシオン国立大学が開校した。これはパラグアイ初の大学\nであり、国内での研究活動によい刺激を与えてくれるだろう。またパラグ\nアイ人の学生が高水準の研究環境を求めて国外に出る必要も、つい\nになくなったのだ。;;;;;;;;;;X
 ACT246023A;大学を建てよう;;;;;;;;;;X
 ACT246023B;代わりに大病院をアスンシオンに作ろう;;;;;;;;;;X
 ACT246023C;何も建てない;;;;;;;;;;X
 EVT246026N;バレイロが新大統領に;;;;;;;;;;X
 EVT246026D;カンディード・バレイロはロペスがヨーロッパに派遣した対外商業に関する特使だったが、1869年にパラグアイへ帰国するとロペス派という大派閥を立ち上げた。さらにバレイロはこれに加え、ロペスと親交があった軍の英雄、ベルナディーノ・カバジェーロを登用して基盤を固めた。そしてフアン・バウティスタ・ヒル大統領が1877年に暗殺されると、カバジェーロは陸軍司令官としての権力を発揮し、続く1878年に行われた選挙によってバレイロはパラグアイ大統領として選出されることになったのだった。;;;;;;;;;;X
 EVT246026D;カンディード・バレイロはロペスがヨーロッパに派遣した対外商業に関する\n特使だったが、1869年にパラグアイへ帰国するとロペス派という大派閥\nを立ち上げた。さらにバレイロはこれに加え、ロペスと親交があった軍の\n英雄、ベルナディーノ・カバジェーロを登用して基盤を固めた。そしてフア\nン・バウティスタ・ヒル大統領が1877年に暗殺されると、カバジェーロは\n陸軍司令官としての権力を発揮し、続く1878年に行われた選挙によ\nってバレイロはパラグアイ大統領として選出されることになったのだった。;;;;;;;;;;X
 ACT246026A;新大統領カンディード・バレイロだ!;;;;;;;;;;X
 ACT246026B;保守派に国を治めさせるな;;;;;;;;;;X
 EVT246027N;カバジェーロ将軍の反乱;;;;;;;;;;X
 EVT246027D;バレイロ大統領が死去すると、その立役者カバジェーロ将軍はクーデタによりパラグアイの実権を掌握した。そして20年近くにわたりカバジェーロは、大統領としてまたは民兵組織の力を背景としてパラグアイの政界を動かし続けたのだ。彼の政権下では政治的安定がもたらされたが、そのほかにも特筆すべきことがある。それはコロラド党の結党だ。コロラド党は大統領の選出に介入したのみならず利権の分配にも関与しており、またブラジルからの支援を受けていた。;;;;;;;;;;X
 EVT246027D;バレイロ大統領が死去すると、その立役者カバジェーロ将軍はクーデタ\nによりパラグアイの実権を掌握した。そして20年近くにわたりカバジェーロ\nは、大統領としてまたは民兵組織の力を背景としてパラグアイの政界を\n動かし続けたのだ。彼の政権下では政治的安定がもたらされたが、そ\nのほかにも特筆すべきことがある。それはコロラド党の結党だ。コロラド党\nは大統領の選出に介入したのみならず利権の分配にも関与しており、\nまたブラジルからの支援を受けていた。;;;;;;;;;;X
 ACT246027A;カバジェーロがクーデタだと;;;;;;;;;;X

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