全てハードコードです、Flavor未済、3/9 ファローピリアにFarroupilhaの訳を統一 2008/5/10 ファルピーリャにFarroupilhaの訳を変更して統一 ####### 281K U00 War of the Farrapos(Piratini Republic) #######;;;;;;;;;;;X,, EVT281000N;ファハポス戦争;;;;;;;;;;X EVT281000D;国内生産物に対する高関税と税金により引き起こされた、下院の自\n由主義者らとベント・ゴンサルベスが知事を追放、すると反乱軍は民衆\nの支持を獲得。他で発生していた共和国運動を巻き込む形で、ピラテ\nィニ共和国の樹立が宣言された。戦争当初、帝国軍は軍事的に組織\nされた、自由民により編成される軍団と衝突することになった。反乱軍\nはこの叛乱を強く支持した奴隷たちの自由を要求し、その勢力を強め\nていった。;;;;;;;;;;X ACT281000A;農民を動員し、奴隷たちを解放するのだ;;;;;;;;;;X ACT281000B;降伏しよう;;;;;;;;;;X EVT281001N;カタリーナ(ジュリアナ)共和国;;;;;;;;;;X EVT281001D;1838年から1839年の間、運動は他の州からやってくる叛乱者たちによ\nり補強された。用心のために、叛乱軍は内陸のカカパヴァに首都を移\n動。軍はイタリア人ジュゼッペ・ガリバルディの関与の元、デビ・カナベッロ\nにより指揮されていた。その後共和主義運動はサンタカタリーナに拡大\n1839年7月、ファルピーリャはラグナを制圧し、カタリーナ共和国の樹立\nを宣言した。成立した月からこの国は七月(ジュリアナ)共和国とも呼ば\nれる。;;;;;;;;;;X ACT281001A;カタリーナ共和国が我々と合流した;;;;;;;;;;X EVT281006N;ピラティニ同盟の提案;;;;;;;;;;X EVT281006D;ブラジルの脅威からピラティニ共和国が生き延びる手段のひとつとして、\n隣国とウルグアイと同盟を結ぶことが考えられた。可能ならばラプラタ河\n流域での商業活動を保証することにより列強の保護を受けることも望\nまれる。;;;;;;;;;;X ACT281006A;同盟を提案する;;;;;;;;;;X ACT281006B;いや、我々自身の足で立つのだ!;;;;;;;;;;X ACT281006C;いや、奴らは次の攻撃目標だ、ハハハ!;;;;;;;;;;X EVT281007N;大英帝国が我々の独立を保障;;;;;;;;;;X EVT281007D;将来の取引に便を図ることを条件に、\nイギリスは我々の独立を保障しました。;;;;;;;;;;X ACT281007A;やった;;;;;;;;;;X EVT281008N;カングー条約;;;;;;;;;;X EVT281008D;1838年8月、ピラティニ共和国のファルピーリャを支持する\n同盟国首相のリベラ将軍との間にカングー条約が取り交わされた。彼らはブラジル帝\n国政府に対する共闘を求めている。;;;;;;;;;;X ACT281008A;受諾;;;;;;;;;;X ACT281008B;拒否;;;;;;;;;;X EVT281009N;カングー条約白紙に;;;;;;;;;;X EVT281009D;ウルグアイにおいてオリブ将軍が指揮権を回復した。オリブは外圧を恐れ\n前任者により締結されたカングー条約の白紙化を決定した。;;;;;;;;;;X ACT281009A;二枚舌の道化どもめ!;;;;;;;;;;X EVT281013N;ピラティニにおける復員;;;;;;;;;;X EVT281013D;ほとんど望みのなかった独立戦争を成し遂げたのち、我が国はより大き\nな試練に直面していた。復興である。ベント・ゴンサルベスの出した、最\n初の勅令はファルピーリャにより編成されていた軍を復員させることだった\nだが、軍と共に戦った奴隷を解放し公約を遵守すべきか、それとも農場\nの労働力を必要とする地方貴族に彼らを引き渡すべきか、決断は宙づ\nりとなったままである。;;;;;;;;;;X ACT281013A;武士に二言は無い;;;;;;;;;;X ACT281013B;奴ら再び奴隷に!;;;;;;;;;;X EVT281014N;ドン・ペドロ二世の身代金;;;;;;;;;;X EVT281014D;ブラジル海岸沿いで行われ、両軍におおきな被害を出した、一連の恐\nろしい戦闘ののち、我が軍はついにリオデジャネイロの制圧に成功。帝\n国宮殿を抑え、皇帝を捕虜とした。ベント・ゴンサルベスは和平交渉を\n有利に行う最大の機会を得た。;;;;;;;;;;X ACT281014A;好条件での和平を強要する!;;;;;;;;;;X ACT281014B;より多くを求める;;;;;;;;;;X EVT281015N;奴隷の解放;;;;;;;;;;X EVT281015D;ピラティニ共和国を近代社会の枠に収めヨーロッパ諸国に認知させるた\nめ、政府は奴隷制の廃止を認める法令に調印。蛮行に対する戦いを\n始めることとなった。;;;;;;;;;;X ACT281015A;調印する;;;;;;;;;;X ACT281015B;調印しない;;;;;;;;;;X EVT281016N;自由国家に;;;;;;;;;;X EVT281016D;ブラジル皇帝ドン・ペドロ二世は今朝我々の自由を認める条文に調印\nした。我々は暴君から解き放たれ、自由国として国際的に認められた\nそのうえ、われらの国庫は彼にあてられた身代金で満タンになっている。;;;;;;;;;;X ACT281016A;フリーダム!!;;;;;;;;;;X EVT281019N;政府の移動;;;;;;;;;;X EVT281019D;1839年11月、帝国軍はラグーンを再度確保。1840年にはサンタカタリ\nーナの拠点ラージェスが陥落。首都カカパヴァに帝国軍が接近、反乱\n軍はその機能を移転することを強いられた。新首都はアレグレッテ、すで\nにウルグアイの国境付近である。;;;;;;;;;;X ACT281019A;逃げろ、命がけで逃げるんだ!;;;;;;;;;;X ACT281019B;いや!首都は我らの手で再獲得する;;;;;;;;;;X EVT281020N;パンチ・ベルデ和平;;;;;;;;;;X EVT281020D;叛乱軍に特赦が呼びかけられたが、不公平さからこれは拒否された。\n1842年カシアス男爵は地域との調停にあたり、尽力のすえ和平を成し\n遂げる。反乱軍はパンチ・ベルデ和平に調印した。この時期、ウルグアイ\nの将軍オリブが州の南方から攻撃をしかけており、ファルピーリャは挟撃さ\nれていた。またカシアスは地方の上流層と交渉、すべての反乱者を赦\n免し譲歩を行った。反乱軍の兵と士官は公平な条件で帝国軍に編入\nされ、任地が委ねられた。;;;;;;;;;;X ACT281020A;条項を受け入れよう;;;;;;;;;;X ACT281020B;拒否、最後の一人まで戦う!;;;;;;;;;;X EVT281021N;パンチ・ベルデ和平;;;;;;;;;;X EVT281021D;叛乱軍に特赦が呼びかけられたが、不公平さからこれは拒否された。\n1842年カシアス男爵は地域との調停にあたり、尽力のすえ和平を成し\n遂げる。反乱軍はパンチ・ベルデ和平に調印した。この時期、ウルグアイ\nの将軍オリブが州の南方から攻撃をしかけており、ファルピーリャは挟撃さ\nれていた。またカシアスは地方の上流層と交渉、すべての反乱者を赦\n免し譲歩を行った。反乱軍の兵と士官は公平な条件で帝国軍に編入\nされ、任地が委ねられた。;;;;;;;;;;X ACT281021A;条項を受け入れよう;;;;;;;;;;X ACT281021B;拒否、最後の一人まで戦う!;;;;;;;;;;X ####### 281K U00 War of the Farrapos(Piratini Republic) Flavor #######;;;;;;;;;;;X,, EVT281002N;ベント・ゴンサルベスの逮捕;;;;;;;;;;X EVT281002D;1836年10月、ファンファの戦いでファルピーリャらはブラジル帝国軍の前\nに敗退した。そしてベント・ゴンサルベスは投獄され、さらにマール要塞へ\nと移送された。だがこれを行ったのは、かつて友人だったファルピーリャの\n裏切り者、ベント・マノエルだったのだ。;;;;;;;;;;X ACT281002A;くそっ!!;;;;;;;;;;X EVT281003N;ベント・ゴンサルベスの脱走;;;;;;;;;;X EVT281003D;1836年11月、反乱軍はピラティニ地方に共和国を建国した。そしてその大統領に、投獄中の身でありながらベント・ゴンサルベスが指名されたのだ。ただし彼は当時、マール要塞で拘束されていた。以前にイタリア統一の英雄としても知られるジュセッペ・ガリバルディの助けを借りて、刑務所からの脱走を試みたことがあったのだが、その際に失敗して移送されていたのだ。だが9月になるとゴンサルベスは再び脱走を試み、今度は地元の反政府組織、サビーノに助けられて逃げおおせることに成功した。そして彼はリオグランデに戻り、前線に立って再び指揮をとるようになったのである。;;;;;;;;;;X EVT281003D;1836年11月、反乱軍はピラティニ地方に共和国を建国した。そしてそ\nの大統領に、投獄中の身でありながらベント・ゴンサルベスが指名され\nたのだ。ただし彼は当時、マール要塞で拘束されていた。以前にイタリ\nア統一の英雄としても知られるジュセッペ・ガリバルディの助けを借りて、\n刑務所からの脱走を試みたことがあったのだが、その際に失敗して移送\nされていたのだ。だが9月になるとゴンサルベスは再び脱走を試み、今度\nは地元の反政府組織、サビーノに助けられて逃げおおせることに成功し\nた。そして彼はリオグランデに戻り、前線に立って再び指揮をとるようにな\nったのである。;;;;;;;;;;X ACT281003A;脱走するとは勇気があるな;;;;;;;;;;X EVT281004N;ドン・ペドロ2世がブラジルで戴冠;;;;;;;;;;X EVT281004D;皇太子ドン・ペドロ2世は戴冠してブラジル皇帝となった。我が国はブラ\nジル連邦の一員として復帰するべきか否か、選択すべき時を迎えている。;;;;;;;;;;X ACT281004A;我が国は自由の国だ!;;;;;;;;;;X ACT281004B;王室からは逃れられない;;;;;;;;;;X EVT281005N;ブラジル王家の没落;;;;;;;;;;X EVT281005D;ブラジルでは君主制自体が失権してしまった。我が国はブラジル連邦の\n一員として復帰するべきか否か、選択すべき時を迎えている。;;;;;;;;;;X ACT281005A;ブラジルからは逃れられない;;;;;;;;;;X ACT281005B;我が国は自由の国だ!;;;;;;;;;;X EVT281010N;ガリバルディの支援;;;;;;;;;;X EVT281010D;イタリアのピエモンテで1834年、共和主義者マッツィーニは騒乱を起こし\nた。だがこれは失敗し、ジュセッペ・ガリバルディもこれに加わったかどで死\n刑を宣告された。そこで彼はマルセイユに逃走してチュニジアへと移動、\nそうこうするうちにブラジルへと逃げ延びる事になった。またガリバルディは\nここブラジルで恋人にして戦友、のちに妻となる、ポルトガル人とインディ\nオの混血女性アニータと出会っている。そのガリバルディが、共和主義者\nやほかの亡命イタリア人とともに、リオ・グランデ・ド・スルの分離運動に加\nわって戦ってくれることになった。;;;;;;;;;;X ACT281010A;あのガリバルディが支援を申し出ているのか;;;;;;;;;;X EVT281011N;ヴィラ・ド・プリンシペでの略奪;;;;;;;;;;X EVT281011D;ファルピーリャの部隊には、あらゆる皇帝派の拠点を略奪できるとする「\n私掠特許状」が与えられていた。特許状を設定したことで、各部隊は\n自分たちの望むままにその内容を読み替えることができなくなった。そし\nてこれ以降、ファルピーリャの通過するあらゆる都市は、彼らに友好的か\n否かにかかわらず略奪を蒙ることになったのだった。;;;;;;;;;;X ACT281011A;儲けを得よう!;;;;;;;;;;X ACT281011B;略奪などあってはならない;;;;;;;;;;X EVT281012N;デステーロでの略奪;;;;;;;;;;X EVT281017N;ブラジル党政権の戦略;;;;;;;;;;X EVT281017D;ブラジル党は、その要綱の第一条にブラジルへの再統合を規定する\n政党である。民衆による選挙で彼らが勝利したということは、我が\n政府もその民意に従わねばならないことになる。これは国民の選択\nしたことなのだ。;;;;;;;;;;X ACT281017A;受け入れる;;;;;;;;;;X ACT281017B;拒否する;;;;;;;;;;X EVT281018N;クリティバでの略奪;;;;;;;;;;X