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vip_flavourは別ページ 2/17 EVT128077修正(タイプミス) 3/8 128009修正(タイプミス) 3/9 文中のファラポスをファハポスに修正 # VIP-128K Brazil normal events;;;;;;;;;;;X EVT128000N;フェイジョ司祭の辞任;;;;;;;;;;X EVT128000D;1836年下院選挙により、議会は摂政のフェイジョ司祭に対する\n反対派が多数を占めていた。反対派の声が高まる中、\nパラおよびリオグランデドスルにおける反乱鎮圧の失敗などに見回れ\nフェイジョ司祭は1837年9月19日辞任を決めることとなる。\n摂政権は臨時的に\nフェイジョ司祭からアラウジョ・リマに引き渡された。;;;;;;;;;;X ACT128000A;アラウジョ・リマを任命;;;;;;;;;;X ACT128000B;ベルナンドペレイラ・デ・バスコンセロスを任命;;;;;;;;;;X EVT128001N;1877-79年の干ばつ;;;;;;;;;;X EVT128001D;1877-79年の間、ブラジル北東部をひどい干ばつが襲った。\nこのためマナウスに入植していた人々のほとんどはゴム栽培を行った。;;;;;;;;;;X ACT128001A;雨乞いをしよう;;;;;;;;;;X EVT128002N;マウアー男爵;;;;;;;;;;X EVT128002D;イリネウ・エヴァンジェリスタ・デ・ソーサ(マウアー男爵)はブラジル史に\nもっとも大きな影響を与えた人物かもしれない。\n \n1867年、男爵は所有する企業\n(国際銀行と6カ国に存在する17の鉄道会社)の統合を行い、\nコングロマリットを形成した。\nその利益は当時の国家予算を二割ほど上回っていた。;;;;;;;;;;X ACT128002A;マウアーの時代が始まった;;;;;;;;;;X EVT128003N;マウアー男爵の破産;;;;;;;;;;X EVT128003D;皇帝の妬みにさらされ冷遇されたマウアー男爵は\n彼の独創性を植民地におけるコーヒー栽培に向け、\nイギリスをはじめとする海外の企業と競争することになっていった。\n \n1860年のアルベスブランコから、シルバフェラースまでの\n関税政策も彼の商売において逆境となった。;;;;;;;;;X ACT128003A;マウアーの時代はお終いだ;;;;;;;;;;X EVT128004N;1891年憲法;;;;;;;;;;X EVT128004D;ブラジル憲法会議により発布されたこの憲法は、\nアメリカの伝統的共和制に影響され\n自由主義的精神に満ちたものであった。\nこれにより大統領制が確立され、\n各州において大幅な自治権と党派の自由を保障。\nまた、公的にカトリック教会と国家との政教分離を確立し、\n議会における議長権限を廃した。;;;;;;;;;;X ACT128004A;自由主義の憲法を;;;;;;;;;;X ACT128004B;保守的な憲法を;;;;;;;;;;X EVT128006N;アクレ地方の購入;;;;;;;;;;X EVT128006D;1899年、ボリビアではこの地域における支配権を確立させるために、\n旱魃により流入したブラジル人に課税をおこない、\nプエルト・アロンゾ市の設立を目指していた。\n武装蜂起したブルジル人の目的は当地でのゴムの栽培であった。\n結果いくらかの衝突が発生した。\n \nこの紛争は1903年ペトロポリス条約により\nブラジルがこの地を獲得することにで解決した。;;;;;;;;;;X ACT128006A;言論の力でアクレ地方を要求;;;;;;;;;;X ACT128006B;武力でアクレ地方を要求;;;;;;;;;;X ACT128006C;どうしてこの地方が必要かね?;;;;;;;;;;X EVT128007N;アクレ購入の提案は受け入れられた;;;;;;;;;;X EVT128007D;われわれの提案は受け入れられた、負債を支払う必要がある。;;;;;;;;;;X ACT128007A;アクレはブラジル領に;;;;;;;;;;X EVT128008N;アクレ購入の提案は拒否された;;;;;;;;;;X EVT128008D;提案の拒否を受けて、我々は他の手段を講じる必要がでてきた。;;;;;;;;;;X ACT128008A;武力でアクレ地方を要求;;;;;;;;;;X ACT128008B;そこまでして必要なのか?;;;;;;;;;;X EVT128009N;アクレ領有;;;;;;;;;;X EVT128009D;ゴム収集人の反乱は沈静化し、その後アクレはブラジルに併合された;;;;;;;;;;X ACT128009A;うんうん;;;;;;;;;;X EVT128010N;ブラジルのピラティニ共和国に対する姿勢;;;;;;;;;;X EVT128010D;国内生産品に対する高関税および課税を理由に、\n下院の自由主義派とベント・ゴンカルブス大佐は\n知事をひきずりおろした。\nこの反乱は民衆の支持を受け、\n独立した共和国の樹立を目指す運動へと変化。\nピラティニ共和国の樹立を宣言。\n \nブラジル帝国軍は、大多数が自由民(非奴隷)により組織された\n部隊と対面することとなる。\nこの反乱は奴隷制の廃止を求める声とともに拡大を見せていく。;;;;;;;;;;X ACT128010A;戦い続けるのだ!;;;;;;;;;;X ACT128010B;軍は疲弊している。国家総動員しなければ!;;;;;;;;;;X ACT128010C;他にもいろいろ問題は山積している;;;;;;;;;;X EVT128011N;エウセビオ・ケイロス法;;;;;;;;;;X EVT128011D;1850年3月、有能なイギリス最初の首相グラッドストンはブラジルに対し\nて奴隷交易の停止を要求。ブラジルとの交戦をも辞さない考えを見せ\nた。ブラジル政府は最終的に1850年9月4日これに同意。\n奴隷船を海賊行為と認める「エウセビオ・ケイロス法」が成立した。;;;;;;;;;;X ACT128011A;イギリスには逆らえない、交易を中止しよう;;;;;;;;;;X ACT128011B;拒否だ!イギリスが世界の盟主だとでもいうのか?;;;;;;;;;;X EVT128012N;カタリーナ(ジュリアナ)共和国;;;;;;;;;;X EVT128012D;叙情的な100キロの航海の後、\n排水量18トンの二艘の船がパンパスを横切っていく。\n \n1839年7月22日、ファハポスはデビ・カナベッロに率いられた\n兵士とともに無防備であった都市ラグナを攻撃した。\nしかしながら反乱軍は市民の支持を得られず、\n彼らへの支援はおこなわれなかった。\nカタリーナ共和国はブラジル陸軍が、\nラグナを再獲得するまでの二ヶ月の間だけ存在した。;;;;;;;;;;X ACT128012A;反逆者め!;;;;;;;;;;X EVT128013N;コーヒー栽培の黎明;;;;;;;;;;X EVT128013D;おおよそ1830年代から1880年にかけて、経済界は\nコーヒー文化の振興に傾倒した。\nコーヒー業界は競合がなく、商品は\n広くヨーロッパや北アメリカに販売できた。\nそれゆえ当時コーヒーの栽培は帝国経済にとって谷地となり、\n継続的な安定装置となった。コーヒー栽培の開始は\nブラジルにとって貿易収支バランスの転換点であった。;;;;;;;;;;X ACT128013A;バレドパライイバに種を蒔こう;;;;;;;;;;X EVT128014N;ゴム栽培の黎明;;;;;;;;;;X EVT128014D;1839年、チャールズ・グットイヤーがゴムの加硫技術を発明した。\n硫黄を混合して加熱することでゴムを強靱にし\n耐熱性を持たせる技術である。\n1888年、ジョン・ダンロップが息子と新しい車輪を作り自転車レースに\n勝利した。自転車の車輪には膨らませたゴムひもがつけられていた。\n \nその三年前カール・ベンツが初のガソリン自動車を製作。\nすぐに加硫ゴム製のタイヤを採用することとなる。\nこれがゴム栽培の始まりであった。;;;;;;;;;;X ACT128014A;北方を開拓しよう;;;;;;;;;;X EVT128015N;ゴム栽培のおわり;;;;;;;;;;X EVT128015D;1874年、イギリス人ヘンリー・ウイックが7000個のゴムの木の種を\nマレーシアに密輸。\n \n30年後それらは花を咲かせ、ブラジル人のゴム資源独占の前に\n立ちふさがることとなる。マナウス市の威信は大きく傷つき、\n地方経済の破綻をひきおこした。;;;;;;;;;;X ACT128015A;ウイックめ!!;;;;;;;;;;X EVT128016N;パンチ・ベルデ和平;;;;;;;;;;X EVT128016D;反乱軍に対し大赦が呼びかけられたが、\n不公平を理由に彼らはそれを拒否した。\n \n1842年カシアス男爵は和平交渉に向かうこととなる。\n平和はウルグアイの将軍であるオリブが南方より\nプロヴィンスに攻撃を仕掛けてきたことによりもたらされた。\n挟撃の形となったファルピーリャはパンチ・ベルデ条約に調印。\nカシアス男爵が地域支配層と交渉を行った結果、\n全ての反乱軍は特赦。\nまた、反乱地域の兵と警官は帝国軍に\n対等の条件で組み入れられ、土地は返還されることとなった。;;;;;;;;;;X ACT128016A;再びブラジルをひとつに!;;;;;;;;;;X EVT128019N;コーヒー栽培 第二期;;;;;;;;;;X EVT128019D;1880年頃、パライイバ谷の農地拡大は終わりを見せ、\nサンパウロ西部に新しい動きが見られた。\nあり得る土地全てに'金のなる種 - コーヒー'を栽培するのだ。;;;;;;;;;;X ACT128019A;パウリスタの西に種を蒔くのだ;;;;;;;;;;X EVT128030N;カバナゲム;;;;;;;;;;X EVT128030D;経済問題と地方総督との衝突が反乱を引き起こした。\n反乱軍は地方自治と奴隷制の廃止を求めた。\n彼らはカバナスと呼ばれる貧民層に支持されていた。\n1835年8月反乱軍はベレムを占領し新政府を樹立、\nパラ共和国の樹立を宣言した。\nこの事件は反乱の象徴とみなされた。\n \n1836年4月軍がベレムを包囲。\n5月カバナス達はベレンを放棄しジャングルに逃れた。\nその後反抗は四年にわたり継続した。;;;;;;;;;;X ACT128030A;ベレムの反乱は悪化した;;;;;;;;;;X EVT128031N;カバナゲムが支援を受ける;;;;;;;;;;X EVT128031D;カバナスが他のプロヴィンスから支援を受けた模様です。;;;;;;;;;;X ACT128031A;カバナスの反乱軍は北に向かう;;;;;;;;;;X EVT128032N;サビナーダ;;;;;;;;;;X EVT128032D;ファルピーリャの反乱を受け、政府が徴兵の義務を課すと、\n地方の自由主義者が反乱を起こした。\n1837年11月フランシスコ・サビーノ医師によりこの運動は始まる。\n反乱軍はフォルテ・ド・サンペドロを占拠、たてこもり防戦した。\nサルバドル民衆はバイア人共和国を宣言。\n1838年3月、政府軍はサルバドルの再占領に成功した。\n約五ヶ月の革命政府であった。;;;;;;;;;;X ACT128032A;サルバドルで反乱だ;;;;;;;;;;X EVT128033N;バライヤーダ;;;;;;;;;;X EVT128033D;首謀者のマヌエル・ド・アンホがバライオ(籠作り)であったことから\nバライヤーダと呼ばれる、この反乱は\nカラプレタの刑務所に思想的な理由で投獄されていた兄を助けるため\n彼が侵入したことから始まった。\n \n囚人全てが、「悪漢コスメ」の助けを得て開放された。\nコスメは解放奴隷でありキロンボとよばれる\n逃亡奴隷の自治体を統治していた。\n \n1839年10月バライオ達は大都市カシアスを占領、\n仮政府を樹立するが、\nカシアス男爵により敗れることとなる。\n1840年ドン・ペドロ二世は反乱者に対する特赦を発令した。;;;;;;;;;;X ACT128033A;サンルイスで反乱だ;;;;;;;;;;X EVT128034N;バライヤーダが支援を受ける;;;;;;;;;;X EVT128034D;バライオが他のプロヴィンスから支援を受けた模様です。;;;;;;;;;;X ACT128034A;バライオの反乱軍はマランハォに向かう;;;;;;;;;;X EVT128035N;プライエーラ;;;;;;;;;;X EVT128035D;ペルナンブコ州において自由主義派政権が保守派に変わった結果、\n州には保守派による寡頭政権が形成された。\nこれをうけ下院の自由主義派が反乱、1848年12月新憲法を発布。\nイガラスの奪取を試みるがしかしこれに失敗。\n1849年2月レシフェに攻撃をしかけるがこれも失敗、\nそのためゲリラ活動をこのプロヴィンスで始める。\n \nこの反乱は1850年1月にゲリラ集団のリーダー\nペドロ・イボが逮捕されたことにより終結した。;;;;;;;;;;X ACT128035A;レシフェで反乱だ;;;;;;;;;;X EVT128036N;ワクチン暴動;;;;;;;;;;X EVT128036D;1904年10月、黄熱病に対するワクチンの接種が義務づけられたが、\nこの強制にシュールとしか言えない理由で\nリオデジャネイロにおいて住民が反抗。\nしかし若き医師オズワルド・クルツの勝利に終わる。\n \n法の下に警察の支援を受け国家衛生隊が各家庭に侵入\n予防接種は実行された。\nその後レッドビーチにある陸軍学校の支援により、\nこの事件は隠蔽された。;;;;;;;;;;X ACT128036A;ワクチンの接種を義務づけるのだ;;;;;;;;;;X ACT128036B;ほおっておけ、伝染病は蔓延するだろうが;;;;;;;;;;X EVT128037N;アバディーン法;;;;;;;;;;X EVT128037D;1845年8月9日、イギリスは奴隷を運搬するブラジル船を\n例外なく海軍により拿捕することを認める法律を制定。\nしかし、積荷を失う危険は増えたものの、\n奴隷取引はさらに旨い商売となった。\n \n事実このアバディーン法の制定以降、\nブラジルの港への不法な奴隷商船の到着は五割ほど増加した。;;;;;;;;;;X ACT128037A;屈辱的だが、受け入れる他あるまい;;;;;;;;;;X ACT128037B;イギリスの糞どもが!;;;;;;;;;;X EVT128042N;アルベスブランコ関税;;;;;;;;;;X EVT128042D;1844年、自由貿易が保護貿易主義により置き換えられた。\n法改正により、現行の関税の税率を二重に、\nあるケースでは四重に徴収する形で引き上げを行ったのである。\n当然ながらこの政策は国際的な批判を受け、特にイギリスは\n既得権益の損失から特に強硬な態度を示した。\n保護貿易主義派は\nけして強固な壁を作り上げることはできなかったが、\nこれにより国内産業は発展した。;;;;;;;;;;X ACT128042A;承認;;;;;;;;;;X ACT128042B;否決;;;;;;;;;;X EVT128043N;アルベスブランコ関税;;;;;;;;;;X EVT128043D;1844年、自由貿易が保護貿易主義により置き換えられた。\n法改正により、現行の関税の税率を二重に、\nあるケースでは四重に徴収する形で引き上げを行ったのである。\n当然ながらこの政策は国際的な批判を受け、特にイギリスは\n既得権益の損失から特に強硬な態度を示した。\n保護貿易主義派は\nけして強固な壁を作り上げることはできなかったが、\nこれにより国内産業は発展した。;;;;;;;;;;X ACT128043A;承認;;;;;;;;;;X ACT128043B;否決;;;;;;;;;;X EVT128049N;1891年の議会分裂;;;;;;;;;;X EVT128049D;1891年に発布された新憲法に則り、\nデオドロ・ド・フォンセカおよびフロリアーノ・ペイショット将軍が\nそれぞれ大統領、副大統領に選出された。\n \nしかし獲得票数は大統領は129副大統領は153であった。\nデオドロ・ド・フォンセカは帝国主義的な議会での\n力関係を調整しきれず、議会を解散し戒厳令を敷く。\n1891年11月リオグランデにおいて海軍が反抗。\n反対派をなだめるため大統領は退陣、ペイショットに政権を譲った。;;;;;;;;;;X ACT128049A;議会を解散する;;;;;;;;;;X ACT128049B;和解の道はないものか;;;;;;;;;;X EVT128051N;鉄血元帥;;;;;;;;;;X EVT128051D;フロリアーノ将軍の繰り上げによる大統領就任は\n秩序の回復と見なされた。\n陸軍とPRPはこの政権を支持。\n \n彼はまず、議会を開催するとすぐにデオドロ派の知事たちを更迭。\n経済投機と食品先物を管制し中央集権を強める。\nこれに対し海軍を中心に将校達が反抗し暴動を起こした。\nペイショットの荒々しい連邦国の防衛活動は、\nジャコバン派の賞賛の的となり、\nのちにブラジルのナショナリズムの象徴ともなった。;;;;;;;;;;X ACT128051A;選挙はおこなわない;;;;;;;;;;X ACT128051B;選挙をおこなおう;;;;;;;;;;X EVT128061N;軍隊問題;;;;;;;;;;X EVT128061D;軍がおおやけに政治に関係する発言をすることが\n文官の制定した法令により禁じられた。\n \n1884年、奴隷制廃止に関する軍と政府との討論を後押しした\n軍将校が罰せられた。\nその後二度目の将校に対する、懲罰の適用により状況が悪化。\n政府の抑制は効果を見せず、\n各州で軍部が次々と反対の意志を表明。\n1887年、デオドロ・ド・フォンセカ元帥の下に\n200の将校が集会を開き、\n懲罰適用の撤回を要求。政府はこれを呑まざるを得なかった。;;;;;;;;;;X ACT128061A;軍部が力を得ている;;;;;;;;;;X EVT128062N;イギリスがピラティニ同盟を独立保障;;;;;;;;;;X EVT128062D;デモクレスの剣は髪の毛一本で我々の頭上に吊されている。\n再びイギリス人どもは内政干渉し、ファハポス達の独立を保障したのだ。\n我々もそれを認めるべきか、それとも奴らとその後ろ盾となった\n怒りに満ちたイギリスにたちむかうべきか。;;;;;;;;;;X ACT128062A;ピラティニ共和国とその同盟を認めよう;;;;;;;;;;X ACT128062B;ピラティニ共和国を認めることはできない;;;;;;;;;;X ACT128062C;ピラティニ共和国と戦争だ!;;;;;;;;;;X EVT128063N;大英帝国の庇護;;;;;;;;;;X EVT128063D;イギリス人は反乱軍の鎮圧に力を貸してくれるそうです。\n将来の交易に便宜を図るようにとの交換条件つきですが。;;;;;;;;;;X ACT128063A;反乱軍と戦争だ;;;;;;;;;;X ACT128063B;反乱軍はもちろんシスプラチン州も頂こう;;;;;;;;;;X ACT128063C;戦争など恐ろしい!;;;;;;;;;;X EVT128069N;シルバフェラース関税;;;;;;;;;;X EVT128069D;アルベスブランコ関税法は反自由貿易主義の顕現であり、\nイギリスを始めとする帝国主義的列強に対しての\n暴力的闘争ですらあった。\n \nこれに対しイギリスは続けざまにブラジルに対して報復。\n結果帝国政府はイギリスに対して多額の不公平な公債を\n負うことになっていたが、\nシルバフェーラス関税法の導入により規制を緩和、\n機械部品、工作機械の輸入関税を引き下げ、\n諸外国資本の興味をひきつけることとなる。;;;;;;;;;;X ACT128069A;承認;;;;;;;;;;X ACT128069B;否決;;;;;;;;;;X EVT128070N;シルバフェラース関税;;;;;;;;;;X EVT128070D;アルベスブランコ関税法は反自由貿易主義の顕現であり、\n英国を始めとする帝国主義的列強に対しての\n暴力的闘争ですらあった。\n \nこれに対し英国は続けざまにブラジルに対して報復。\n結果帝国政府は英国に対して多額の不公平な公債を\n負うことになっていたが、\nシルバフェーラス関税法の導入により規制を緩和、\n機械部品、工作機械の輸入関税を引き下げ、\n諸外国資本の興味をひきつけることとなる。;;;;;;;;;;X ACT128070A;承認;;;;;;;;;;X ACT128070B;否決;;;;;;;;;;X EVT128074N;政策転換;;;;;;;;;;X EVT128074D;イギリス人のビル・アバディーンによる屈辱の後、奴隷制廃止は\n国内問題となっていった。賠償金を支払うべきか否かが争点とされた。\n保守派は決議の引き延ばしと資本家への保護を、\n自由主義者は即時の奴隷制廃止と義務の軽減を\n共に政府に訴えた。\nこの議論は紛糾し、結局結論は40年以上引き延ばされることとなる。;;;;;;;;;;;X ACT128074A;よろしい;;;;;;;;;;X EVT128075N;政策転換;;;;;;;;;;X EVT128075D;イギリス人のビル・アバディーンによる屈辱の後、奴隷制廃止は\n国内問題となっていった。賠償金を支払うべきか否かが争点とされた。\n保守派は決議の引き延ばしと資本家への保護を、\n自由主義者は即時の奴隷制廃止と義務の軽減を\n共に政府に訴えた。\nこの議論は紛糾し、結局結論は40年以上引き延ばされることとなる。;;;;;;;;;;X ACT128075A;よろしい;;;;;;;;;;X EVT128076N;種子の密輸人;;;;;;;;;;X EVT128076D;1874年、イギリス人ヘンリー・ウィックが国境付近で逮捕。\n彼は7000のゴムの木の種を外地に密輸しようとしていた。;;;;;;;;;;X ACT128076A;国際問題化が懸念される;;;;;;;;;;X ACT128076B;逮捕せよ;;;;;;;;;;X EVT128077N;密輸人の侵入;;;;;;;;;;X EVT128077D;自動車製品におけるゴム利用が宣伝効果となり、ブラジルは\nもはや無法な交易人から資源を守ることができなくなっていた。\n彼らは先住民と直接取引をし、政府になんの対価もなしに\nゴムの木の種を買い取っていくのだ。;;;;;;;;;;X ACT128077A;もうどうしようもない;;;;;;;;;;X EVT128078N;フランスによるアマパ占領;;;;;;;;;;X EVT128078D;1895年フランス人入植者がアマパ地区を獲得。\nゴム資源の探索を目的にフランス政府はこの地区を占領し、\nフランス人入植者による占拠と植民の正当性を主張した。;;;;;;;;;;X ACT128078A;断固抗議する;;;;;;;;;;X ACT128078B;我らの領地を守れ;;;;;;;;;;X ACT128078C;口を閉ざす;;;;;;;;;;X EVT128079N;フランスがアマパ購入を要請;;;;;;;;;;X EVT128079D;フランスはアマパの購入を要請してきました。\nすでにそこはフランス人により入植されています。;;;;;;;;;;X ACT128079A;拒否;;;;;;;;;;X ACT128079B;受諾;;;;;;;;;;X EVT128080N;アマパ問題におけるスイス;;;;;;;;;;X EVT128080D;フランスと衝突しているアマパ問題においてスイスは我々の主張を擁護。\nこのプロヴィンスはブラジルに返還すべきであるとした。;;;;;;;;;;X ACT128080A;すごい;;;;;;;;;;X EVT128081N;アマパ問題におけるスイス;;;;;;;;;;X EVT128081D;フランスと衝突しているアマパ問題において\nスイスはフランスとの関係を優先。\nこのプロヴィンスはフランスの領有に帰すべしとした。;;;;;;;;;;X ACT128081A;スイスの主張に従うほかない;;;;;;;;;;X EVT128082N;アマパ戦争におけるブラジルの勝利;;;;;;;;;;X EVT128082D;アマパを巡るフランスとのいくらかの小競り合いの後、\nフランス領ギアナの取得に成功。上陸において抵抗はあったものの、\n外交官はフランスに平和条約への調印を要求。\n条約にはアマパをブラジルの領有に帰する旨と、賠償金の要求、\n入植地のブラジル人への引き渡しを行う旨が盛り込まれている。;;;;;;;;;;X ACT128082A;平和条約を強要;;;;;;;;;;X ACT128082B;より大きな勝利を!;;;;;;;;;;X EVT128083N;アマパ戦争におけるブラジルの敗北;;;;;;;;;;X EVT128083D;アマパ州を巡る戦争の勃発後、\nブラジルのプロヴィンスをフランスは獲得。\nフランス外交官は平和条約への調印を要求。\nこれはアマパにおけるフランスの権利を認めさせるものだ。.;;;;;;;;;;X ACT128083A;受け入れよう;;;;;;;;;;X ACT128083B;退却はやむなし、しかし降伏はしない;;;;;;;;;;X EVT128084N;バスケス・コボマーティンズ条約;;;;;;;;;;X EVT128084D;コロンビアとの境界線に関する論争を解決するため、ブラジルは\n相互に納得のおける国境を策定するための、\n相互条約への調印を促した。;;;;;;;;;;X ACT128084A;いい考えだ;;;;;;;;;;X ACT128084B;無理強いはよしておこう;;;;;;;;;;X ACT128084C;戦争で国境を拡大するのだ!;;;;;;;;;;X EVT128085N;コロンビア、条約を了承;;;;;;;;;;X EVT128085D;コロンビアはバスケス・コボマーティンズ条約への調印を受諾、\n我々の主張する国境線を認める。\nこれにより領地を巡る二国間の緊張した外交は終了した。;;;;;;;;;;X ACT128085A;すごいぞ!;;;;;;;;;;X EVT128086N;コロンビア、条約を拒否;;;;;;;;;;X EVT128086D;愚昧なるコロンビア人は我々に対する反抗の意志を固め、\n我らの正当な領土に対する主権を主張。;;;;;;;;;;X ACT128086A;では戦争だ!;;;;;;;;;;X ACT128086B;さして重要ではない;;;;;;;;;;X EVT128087N;コロンビアは代償を要求;;;;;;;;;;X EVT128087D;コロンビアはバスケス・コボマーティンズ条約の受諾に際し\n我が国に代償を要求してきました。;;;;;;;;;;X ACT128087A;支払ってやれ!;;;;;;;;;;X ACT128087B;問題は先送りだな;;;;;;;;;;X ACT128087C;軍を動かす時が来たようだな!;;;;;;;;;;X EVT128089N;連邦主義者の反乱;;;;;;;;;;X EVT128089D;1893年12月15日、リオグランデ・ド・スルにおいて市民戦争が勃発。\n中央集権と権威主義に反発するもので、\nフロリアーノ元帥を援助する共和派の州知事が攻撃を受けた。\n反抗勢力は議会制民主主義のスペシャリストである、\n連邦主義者によって形成されていた。\n君主主義者のガスパー・マーティン、グメルシンド・サラビア\nシルバ・タバレス将軍などにより率いられ、海軍もこれに同調した。\nこの内戦における武装的衝突は二年間に及んだ。;;;;;;;;;;X ACT128089A;反逆者め!!;;;;;;;;;;X EVT128093N;ピラティニとの休戦;;;;;;;;;;X EVT128093D;1894年7月パソ・フンドにてグメルシンド・サラビアを下し、\n戦争は勝利に終わったが、主張はやまなかった。\n1895年7月10日プレデンテ・デ・モライスに政権が移ると、\n中央政府によりジュリオ・デ・カスティロスの権力を保障し、また\n議会においてこの革命運動に関わったものを特赦することを決め、\n国内の平和を回復した。;;;;;;;;;;X ACT128093A;平和がおとずれた;;;;;;;;;;X EVT128100N;パラグアイへのピエメンタ・ブエノ派遣;;;;;;;;;;X EVT128100D;ブラジルは、ピエメンタ・ブエノ領事兼将軍をパラグアイとの\n関係改善のため派遣、パラグアイの独立承認にむけて\n一歩を踏み出した。\nブラジルによるパラグアイの独立はいまだ承認はされていなかったが、\nピエメンタ・ブエノ領事の交渉は二国間の関係を改善していった。;;;;;;;;;;X ACT128100A;派遣;;;;;;;;;;X ACT128100B;パラグアイなどどうでもよい;;;;;;;;;;X EVT128101N;ブラジルはパラグアイの独立を認める;;;;;;;;;;X EVT128101D;1844年、ブラジルとパラグアイは、\n同盟、交易、港運、犯罪者引き渡しとその制限\nなどについて条約を取り交わした。\nこの条約に調印することにより\nブラジルはパラグアイの独立を認め、\n広く諸国にその独立を認知させることを約束した。;;;;;;;;;;X ACT128101A;バラグアイの独立を認める;;;;;;;;;;X ACT128101B;パラグアイの独立など我々に関係はない;;;;;;;;;;X EVT128102N;ブラジル、パラグアイを援助し諸国に独立を認知させる;;;;;;;;;;X EVT128102D;1845年5月24日、ブラジル政府は\nすべてのブラジル大使館および海外の領事館に\nウルグアイ同様、パラグアイに対する独立保証も\nプラタ地方におけるブラジルとアルゼンチンの勢力均衡において\n極めて重要な問題である旨を回状で回した。;;;;;;;;;;X ACT128102A;回状を出す;;;;;;;;;;X ACT128102B;回状を出さない;;;;;;;;;;X EVT128103N;ブラジル・ウルグアイ間の五つの条約;;;;;;;;;;X EVT128103D;モンテビデオはブラジル財界と軍の援助に対して\n五つの恒久的な条約を結ぶこととなった。\n \n1.ブラジルのウルグアイに対する干渉権\n2.ウルグアイに逃亡した犯罪者および奴隷の引き渡し\n3.ウルグアイ領内の自由航行\n4.塩肉および畜牛への課税免除\n5.ブランコ党政府のブラジルに対する債務の確認\n \nこれによりブラジルは追加融資を行い、両国の境界線が確定された。;;;;;;;;;;X ACT128103A;ウルグアイは我々の努力に応えた;;;;;;;;;;X EVT128104N;ウルグアイ、五つの条約を拒否する;;;;;;;;;;X EVT128104D;ゲラグランデ(大戦争)での奮闘にも関わらず、\nモンテビデオから我々の外交官は空手で戻る他なかった。\nウルグアイ政府は自らの債務を認めず、我々の払った\n軍事、政治、精神的努力を踏みにじったのだ。\nウルグアイはこの干渉にかかった\n一部の額しか支払おうとしていない。;;;;;;;;;;X ACT128104A;「いずれ」支払うこととなろう;;;;;;;;;;X ACT128104B;奴らは本気か?;;;;;;;;;;X EVT128106N;コロラド党のベナンシオ・フローレスを援助;;;;;;;;;;X EVT128106D;1864年、ウルグアイの権力をアギーレが握ったことは、\nブラジル政府を激怒させた。\n \nこの時ウルグアイのブランコ党は新たな同盟国を得ていた。\nソラノ・ロペスの治めるパラグアイである。\nこのような新たな軍事勢力の勃興は\nアルゼンチン、ブラジル両政府にとって好ましくないものであった。\nそしてブラジルは、アルゼンチン同様に、反抗勢力である\nフローレス将軍率いるコロラド党に援助を行った。;;;;;;;;;;X ACT128106A;援助する;;;;;;;;;;X ACT128106B;考えを変える;;;;;;;;;;X EVT128107N;三国同盟;;;;;;;;;;X EVT128107D;1865年5月1日、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの\n三国はパラグアイに対して同盟を結んだ。\n同盟の内容は以下の通りである\n \n1.パラグアイにおけるロペスの独裁政権打倒\n2.パラグアイおよびパラナにおける自由航行の保証\n3.パラグアイ北西部における占領地のブラジルによる領有決定権\nおよびパラグアイ東部および西部におけるアルゼンチンの領有決定権;;;;;;;;;;X ACT128107A;調印する;;;;;;;;;;X ACT128107B;単独決戦;;;;;;;;;;X EVT128109N;戦争に勝利しました;;;;;;;;;;X EVT128109D;三国同盟に基づき、ブラジルは包囲の一角を勤めた報酬を得る。\nアパ川とブランコに挟まれた45000平米にわたる\n伝道師の土地とよばれる領土および戦時賠償金である。;;;;;;;;;;X ACT128109A;我々の利権である.;;;;;;;;;;X EVT128112N;三国同盟に調印;;;;;;;;;;X EVT128112D;ブエノスアイレスにおいて1865年5月1日、\nブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンは\n内外に対する影響を恐れ秘密裏に同盟を結んだ。\n三国同盟である。\nこの条約に基づき三国は各国妥協して休戦協定を結ぶ。\nパラグアイはすべての戦時被害を背負わされることになるのである。;;;;;;;;;;X ACT128112A;すごいぞ;;;;;;;;;;X EVT128113N;三国同盟に調印;;;;;;;;;;X EVT128113D;モンテビデオにおいて1865年5月1日、ブラジルとウルグアイは\n内外に対する影響を恐れ秘密裏に同盟を結んだ。\n二国間同盟である。\n \nこの条約に基づき両国は妥協して休戦協定を結ぶ。\nパラグアイはすべての戦時被害を背負わされることになるのである。\nアルゼンチンは矢表にたって単独戦を行うことを選択した。;;;;;;;;;;X ACT128113A;すごいぞ;;;;;;;;;;X EVT128114N;三国同盟に調印;;;;;;;;;;X EVT128114D;ブエノスアイレスにおいて1865年5月1日、ブラジル、アルゼンチンは\n内外に対する影響を恐れ秘密裏に同盟を結んだ。\n二国間同盟である。\nこの条約に基づき両国は妥協して休戦協定を結ぶ。\nパラグアイはすべての戦時被害を背負わされることになるのである。\nウルグアイは矢表にたって単独戦を行うことを選択した。;;;;;;;;;;X ACT128114A;すごいぞ;;;;;;;;;;X EVT128116N;マトグロッソにおける孤立;;;;;;;;;;X EVT128116D;1864年12月、5700に及ぶパラグアイ軍がマトグロッソを攻撃。\nこの攻撃はラプラタにおいてブラジルが同盟の調整に\n苦慮している最中行われた。\nロペスは未だに、ウルキッサの支援をを受け続けられるものと期待し、\n見捨てられたプロヴィンスの占領を続ける。\n彼は帝国に対して自分の要求を押しつけられると\n信じ切っているのだ。;;;;;;;;;;X ACT128116A;ロペスは「自分自身で」闘うこととなる!;;;;;;;;;;X EVT128124N;ブラジル国旗;;;;;;;;;;X EVT128124D;新しき支配を始めるには国旗を変える必要がある。\n最初に提案された国旗はアメリカを真似たもので、\nただ緑と黄色に彩られていることだけが違った。\nすぐさま、この国旗は民衆に反発を受けることとなる。\n反対者の中には共和主義者さえ含まれていた。\n結果四日で、この国旗は姿を消すこととなる。\n新国旗は、深緑の中に黄色い菱形をあしらい、\nその中央に青い天球を置き、星々をちりばめ、\n白い帯に「秩序と進歩」のフレーズを書いたものを\n添えたものとなる。\nこれは実証主義哲学者のモットーであり、\n国際社会における原動力を示唆している。;;;;;;;;;;X ACT128124A;国旗を変えよう;;;;;;;;;;X ACT128124B;仮の国旗を使おう;;;;;;;;;;X EVT128125N;'剣の共和国'の終焉;;;;;;;;;;X EVT128125D;フロリアーノ政権は、大統領制放棄の意図のもと、\n新しく大統領選挙を行わなかった。\n法律は国民に選出された大統領のみが\n負うべきものであるという主張である。\nしかし最初の大統領が議会による直選であったことからみると、\nフロリアーノは単に脱法していたにすぎない。\nサンパウロのコーヒー男爵の支援を受け\n指令を白紙にすることができる。;;;;;;;;;;X ACT128125A;選挙を行おう;;;;;;;;;;X ACT128125B;いいや!「俺だけが」大統領だ;;;;;;;;;;X EVT128129N;ゴムによる外交論議;;;;;;;;;;X EVT128129D;ゴム栽培が始まり、夢と富を求めてアマゾンの密林に\n移民たちが入植を始めた。\n移民たちは領域内にコロンビア人による入植地を発見する。\nしかし今は使われていないようである。;;;;;;;;;;X ACT128129A;我々の権利を主張する!;;;;;;;;;;X ACT128129B;何も見なかった;;;;;;;;;;X EVT128130N;ベント・ゴンサルベスの要求;;;;;;;;;;X EVT128130D;カテテの宮殿において皇帝ドン・ペドロ二世は\n捕らわれの身となっていた。\nベント・ゴンサルベスは皇帝の解放を条件として\n以下の要求を提示した。\nピラティニ共和国に対する独立の承認と、皇帝の身代金である。;;;;;;;;;;X ACT128130A;要求を受け入れる;;;;;;;;;;X ACT128130B;戦い続ける;;;;;;;;;;X EVT128131N;黄金法;;;;;;;;;;X EVT128131D;ついに反対派は打ち破られた。\n80年に渡りブラジルは奴隷制廃止に対して\n最も長く困難な闘いを続けた。\n \n黄金法の内容は簡単な二条からなる命令であった。\nこれにより723,719人の公的な奴隷が解放されたが、\n三世紀にも渡る奴隷制の悲劇的な負の遺産を\n完全に消すことはできない。;;;;;;;;;;X ACT128131A;受諾;;;;;;;;;;X ACT128131B;否決;;;;;;;;;;X EVT128132N;コーヒーとミルクの政治;;;;;;;;;;X EVT128132D;カンポス・サレス政権は新しい政治システムを導入した。\n中央政府は州における支配的政権を支援、\n大統領もそれに倣うことに。\n不正選挙を行い任命を行ったので、\nこれをカフェラテ政治と呼ぶようになった。\nこの協調はサンパウロとミナスの寡頭政権の間で行われた。;;;;;;;;;;X ACT128132A;強行しよう;;;;;;;;;;X ACT128132B;駄目だ;;;;;;;;;;X EVT128134N;パウリスタ男爵のコーヒー;;;;;;;;;;X EVT128134D;南パライバ谷の占領後、コーヒー栽培はサンパウロ北西部まで広まり、\nそこで栽培技術は飛躍的進歩を遂げる。\n20世紀初頭、サンパウロはコーヒー栽培の中心地ではなかったし、\nそもそもが工業地帯ですらなかった。\nコーヒーによる巨益、不安定な価格、大量の人的資源、\nヨーロッパからの移民。\n \nこれら全てがサンパウロの成長に不可欠であった。;;;;;;;;;;X ACT128134A;工場に投資しよう;;;;;;;;;;X EVT128135N;コーヒー価格の崩壊;;;;;;;;;;X EVT128135D;ブラジルは世界中にコーヒーを流通することで回っていた。\n20世紀はじめには全世界の4/5のコーヒーがブラジル原産であった。\n「緑の黄金」「進歩の種子」とも呼ばれたが、所詮コーヒーブームも\n価格のついたものである。1906年からの大豊作により\nコーヒー価格は値下がりを始めた。\n全世界の消費量の130%の収穫高があったのだ。\n政府は流通通貨の引き上げをおこない、無数の農民が破産した。;;;;;;;;;;X ACT128135A;う が あ あ あ !!;;;;;;;;;;X EVT128141N;ジョゼ・マリア;;;;;;;;;;X EVT128141D;パラナ中部に長身長髪の歯のない毛むくじゃらの男\nミゲルド・ボアベントゥーラが現れた。\n国防軍からの脱走兵という経歴を持つ彼は、\n10年前から聖書と一冊の絵本を手に渡り歩き、\n自分はヨハネのマリアの精神的な後継者であると説いて回った。\nこの中には連邦主義者の反乱が発生している地域も含まれた。\n彼はジョゼ・マリアと名を変え、\n彼の周囲には2000人の支援者が集まった。;;;;;;;;;;X ACT128141A;また説教者か!!;;;;;;;;;;X EVT128142N;コンテスタード;;;;;;;;;;X EVT128142D;ジョゼ・マリアは時の終わりに、\nポルトガル王ドムセバスティオ(1578没)が復活し\n人々を統治すると説いた。\n王権を神授され「聖なる王国」を作るのだと。\n \n地方の知識層が警告し、\n陸軍はただちにこの狂人たちに攻撃を始めた。\nジョゼ・マリアの死にも関わらず、\nすでに事態は最悪の状況となっていた。\n反乱だ。;;;;;;;;;;X ACT128142A;反逆者め!!;;;;;;;;;;X EVT128144N;ルイ・バルボーザとエンシルハメント(装鞍令);;;;;;;;;;X EVT128144D;エンシルハメントとは蔵相ルイ・バルボーザによる一連の布告である。\n165番法令により銀行による通貨の発行を許し、\n国債の安定を図った。\nまた、165番法令は匿名組合の形成と融資の自由化を\n活発にした。;;;;;;;;;;X ACT128144A;制定しよう;;;;;;;;;;X ACT128144B;考えが違うな;;;;;;;;;;X EVT128145N;ルイ・バルボーザの没落;;;;;;;;;;X EVT128145D;ブラジル経済の凋落の理由のいくらかは\nエンシルハメントによる大悲劇に求められる。\n布告から一年もせず、通貨の総流通額は二倍となり、\n銀行と証券取引市場との競争は歯止めが利かなくなった。\n無数の会社が設立され、\n流通通貨は天文学的レベルに及ぶこととなる。\n \nそしてついに破滅がやってきた。\n多数のダミー会社と調整装置のない経済により、\n株式市場は崩壊。通貨は暴落、物価は上昇、\n結果、大失業時代が訪れた。;;;;;;;;;;X ACT128145A;踊らされおって!;;;;;;;;;;X EVT128146N;ブラジル、ウルグアイに干渉;;;;;;;;;;X EVT128146D;ファハポスを鎮圧後、\nブラジルの方針はアルゼンチンの独裁主義の影響が\nウルグアイに及ぶ可能性を全て摘むことと、\nウルグアイ北部国境地域と\nオリエンタレス伝道師(ウルグアイ人伝道師)の領地における\n支配を固めることに向けられた。\n \nウルグアイ政府はこれを受け、\nまるで求愛のバラでも投げるかのような気持ちで、\nブラジルとのウルキッサ同盟を結ぶ機会を得る。;;;;;;;;;;X ACT128146A;陸軍と海軍を送れ;;;;;;;;;;X ACT128146B;陸軍だけを送れ;;;;;;;;;;X ACT128146C;糞でもくれてやるものか;;;;;;;;;;X EVT128147N;アルゼンチン「ウルグアイ川東岸地帯」を併合;;;;;;;;;;X EVT128147D;アルゼンチンにより旧シスプラティンが併合、\nこの地域は以前ブラジル帝国の一部であった。\nアルゼンチンは旧ラプラタ準王国の国境まで境界線を回復し、\n大陸におけるブラジルの軍事的な主権を脅かしている。;;;;;;;;;;X ACT128147A;開戦をちらつかせ脅す;;;;;;;;;;X ACT128147B;奴らには「教育」が必要だ;;;;;;;;;;X ACT128147C;アルゼンチンは我々の友だ;;;;;;;;;;X EVT128148N;アルゼンチンは我々を無視!;;;;;;;;;;X EVT128148D;アルゼンチンはシスプラティン州の併合における、\n我らの寛大な提案を無視し続けています。;;;;;;;;;;X ACT128148A;さあ戦争だ;;;;;;;;;;X ACT128148B;独立運動の闘士に融資しよう;;;;;;;;;;X EVT128149N;ラプラタにおける反乱を支援;;;;;;;;;;X EVT128149D;パラグアイ、ウルグアイにおける独立運動家が\nアルゼンチンの手から自治独立を取り戻すために\n我々の融資を依頼してきました。\nこの運動が成功すれば南アメリカ大陸における\nアルゼンチンとブラジル間の軍事バランスを\n再調整することができるでしょう。;;;;;;;;;;X ACT128149A;パラグアイ、ウルグアイにおける彼らを支援せよ;;;;;;;;;;X ACT128149B;そんな余裕はないな;;;;;;;;;;X
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vip_flavourは別ページ 2/17 EVT128077修正(タイプミス) 3/8 128009修正(タイプミス) 3/9 文中のファラポスをファハポスに修正 # VIP-128K Brazil normal events;;;;;;;;;;;X EVT128000N;フェイジョ司祭の辞任;;;;;;;;;;X EVT128000D;1836年下院選挙により、議会は摂政のフェイジョ司祭に対する\n反対派が多数を占めていた。反対派の声が高まる中、\nパラおよびリオグランデドスルにおける反乱鎮圧の失敗などに見回れ\nフェイジョ司祭は1837年9月19日辞任を決めることとなる。\n摂政権は臨時的に\nフェイジョ司祭からアラウジョ・リマに引き渡された。;;;;;;;;;;X ACT128000A;アラウジョ・リマを任命;;;;;;;;;;X ACT128000B;ベルナンドペレイラ・デ・バスコンセロスを任命;;;;;;;;;;X EVT128001N;1877-79年の干ばつ;;;;;;;;;;X EVT128001D;1877-79年の間、ブラジル北東部をひどい干ばつが襲った。\nこのためマナウスに入植していた人々のほとんどはゴム栽培を行った。;;;;;;;;;;X ACT128001A;雨乞いをしよう;;;;;;;;;;X EVT128002N;マウアー男爵;;;;;;;;;;X EVT128002D;イリネウ・エヴァンジェリスタ・デ・ソーサ(マウアー男爵)はブラジル史に\nもっとも大きな影響を与えた人物かもしれない。\n \n1867年、男爵は所有する企業\n(国際銀行と6カ国に存在する17の鉄道会社)の統合を行い、\nコングロマリットを形成した。\nその利益は当時の国家予算を二割ほど上回っていた。;;;;;;;;;;X ACT128002A;マウアーの時代が始まった;;;;;;;;;;X EVT128003N;マウアー男爵の破産;;;;;;;;;;X EVT128003D;皇帝の妬みにさらされ冷遇されたマウアー男爵は\n彼の独創性を植民地におけるコーヒー栽培に向け、\nイギリスをはじめとする海外の企業と競争することになっていった。\n \n1860年のアルベスブランコから、シルバフェラースまでの\n関税政策も彼の商売において逆境となった。;;;;;;;;;X ACT128003A;マウアーの時代はお終いだ;;;;;;;;;;X EVT128004N;1891年憲法;;;;;;;;;;X EVT128004D;ブラジル憲法会議により発布されたこの憲法は、\nアメリカの伝統的共和制に影響され\n自由主義的精神に満ちたものであった。\nこれにより大統領制が確立され、\n各州において大幅な自治権と党派の自由を保障。\nまた、公的にカトリック教会と国家との政教分離を確立し、\n議会における議長権限を廃した。;;;;;;;;;;X ACT128004A;自由主義の憲法を;;;;;;;;;;X ACT128004B;保守的な憲法を;;;;;;;;;;X EVT128006N;アクレ地方の購入;;;;;;;;;;X EVT128006D;1899年、ボリビアではこの地域における支配権を確立させるために、\n旱魃により流入したブラジル人に課税をおこない、\nプエルト・アロンゾ市の設立を目指していた。\n武装蜂起したブルジル人の目的は当地でのゴムの栽培であった。\n結果いくらかの衝突が発生した。\n \nこの紛争は1903年ペトロポリス条約により\nブラジルがこの地を獲得することにで解決した。;;;;;;;;;;X ACT128006A;言論の力でアクレ地方を要求;;;;;;;;;;X ACT128006B;武力でアクレ地方を要求;;;;;;;;;;X ACT128006C;どうしてこの地方が必要かね?;;;;;;;;;;X EVT128007N;アクレ購入の提案は受け入れられた;;;;;;;;;;X EVT128007D;われわれの提案は受け入れられた、負債を支払う必要がある。;;;;;;;;;;X ACT128007A;アクレはブラジル領に;;;;;;;;;;X EVT128008N;アクレ購入の提案は拒否された;;;;;;;;;;X EVT128008D;提案の拒否を受けて、我々は他の手段を講じる必要がでてきた。;;;;;;;;;;X ACT128008A;武力でアクレ地方を要求;;;;;;;;;;X ACT128008B;そこまでして必要なのか?;;;;;;;;;;X EVT128009N;アクレ領有;;;;;;;;;;X EVT128009D;ゴム収集人の反乱は沈静化し、その後アクレはブラジルに併合された;;;;;;;;;;X ACT128009A;うんうん;;;;;;;;;;X EVT128010N;ブラジルのピラティニ共和国に対する姿勢;;;;;;;;;;X EVT128010D;国内生産品に対する高関税および課税を理由に、\n下院の自由主義派とベント・ゴンカルブス大佐は\n知事をひきずりおろした。\nこの反乱は民衆の支持を受け、\n独立した共和国の樹立を目指す運動へと変化。\nピラティニ共和国の樹立を宣言。\n \nブラジル帝国軍は、大多数が自由民(非奴隷)により組織された\n部隊と対面することとなる。\nこの反乱は奴隷制の廃止を求める声とともに拡大を見せていく。;;;;;;;;;;X ACT128010A;戦い続けるのだ!;;;;;;;;;;X ACT128010B;軍は疲弊している。国家総動員しなければ!;;;;;;;;;;X ACT128010C;他にもいろいろ問題は山積している;;;;;;;;;;X EVT128011N;エウセビオ・ケイロス法;;;;;;;;;;X EVT128011D;1850年3月、有能なイギリス最初の首相グラッドストンはブラジルに対し\nて奴隷交易の停止を要求。ブラジルとの交戦をも辞さない考えを見せ\nた。ブラジル政府は最終的に1850年9月4日これに同意。\n奴隷船を海賊行為と認める「エウセビオ・ケイロス法」が成立した。;;;;;;;;;;X ACT128011A;イギリスには逆らえない、交易を中止しよう;;;;;;;;;;X ACT128011B;拒否だ!イギリスが世界の盟主だとでもいうのか?;;;;;;;;;;X EVT128012N;カタリーナ(ジュリアナ)共和国;;;;;;;;;;X EVT128012D;叙情的な100キロの航海の後、\n排水量18トンの二艘の船がパンパスを横切っていく。\n \n1839年7月22日、ファハポスはデビ・カナベッロに率いられた\n兵士とともに無防備であった都市ラグナを攻撃した。\nしかしながら反乱軍は市民の支持を得られず、\n彼らへの支援はおこなわれなかった。\nカタリーナ共和国はブラジル陸軍が、\nラグナを再獲得するまでの二ヶ月の間だけ存在した。;;;;;;;;;;X ACT128012A;反逆者め!;;;;;;;;;;X EVT128013N;コーヒー栽培の黎明;;;;;;;;;;X EVT128013D;おおよそ1830年代から1880年にかけて、経済界は\nコーヒー文化の振興に傾倒した。\nコーヒー業界は競合がなく、商品は\n広くヨーロッパや北アメリカに販売できた。\nそれゆえ当時コーヒーの栽培は帝国経済にとって谷地となり、\n継続的な安定装置となった。コーヒー栽培の開始は\nブラジルにとって貿易収支バランスの転換点であった。;;;;;;;;;;X ACT128013A;バレドパライイバに種を蒔こう;;;;;;;;;;X EVT128014N;ゴム栽培の黎明;;;;;;;;;;X EVT128014D;1839年、チャールズ・グットイヤーがゴムの加硫技術を発明した。\n硫黄を混合して加熱することでゴムを強靱にし\n耐熱性を持たせる技術である。\n1888年、ジョン・ダンロップが息子と新しい車輪を作り自転車レースに\n勝利した。自転車の車輪には膨らませたゴムひもがつけられていた。\n \nその三年前カール・ベンツが初のガソリン自動車を製作。\nすぐに加硫ゴム製のタイヤを採用することとなる。\nこれがゴム栽培の始まりであった。;;;;;;;;;;X ACT128014A;北方を開拓しよう;;;;;;;;;;X EVT128015N;ゴム栽培のおわり;;;;;;;;;;X EVT128015D;1874年、イギリス人ヘンリー・ウイックが7000個のゴムの木の種を\nマレーシアに密輸。\n \n30年後それらは花を咲かせ、ブラジル人のゴム資源独占の前に\n立ちふさがることとなる。マナウス市の威信は大きく傷つき、\n地方経済の破綻をひきおこした。;;;;;;;;;;X ACT128015A;ウイックめ!!;;;;;;;;;;X EVT128016N;パンチ・ベルデ和平;;;;;;;;;;X EVT128016D;反乱軍に対し大赦が呼びかけられたが、\n不公平を理由に彼らはそれを拒否した。\n \n1842年カシアス男爵は和平交渉に向かうこととなる。\n平和はウルグアイの将軍であるオリブが南方より\nプロヴィンスに攻撃を仕掛けてきたことによりもたらされた。\n挟撃の形となったファルピーリャはパンチ・ベルデ条約に調印。\nカシアス男爵が地域支配層と交渉を行った結果、\n全ての反乱軍は特赦。\nまた、反乱地域の兵と警官は帝国軍に\n対等の条件で組み入れられ、土地は返還されることとなった。;;;;;;;;;;X ACT128016A;再びブラジルをひとつに!;;;;;;;;;;X EVT128019N;コーヒー栽培 第二期;;;;;;;;;;X EVT128019D;1880年頃、パライイバ谷の農地拡大は終わりを見せ、\nサンパウロ西部に新しい動きが見られた。\nあり得る土地全てに'金のなる種 - コーヒー'を栽培するのだ。;;;;;;;;;;X ACT128019A;パウリスタの西に種を蒔くのだ;;;;;;;;;;X EVT128030N;カバナゲム;;;;;;;;;;X EVT128030D;経済問題と地方総督との衝突が反乱を引き起こした。\n反乱軍は地方自治と奴隷制の廃止を求めた。\n彼らはカバナスと呼ばれる貧民層に支持されていた。\n1835年8月反乱軍はベレムを占領し新政府を樹立、\nパラ共和国の樹立を宣言した。\nこの事件は反乱の象徴とみなされた。\n \n1836年4月軍がベレムを包囲。\n5月カバナス達はベレンを放棄しジャングルに逃れた。\nその後反抗は四年にわたり継続した。;;;;;;;;;;X ACT128030A;ベレムの反乱は悪化した;;;;;;;;;;X EVT128031N;カバナゲムが支援を受ける;;;;;;;;;;X EVT128031D;カバナスが他のプロヴィンスから支援を受けた模様です。;;;;;;;;;;X ACT128031A;カバナスの反乱軍は北に向かう;;;;;;;;;;X EVT128032N;サビナーダ;;;;;;;;;;X EVT128032D;ファルピーリャの反乱を受け、政府が徴兵の義務を課すと、\n地方の自由主義者が反乱を起こした。\n1837年11月フランシスコ・サビーノ医師によりこの運動は始まる。\n反乱軍はフォルテ・ド・サンペドロを占拠、たてこもり防戦した。\nサルバドル民衆はバイア人共和国を宣言。\n1838年3月、政府軍はサルバドルの再占領に成功した。\n約五ヶ月の革命政府であった。;;;;;;;;;;X ACT128032A;サルバドルで反乱だ;;;;;;;;;;X EVT128033N;バライヤーダ;;;;;;;;;;X EVT128033D;首謀者のマヌエル・ド・アンホがバライオ(籠作り)であったことから\nバライヤーダと呼ばれる、この反乱は\nカラプレタの刑務所に思想的な理由で投獄されていた兄を助けるため\n彼が侵入したことから始まった。\n \n囚人全てが、「悪漢コスメ」の助けを得て開放された。\nコスメは解放奴隷でありキロンボとよばれる\n逃亡奴隷の自治体を統治していた。\n \n1839年10月バライオ達は大都市カシアスを占領、\n仮政府を樹立するが、\nカシアス男爵により敗れることとなる。\n1840年ドン・ペドロ二世は反乱者に対する特赦を発令した。;;;;;;;;;;X ACT128033A;サンルイスで反乱だ;;;;;;;;;;X EVT128034N;バライヤーダが支援を受ける;;;;;;;;;;X EVT128034D;バライオが他のプロヴィンスから支援を受けた模様です。;;;;;;;;;;X ACT128034A;バライオの反乱軍はマランハォに向かう;;;;;;;;;;X EVT128035N;プライエーラ;;;;;;;;;;X EVT128035D;ペルナンブコ州において自由主義派政権が保守派に変わった結果、\n州には保守派による寡頭政権が形成された。\nこれをうけ下院の自由主義派が反乱、1848年12月新憲法を発布。\nイガラスの奪取を試みるがしかしこれに失敗。\n1849年2月レシフェに攻撃をしかけるがこれも失敗、\nそのためゲリラ活動をこのプロヴィンスで始める。\n \nこの反乱は1850年1月にゲリラ集団のリーダー\nペドロ・イボが逮捕されたことにより終結した。;;;;;;;;;;X ACT128035A;レシフェで反乱だ;;;;;;;;;;X EVT128036N;ワクチン暴動;;;;;;;;;;X EVT128036D;1904年10月、黄熱病に対するワクチンの接種が義務づけられたが、\nこの強制にシュールとしか言えない理由で\nリオデジャネイロにおいて住民が反抗。\nしかし若き医師オズワルド・クルツの勝利に終わる。\n \n法の下に警察の支援を受け国家衛生隊が各家庭に侵入\n予防接種は実行された。\nその後レッドビーチにある陸軍学校の支援により、\nこの事件は隠蔽された。;;;;;;;;;;X ACT128036A;ワクチンの接種を義務づけるのだ;;;;;;;;;;X ACT128036B;ほおっておけ、伝染病は蔓延するだろうが;;;;;;;;;;X EVT128037N;アバディーン法;;;;;;;;;;X EVT128037D;1845年8月9日、イギリスは奴隷を運搬するブラジル船を\n例外なく海軍により拿捕することを認める法律を制定。\nしかし、積荷を失う危険は増えたものの、\n奴隷取引はさらに旨い商売となった。\n \n事実このアバディーン法の制定以降、\nブラジルの港への不法な奴隷商船の到着は五割ほど増加した。;;;;;;;;;;X ACT128037A;屈辱的だが、受け入れる他あるまい;;;;;;;;;;X ACT128037B;イギリスの糞どもが!;;;;;;;;;;X EVT128042N;アルベスブランコ関税;;;;;;;;;;X EVT128042D;1844年、自由貿易が保護貿易主義により置き換えられた。\n法改正により、現行の関税の税率を二重に、\nあるケースでは四重に徴収する形で引き上げを行ったのである。\n当然ながらこの政策は国際的な批判を受け、特にイギリスは\n既得権益の損失から特に強硬な態度を示した。\n保護貿易主義派は\nけして強固な壁を作り上げることはできなかったが、\nこれにより国内産業は発展した。;;;;;;;;;;X ACT128042A;承認;;;;;;;;;;X ACT128042B;否決;;;;;;;;;;X EVT128043N;アルベスブランコ関税;;;;;;;;;;X EVT128043D;1844年、自由貿易が保護貿易主義により置き換えられた。\n法改正により、現行の関税の税率を二重に、\nあるケースでは四重に徴収する形で引き上げを行ったのである。\n当然ながらこの政策は国際的な批判を受け、特にイギリスは\n既得権益の損失から特に強硬な態度を示した。\n保護貿易主義派は\nけして強固な壁を作り上げることはできなかったが、\nこれにより国内産業は発展した。;;;;;;;;;;X ACT128043A;承認;;;;;;;;;;X ACT128043B;否決;;;;;;;;;;X EVT128049N;1891年の議会分裂;;;;;;;;;;X EVT128049D;1891年に発布された新憲法に則り、\nデオドロ・ド・フォンセカおよびフロリアーノ・ペイショット将軍が\nそれぞれ大統領、副大統領に選出された。\n \nしかし獲得票数は大統領は129副大統領は153であった。\nデオドロ・ド・フォンセカは帝国主義的な議会での\n力関係を調整しきれず、議会を解散し戒厳令を敷く。\n1891年11月リオグランデにおいて海軍が反抗。\n反対派をなだめるため大統領は退陣、ペイショットに政権を譲った。;;;;;;;;;;X ACT128049A;議会を解散する;;;;;;;;;;X ACT128049B;和解の道はないものか;;;;;;;;;;X EVT128051N;鉄血元帥;;;;;;;;;;X EVT128051D;フロリアーノ将軍の繰り上げによる大統領就任は\n秩序の回復と見なされた。\n陸軍とPRPはこの政権を支持。\n \n彼はまず、議会を開催するとすぐにデオドロ派の知事たちを更迭。\n経済投機と食品先物を管制し中央集権を強める。\nこれに対し海軍を中心に将校達が反抗し暴動を起こした。\nペイショットの荒々しい連邦国の防衛活動は、\nジャコバン派の賞賛の的となり、\nのちにブラジルのナショナリズムの象徴ともなった。;;;;;;;;;;X ACT128051A;選挙はおこなわない;;;;;;;;;;X ACT128051B;選挙をおこなおう;;;;;;;;;;X EVT128061N;軍隊問題;;;;;;;;;;X EVT128061D;軍がおおやけに政治に関係する発言をすることが\n文官の制定した法令により禁じられた。\n \n1884年、奴隷制廃止に関する軍と政府との討論を後押しした\n軍将校が罰せられた。\nその後二度目の将校に対する、懲罰の適用により状況が悪化。\n政府の抑制は効果を見せず、\n各州で軍部が次々と反対の意志を表明。\n1887年、デオドロ・ド・フォンセカ元帥の下に\n200の将校が集会を開き、\n懲罰適用の撤回を要求。政府はこれを呑まざるを得なかった。;;;;;;;;;;X ACT128061A;軍部が力を得ている;;;;;;;;;;X EVT128062N;イギリスがピラティニ同盟を独立保障;;;;;;;;;;X EVT128062D;デモクレスの剣は髪の毛一本で我々の頭上に吊されている。\n再びイギリス人どもは内政干渉し、ファハポス達の独立を保障したのだ。\n我々もそれを認めるべきか、それとも奴らとその後ろ盾となった\n怒りに満ちたイギリスにたちむかうべきか。;;;;;;;;;;X ACT128062A;ピラティニ共和国とその同盟を認めよう;;;;;;;;;;X ACT128062B;ピラティニ共和国を認めることはできない;;;;;;;;;;X ACT128062C;ピラティニ共和国と戦争だ!;;;;;;;;;;X EVT128063N;大英帝国の庇護;;;;;;;;;;X EVT128063D;イギリス人は反乱軍の鎮圧に力を貸してくれるそうです。\n将来の交易に便宜を図るようにとの交換条件つきですが。;;;;;;;;;;X ACT128063A;反乱軍と戦争だ;;;;;;;;;;X ACT128063B;反乱軍はもちろんシスプラチン州も頂こう;;;;;;;;;;X ACT128063C;戦争など恐ろしい!;;;;;;;;;;X EVT128069N;シルバフェラース関税;;;;;;;;;;X EVT128069D;アルベスブランコ関税法は反自由貿易主義の顕現であり、\nイギリスを始めとする帝国主義的列強に対しての\n暴力的闘争ですらあった。\n \nこれに対しイギリスは続けざまにブラジルに対して報復。\n結果帝国政府はイギリスに対して多額の不公平な公債を\n負うことになっていたが、\nシルバフェーラス関税法の導入により規制を緩和、\n機械部品、工作機械の輸入関税を引き下げ、\n諸外国資本の興味をひきつけることとなる。;;;;;;;;;;X ACT128069A;承認;;;;;;;;;;X ACT128069B;否決;;;;;;;;;;X EVT128070N;シルバフェラース関税;;;;;;;;;;X EVT128070D;アルベスブランコ関税法は反自由貿易主義の顕現であり、\n英国を始めとする帝国主義的列強に対しての\n暴力的闘争ですらあった。\n \nこれに対し英国は続けざまにブラジルに対して報復。\n結果帝国政府は英国に対して多額の不公平な公債を\n負うことになっていたが、\nシルバフェーラス関税法の導入により規制を緩和、\n機械部品、工作機械の輸入関税を引き下げ、\n諸外国資本の興味をひきつけることとなる。;;;;;;;;;;X ACT128070A;承認;;;;;;;;;;X ACT128070B;否決;;;;;;;;;;X EVT128074N;政策転換;;;;;;;;;;X EVT128074D;イギリス人のビル・アバディーンによる屈辱の後、奴隷制廃止は\n国内問題となっていった。賠償金を支払うべきか否かが争点とされた。\n保守派は決議の引き延ばしと資本家への保護を、\n自由主義者は即時の奴隷制廃止と義務の軽減を\n共に政府に訴えた。\nこの議論は紛糾し、結局結論は40年以上引き延ばされることとなる。;;;;;;;;;;;X ACT128074A;よろしい;;;;;;;;;;X EVT128075N;政策転換;;;;;;;;;;X EVT128075D;イギリス人のビル・アバディーンによる屈辱の後、奴隷制廃止は\n国内問題となっていった。賠償金を支払うべきか否かが争点とされた。\n保守派は決議の引き延ばしと資本家への保護を、\n自由主義者は即時の奴隷制廃止と義務の軽減を\n共に政府に訴えた。\nこの議論は紛糾し、結局結論は40年以上引き延ばされることとなる。;;;;;;;;;;X ACT128075A;よろしい;;;;;;;;;;X EVT128076N;種子の密輸人;;;;;;;;;;X EVT128076D;1874年、イギリス人ヘンリー・ウィックが国境付近で逮捕。\n彼は7000のゴムの木の種を外地に密輸しようとしていた。;;;;;;;;;;X ACT128076A;国際問題化が懸念される;;;;;;;;;;X ACT128076B;逮捕せよ;;;;;;;;;;X EVT128077N;密輸人の侵入;;;;;;;;;;X EVT128077D;自動車製品におけるゴム利用が宣伝効果となり、ブラジルは\nもはや無法な交易人から資源を守ることができなくなっていた。\n彼らは先住民と直接取引をし、政府になんの対価もなしに\nゴムの木の種を買い取っていくのだ。;;;;;;;;;;X ACT128077A;もうどうしようもない;;;;;;;;;;X EVT128078N;フランスによるアマパ占領;;;;;;;;;;X EVT128078D;1895年フランス人入植者がアマパ地区を獲得。\nゴム資源の探索を目的にフランス政府はこの地区を占領し、\nフランス人入植者による占拠と植民の正当性を主張した。;;;;;;;;;;X ACT128078A;断固抗議する;;;;;;;;;;X ACT128078B;我らの領地を守れ;;;;;;;;;;X ACT128078C;口を閉ざす;;;;;;;;;;X EVT128079N;フランスがアマパ購入を要請;;;;;;;;;;X EVT128079D;フランスはアマパの購入を要請してきました。\nすでにそこはフランス人により入植されています。;;;;;;;;;;X ACT128079A;拒否;;;;;;;;;;X ACT128079B;受諾;;;;;;;;;;X EVT128080N;アマパ問題におけるスイス;;;;;;;;;;X EVT128080D;フランスと衝突しているアマパ問題においてスイスは我々の主張を擁護。\nこのプロヴィンスはブラジルに返還すべきであるとした。;;;;;;;;;;X ACT128080A;すごい;;;;;;;;;;X EVT128081N;アマパ問題におけるスイス;;;;;;;;;;X EVT128081D;フランスと衝突しているアマパ問題において\nスイスはフランスとの関係を優先。\nこのプロヴィンスはフランスの領有に帰すべしとした。;;;;;;;;;;X ACT128081A;スイスの主張に従うほかない;;;;;;;;;;X EVT128082N;アマパ戦争におけるブラジルの勝利;;;;;;;;;;X EVT128082D;アマパを巡るフランスとのいくらかの小競り合いの後、\nフランス領ギアナの取得に成功。上陸において抵抗はあったものの、\n外交官はフランスに平和条約への調印を要求。\n条約にはアマパをブラジルの領有に帰する旨と、賠償金の要求、\n入植地のブラジル人への引き渡しを行う旨が盛り込まれている。;;;;;;;;;;X ACT128082A;平和条約を強要;;;;;;;;;;X ACT128082B;より大きな勝利を!;;;;;;;;;;X EVT128083N;アマパ戦争におけるブラジルの敗北;;;;;;;;;;X EVT128083D;アマパ州を巡る戦争の勃発後、\nブラジルのプロヴィンスをフランスは獲得。\nフランス外交官は平和条約への調印を要求。\nこれはアマパにおけるフランスの権利を認めさせるものだ。.;;;;;;;;;;X ACT128083A;受け入れよう;;;;;;;;;;X ACT128083B;退却はやむなし、しかし降伏はしない;;;;;;;;;;X EVT128084N;バスケス・コボマーティンズ条約;;;;;;;;;;X EVT128084D;コロンビアとの境界線に関する論争を解決するため、ブラジルは\n相互に納得のおける国境を策定するための、\n相互条約への調印を促した。;;;;;;;;;;X ACT128084A;いい考えだ;;;;;;;;;;X ACT128084B;無理強いはよしておこう;;;;;;;;;;X ACT128084C;戦争で国境を拡大するのだ!;;;;;;;;;;X EVT128085N;コロンビア、条約を了承;;;;;;;;;;X EVT128085D;コロンビアはバスケス・コボマーティンズ条約への調印を受諾、\n我々の主張する国境線を認める。\nこれにより領地を巡る二国間の緊張した外交は終了した。;;;;;;;;;;X ACT128085A;すごいぞ!;;;;;;;;;;X EVT128086N;コロンビア、条約を拒否;;;;;;;;;;X EVT128086D;愚昧なるコロンビア人は我々に対する反抗の意志を固め、\n我らの正当な領土に対する主権を主張。;;;;;;;;;;X ACT128086A;では戦争だ!;;;;;;;;;;X ACT128086B;さして重要ではない;;;;;;;;;;X EVT128087N;コロンビアは代償を要求;;;;;;;;;;X EVT128087D;コロンビアはバスケス・コボマーティンズ条約の受諾に際し\n我が国に代償を要求してきました。;;;;;;;;;;X ACT128087A;支払ってやれ!;;;;;;;;;;X ACT128087B;問題は先送りだな;;;;;;;;;;X ACT128087C;軍を動かす時が来たようだな!;;;;;;;;;;X EVT128089N;連邦主義者の反乱;;;;;;;;;;X EVT128089D;1893年12月15日、リオグランデ・ド・スルにおいて市民戦争が勃発。\n中央集権と権威主義に反発するもので、\nフロリアーノ元帥を援助する共和派の州知事が攻撃を受けた。\n反抗勢力は議会制民主主義のスペシャリストである、\n連邦主義者によって形成されていた。\n君主主義者のガスパー・マーティン、グメルシンド・サラビア\nシルバ・タバレス将軍などにより率いられ、海軍もこれに同調した。\nこの内戦における武装的衝突は二年間に及んだ。;;;;;;;;;;X ACT128089A;反逆者め!!;;;;;;;;;;X EVT128093N;ピラティニとの休戦;;;;;;;;;;X EVT128093D;1894年7月パソ・フンドにてグメルシンド・サラビアを下し、\n戦争は勝利に終わったが、主張はやまなかった。\n1895年7月10日プレデンテ・デ・モライスに政権が移ると、\n中央政府によりジュリオ・デ・カスティロスの権力を保障し、また\n議会においてこの革命運動に関わったものを特赦することを決め、\n国内の平和を回復した。;;;;;;;;;;X ACT128093A;平和がおとずれた;;;;;;;;;;X EVT128100N;パラグアイへのピエメンタ・ブエノ派遣;;;;;;;;;;X EVT128100D;ブラジルは、ピエメンタ・ブエノ領事兼将軍をパラグアイとの\n関係改善のため派遣、パラグアイの独立承認にむけて\n一歩を踏み出した。\nブラジルによるパラグアイの独立はいまだ承認はされていなかったが、\nピエメンタ・ブエノ領事の交渉は二国間の関係を改善していった。;;;;;;;;;;X ACT128100A;派遣;;;;;;;;;;X ACT128100B;パラグアイなどどうでもよい;;;;;;;;;;X EVT128101N;ブラジルはパラグアイの独立を認める;;;;;;;;;;X EVT128101D;1844年、ブラジルとパラグアイは、\n同盟、交易、港運、犯罪者引き渡しとその制限\nなどについて条約を取り交わした。\nこの条約に調印することにより\nブラジルはパラグアイの独立を認め、\n広く諸国にその独立を認知させることを約束した。;;;;;;;;;;X ACT128101A;バラグアイの独立を認める;;;;;;;;;;X ACT128101B;パラグアイの独立など我々に関係はない;;;;;;;;;;X EVT128102N;ブラジル、パラグアイを援助し諸国に独立を認知させる;;;;;;;;;;X EVT128102D;1845年5月24日、ブラジル政府は\nすべてのブラジル大使館および海外の領事館に\nウルグアイ同様、パラグアイに対する独立保証も\nプラタ地方におけるブラジルとアルゼンチンの勢力均衡において\n極めて重要な問題である旨を回状で回した。;;;;;;;;;;X ACT128102A;回状を出す;;;;;;;;;;X ACT128102B;回状を出さない;;;;;;;;;;X EVT128103N;ブラジル・ウルグアイ間の五つの条約;;;;;;;;;;X EVT128103D;モンテビデオはブラジル財界と軍の援助に対して\n五つの恒久的な条約を結ぶこととなった。\n \n1.ブラジルのウルグアイに対する干渉権\n2.ウルグアイに逃亡した犯罪者および奴隷の引き渡し\n3.ウルグアイ領内の自由航行\n4.塩肉および畜牛への課税免除\n5.ブランコ党政府のブラジルに対する債務の確認\n \nこれによりブラジルは追加融資を行い、両国の境界線が確定された。;;;;;;;;;;X ACT128103A;ウルグアイは我々の努力に応えた;;;;;;;;;;X EVT128104N;ウルグアイ、五つの条約を拒否する;;;;;;;;;;X EVT128104D;ゲラグランデ(大戦争)での奮闘にも関わらず、\nモンテビデオから我々の外交官は空手で戻る他なかった。\nウルグアイ政府は自らの債務を認めず、我々の払った\n軍事、政治、精神的努力を踏みにじったのだ。\nウルグアイはこの干渉にかかった\n一部の額しか支払おうとしていない。;;;;;;;;;;X ACT128104A;「いずれ」支払うこととなろう;;;;;;;;;;X ACT128104B;奴らは本気か?;;;;;;;;;;X EVT128106N;コロラド党のベナンシオ・フローレスを援助;;;;;;;;;;X EVT128106D;1864年、ウルグアイの権力をアギーレが握ったことは、\nブラジル政府を激怒させた。\n \nこの時ウルグアイのブランコ党は新たな同盟国を得ていた。\nソラノ・ロペスの治めるパラグアイである。\nこのような新たな軍事勢力の勃興は\nアルゼンチン、ブラジル両政府にとって好ましくないものであった。\nそしてブラジルは、アルゼンチン同様に、反抗勢力である\nフローレス将軍率いるコロラド党に援助を行った。;;;;;;;;;;X ACT128106A;援助する;;;;;;;;;;X ACT128106B;考えを変える;;;;;;;;;;X EVT128107N;三国同盟;;;;;;;;;;X EVT128107D;1865年5月1日、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの\n三国はパラグアイに対して同盟を結んだ。\n同盟の内容は以下の通りである\n \n1.パラグアイにおけるロペスの独裁政権打倒\n2.パラグアイおよびパラナにおける自由航行の保証\n3.パラグアイ北西部における占領地のブラジルによる領有決定権\nおよびパラグアイ東部および西部におけるアルゼンチンの領有決定権;;;;;;;;;;X ACT128107A;調印する;;;;;;;;;;X ACT128107B;単独決戦;;;;;;;;;;X EVT128109N;戦争に勝利しました;;;;;;;;;;X EVT128109D;三国同盟に基づき、ブラジルは包囲の一角を勤めた報酬を得る。\nアパ川とブランコに挟まれた45000平米にわたる\n伝道師の土地とよばれる領土および戦時賠償金である。;;;;;;;;;;X ACT128109A;我々の利権である.;;;;;;;;;;X EVT128112N;三国同盟に調印;;;;;;;;;;X EVT128112D;ブエノスアイレスにおいて1865年5月1日、\nブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンは\n内外に対する影響を恐れ秘密裏に同盟を結んだ。\n三国同盟である。\nこの条約に基づき三国は各国妥協して休戦協定を結ぶ。\nパラグアイはすべての戦時被害を背負わされることになるのである。;;;;;;;;;;X ACT128112A;すごいぞ;;;;;;;;;;X EVT128113N;三国同盟に調印;;;;;;;;;;X EVT128113D;モンテビデオにおいて1865年5月1日、ブラジルとウルグアイは\n内外に対する影響を恐れ秘密裏に同盟を結んだ。\n二国間同盟である。\n \nこの条約に基づき両国は妥協して休戦協定を結ぶ。\nパラグアイはすべての戦時被害を背負わされることになるのである。\nアルゼンチンは矢表にたって単独戦を行うことを選択した。;;;;;;;;;;X ACT128113A;すごいぞ;;;;;;;;;;X EVT128114N;三国同盟に調印;;;;;;;;;;X EVT128114D;ブエノスアイレスにおいて1865年5月1日、ブラジル、アルゼンチンは\n内外に対する影響を恐れ秘密裏に同盟を結んだ。\n二国間同盟である。\nこの条約に基づき両国は妥協して休戦協定を結ぶ。\nパラグアイはすべての戦時被害を背負わされることになるのである。\nウルグアイは矢表にたって単独戦を行うことを選択した。;;;;;;;;;;X ACT128114A;すごいぞ;;;;;;;;;;X EVT128116N;マトグロッソにおける孤立;;;;;;;;;;X EVT128116D;1864年12月、5700に及ぶパラグアイ軍がマトグロッソを攻撃。\nこの攻撃はラプラタにおいてブラジルが同盟の調整に\n苦慮している最中行われた。\nロペスは未だに、ウルキッサの支援をを受け続けられるものと期待し、\n見捨てられたプロヴィンスの占領を続ける。\n彼は帝国に対して自分の要求を押しつけられると\n信じ切っているのだ。;;;;;;;;;;X ACT128116A;ロペスは「自分自身で」闘うこととなる!;;;;;;;;;;X EVT128124N;ブラジル国旗;;;;;;;;;;X EVT128124D;新しき支配を始めるには国旗を変える必要がある。\n最初に提案された国旗はアメリカを真似たもので、\nただ緑と黄色に彩られていることだけが違った。\nすぐさま、この国旗は民衆に反発を受けることとなる。\n反対者の中には共和主義者さえ含まれていた。\n結果四日で、この国旗は姿を消すこととなる。\n新国旗は、深緑の中に黄色い菱形をあしらい、\nその中央に青い天球を置き、星々をちりばめ、\n白い帯に「秩序と進歩」のフレーズを書いたものを\n添えたものとなる。\nこれは実証主義哲学者のモットーであり、\n国際社会における原動力を示唆している。;;;;;;;;;;X ACT128124A;国旗を変えよう;;;;;;;;;;X ACT128124B;仮の国旗を使おう;;;;;;;;;;X EVT128125N;'剣の共和国'の終焉;;;;;;;;;;X EVT128125D;フロリアーノ政権は、大統領制放棄の意図のもと、\n新しく大統領選挙を行わなかった。\n法律は国民に選出された大統領のみが\n負うべきものであるという主張である。\nしかし最初の大統領が議会による直選であったことからみると、\nフロリアーノは単に脱法していたにすぎない。\nサンパウロのコーヒー男爵の支援を受け\n指令を白紙にすることができる。;;;;;;;;;;X ACT128125A;選挙を行おう;;;;;;;;;;X ACT128125B;いいや!「俺だけが」大統領だ;;;;;;;;;;X EVT128129N;ゴムによる外交論議;;;;;;;;;;X EVT128129D;ゴム栽培が始まり、夢と富を求めてアマゾンの密林に\n移民たちが入植を始めた。\n移民たちは領域内にコロンビア人による入植地を発見する。\nしかし今は使われていないようである。;;;;;;;;;;X ACT128129A;我々の権利を主張する!;;;;;;;;;;X ACT128129B;何も見なかった;;;;;;;;;;X EVT128130N;ベント・ゴンサルベスの要求;;;;;;;;;;X EVT128130D;カテテの宮殿において皇帝ドン・ペドロ二世は\n捕らわれの身となっていた。\nベント・ゴンサルベスは皇帝の解放を条件として\n以下の要求を提示した。\nピラティニ共和国に対する独立の承認と、皇帝の身代金である。;;;;;;;;;;X ACT128130A;要求を受け入れる;;;;;;;;;;X ACT128130B;戦い続ける;;;;;;;;;;X EVT128131N;黄金法;;;;;;;;;;X EVT128131D;ついに反対派は打ち破られた。\n80年に渡りブラジルは奴隷制廃止に対して\n最も長く困難な闘いを続けた。\n \n黄金法の内容は簡単な二条からなる命令であった。\nこれにより723,719人の公的な奴隷が解放されたが、\n三世紀にも渡る奴隷制の悲劇的な負の遺産を\n完全に消すことはできない。;;;;;;;;;;X ACT128131A;受諾;;;;;;;;;;X ACT128131B;否決;;;;;;;;;;X EVT128132N;コーヒーとミルクの政治;;;;;;;;;;X EVT128132D;カンポス・サレス政権は新しい政治システムを導入した。\n中央政府は州における支配的政権を支援、\n大統領もそれに倣うことに。\n不正選挙を行い任命を行ったので、\nこれをカフェラテ政治と呼ぶようになった。\nこの協調はサンパウロとミナスの寡頭政権の間で行われた。;;;;;;;;;;X ACT128132A;強行しよう;;;;;;;;;;X ACT128132B;駄目だ;;;;;;;;;;X EVT128134N;パウリスタ男爵のコーヒー;;;;;;;;;;X EVT128134D;南パライバ谷の占領後、コーヒー栽培はサンパウロ北西部まで広まり、\nそこで栽培技術は飛躍的進歩を遂げる。\n20世紀初頭、サンパウロはコーヒー栽培の中心地ではなかったし、\nそもそもが工業地帯ですらなかった。\nコーヒーによる巨益、不安定な価格、大量の人的資源、\nヨーロッパからの移民。\n \nこれら全てがサンパウロの成長に不可欠であった。;;;;;;;;;;X ACT128134A;工場に投資しよう;;;;;;;;;;X EVT128135N;コーヒー価格の崩壊;;;;;;;;;;X EVT128135D;ブラジルは世界中にコーヒーを流通することで回っていた。\n20世紀はじめには全世界の4/5のコーヒーがブラジル原産であった。\n「緑の黄金」「進歩の種子」とも呼ばれたが、所詮コーヒーブームも\n価格のついたものである。1906年からの大豊作により\nコーヒー価格は値下がりを始めた。\n全世界の消費量の130%の収穫高があったのだ。\n政府は流通通貨の引き上げをおこない、無数の農民が破産した。;;;;;;;;;;X ACT128135A;う が あ あ あ !!;;;;;;;;;;X EVT128141N;ジョゼ・マリア;;;;;;;;;;X EVT128141D;パラナ中部に長身長髪の歯のない毛むくじゃらの男\nミゲルド・ボアベントゥーラが現れた。\n国防軍からの脱走兵という経歴を持つ彼は、\n10年前から聖書と一冊の絵本を手に渡り歩き、\n自分はヨハネのマリアの精神的な後継者であると説いて回った。\nこの中には連邦主義者の反乱が発生している地域も含まれた。\n彼はジョゼ・マリアと名を変え、\n彼の周囲には2000人の支援者が集まった。;;;;;;;;;;X ACT128141A;また説教者か!!;;;;;;;;;;X EVT128142N;コンテスタード;;;;;;;;;;X EVT128142D;ジョゼ・マリアは時の終わりに、\nポルトガル王ドムセバスティオ(1578没)が復活し\n人々を統治すると説いた。\n王権を神授され「聖なる王国」を作るのだと。\n \n地方の知識層が警告し、\n陸軍はただちにこの狂人たちに攻撃を始めた。\nジョゼ・マリアの死にも関わらず、\nすでに事態は最悪の状況となっていた。\n反乱だ。;;;;;;;;;;X ACT128142A;反逆者め!!;;;;;;;;;;X EVT128144N;ルイ・バルボーザとエンシルハメント(装鞍令);;;;;;;;;;X EVT128144D;エンシルハメントとは蔵相ルイ・バルボーザによる一連の布告である。\n165番法令により銀行による通貨の発行を許し、\n国債の安定を図った。\nまた、165番法令は匿名組合の形成と融資の自由化を\n活発にした。;;;;;;;;;;X ACT128144A;制定しよう;;;;;;;;;;X ACT128144B;考えが違うな;;;;;;;;;;X EVT128145N;ルイ・バルボーザの没落;;;;;;;;;;X EVT128145D;ブラジル経済の凋落の理由のいくらかは\nエンシルハメントによる大悲劇に求められる。\n布告から一年もせず、通貨の総流通額は二倍となり、\n銀行と証券取引市場との競争は歯止めが利かなくなった。\n無数の会社が設立され、\n流通通貨は天文学的レベルに及ぶこととなる。\n \nそしてついに破滅がやってきた。\n多数のダミー会社と調整装置のない経済により、\n株式市場は崩壊。通貨は暴落、物価は上昇、\n結果、大失業時代が訪れた。;;;;;;;;;;X ACT128145A;踊らされおって!;;;;;;;;;;X EVT128146N;ブラジル、ウルグアイに干渉;;;;;;;;;;X EVT128146D;ファハポスを鎮圧後、\nブラジルの方針はアルゼンチンの独裁主義の影響が\nウルグアイに及ぶ可能性を全て摘むことと、\nウルグアイ北部国境地域と\nオリエンタレス伝道師(ウルグアイ人伝道師)の領地における\n支配を固めることに向けられた。\n \nウルグアイ政府はこれを受け、\nまるで求愛のバラでも投げるかのような気持ちで、\nブラジルとのウルキッサ同盟を結ぶ機会を得る。;;;;;;;;;;X ACT128146A;陸軍と海軍を送れ;;;;;;;;;;X ACT128146B;陸軍だけを送れ;;;;;;;;;;X ACT128146C;糞でもくれてやるものか;;;;;;;;;;X EVT128147N;アルゼンチン「ウルグアイ川東岸地帯」を併合;;;;;;;;;;X EVT128147D;アルゼンチンにより旧シスプラティンが併合、\nこの地域は以前ブラジル帝国の一部であった。\nアルゼンチンは旧ラプラタ準王国の国境まで境界線を回復し、\n大陸におけるブラジルの軍事的な主権を脅かしている。;;;;;;;;;;X ACT128147A;開戦をちらつかせ脅す;;;;;;;;;;X ACT128147B;奴らには「教育」が必要だ;;;;;;;;;;X ACT128147C;アルゼンチンは我々の友だ;;;;;;;;;;X EVT128148N;アルゼンチンは我々を無視!;;;;;;;;;;X EVT128148D;アルゼンチンはシスプラティン州の併合における、\n我らの寛大な提案を無視し続けています。;;;;;;;;;;X ACT128148A;さあ戦争だ;;;;;;;;;;X ACT128148B;独立運動の闘士に融資しよう;;;;;;;;;;X EVT128149N;ラプラタにおける反乱を支援;;;;;;;;;;X EVT128149D;パラグアイ、ウルグアイにおける独立運動家が\nアルゼンチンの手から自治独立を取り戻すために\n我々の融資を依頼してきました。\nこの運動が成功すれば南アメリカ大陸における\nアルゼンチンとブラジル間の軍事バランスを\n再調整することができるでしょう。;;;;;;;;;;X ACT128149A;パラグアイ、ウルグアイにおける彼らを支援せよ;;;;;;;;;;X ACT128149B;そんな余裕はないな;;;;;;;;;;X
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