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####### 242K PERU #######;;;;;;;;;;;X,,, EVT242000N;ラモン・カスティージャ;;;;;;;;;;X EVT242000D;アヤクチョの古参兵、元帥ラモン・カスティージャは\n国を立ち上げるにあたり、国内統合や統治機構の再編、\n財政規律そして新法の制定といった原則によることにした。\nペルーも自由主義時代の幕開けを迎えることとなったのである。\n奴隷制やインディアン貢納金といった悪習は廃止され、\n鉄道や電信施設が設けられだした。;;;;;;;;;;X ACT242000A;すばらしい指導者だ;;;;;;;;;;X ACT242000B;愚か者だ;;;;;;;;;;X EVT242001N;保守派の反乱;;;;;;;;;;X EVT242001D;新しくできた統治体だったが、自身の母体が保守派にあることからは\n逃れられなかった。当初はグアノ貿易によって彼らに好都合な\n社会情勢が新しく生まれ、イデオロギー上は自由主義者となった\n支配階層もこうした状況をただ単に受け入れていた。しかし\n時がたつにつれて彼ら上層部は、伝統的に培われてきた\n社会階層に手を入れてはならない、とペルーの近代化に対し\n頑迷に反抗するようになったのである。こうした傾向は\nカスティージャ第二期政権、そして1860年新憲法の頃には\nより一層明白なものとなっていた。;;;;;;;;;;X ACT242001A;伝統は尊重されねば;;;;;;;;;;X ACT242001B;もっと急進的にいこう;;;;;;;;;;X EVT242002N;グティエレス兄弟の反乱;;;;;;;;;;X EVT242002D;1872年、マヌエル・パルドが大統領に選出されるのを快く思わない\n戦争大臣トマス・グティエレスの手により、ホセ・バルタ政権に対する\nクーデタが実行された。共謀者はグティエレスの兄弟である\nシルベストレとマルセリアーノ・イ・マルセリーノで、いずれも軍では\n大佐を務める人物だった。だがペルー国民はこうした策動には飽き飽きで、\nしかも厳しい経済状況もあって、このクーデタに対しては血生臭い手段に\n打って出ることになった。首謀者はすべて殺害されたうえ、\nリマの教会にある尖塔から吊り下げられたのだ。;;;;;;;;;;X ACT242002A;はぁ・・・;;;;;;;;;;X EVT242003N;グアノ時代の終焉;;;;;;;;;;X EVT242003D;ペルーはある程度の好況にあったが、それはグアノ鉱床がもたらしたもの\nだった。そうしてインフラ整備のため、外債により多くを依存するように\nなっていったのである。借款の担保にはグアノ鉱床が充てられたが、\n不幸なことに鉱床は有限であり、またこうした天然資源は次第に払底\nしていった。そして1870年代中旬、グアノに立脚したペルー財政という\n砂上の楼閣は、ついに崩れ落ちてしまった。;;;;;;;;;;X ACT242003A;ああ、そうか・・・;;;;;;;;;;X EVT242004N;太平洋戦争;;;;;;;;;;X EVT242004D;1878年、ボリビア政府はチリ企業のアントファガスタ硝酸塩会社への\n課税額を上げようとし、これにチリ政府が抗議するという一幕があった。\nだがボリビア側が企業資産を差し押さえるとまで脅しをかけたことにより、\nついにチリ側は武装した兵力を派遣し、港湾都市アントファガスタを\n占領してしまった。だが1873年に締結した秘密条約により、ペルーは\nボリビアの招請があれば介入することも可能だ。;;;;;;;;;;X ACT242004A;同盟国の呼び声に応じよう;;;;;;;;;;X ACT242004B;この問題からは距離を置こう;;;;;;;;;;X EVT242005N;太平洋戦争の終結;;;;;;;;;;X EVT242005D;太平洋戦争中、チリはペルー全土において徹底的なまでに\n軍事作戦を繰り広げた。そうして地方も占領下のリマも区別なく\n破壊されてしまったのである。さらにチリは賠償金としてリマにある\n国立図書館を接収し、資本金も併せて差し押さえてしまった。;;;;;;;;;;X ACT242005A;ああ、哀しきかな;;;;;;;;;;X ACT242005B;勝ち目は関係ない、戦争継続だ!;;;;;;;;;;X EVT242006D;ペルーは敵国を完膚なきまでに打ちのめすことに成功した。\n平和条約もペルー側の思うままに作り上げられ、ついには\n地域大国のひとつとして数えられるに至った。;;;;;;;;;;X ACT242006A;すばらしい!;;;;;;;;;;X EVT242007N;エクアドル介入;;;;;;;;;;X EVT242007D;隣国エクアドルを支配している混乱に乗じ、ラモン・カスティージャ配下の\n軍隊が南方の州を幾つか占領してやろうと狙っている。;;;;;;;;;;X ACT242007A;介入する;;;;;;;;;;X ACT242007B;介入しない;;;;;;;;;;X ACT242007C;我らが「兄弟」を尊重しよう;;;;;;;;;;X EVT242008N;経済の安定;;;;;;;;;;X EVT242008D;ゆっくりとしかし着実にペルー経済は安定化し始め、海外の投資家、\n市場、銀行ともわりあい協調的な関係を築くにも至った。;;;;;;;;;;X ACT242008A;いいことだ;;;;;;;;;;X EVT242009N;アグスティン・ガマラ;;;;;;;;;;X EVT242009D;ボリビアとの連邦が瓦解すると、ペルーは再びアグスティン・ガマラの時代を\n迎えることになった。ガマラ将軍は対スペイン独立戦争を戦った古参兵で、\nかつては大統領職を務めた人物だったが、その彼がクーデタにより\n実権を掌握してしまったのだ。ガマラ将軍は人格主義者だったが、\n大多数を占めていた先住民の少なからぬ者を鎮めとおし、\nしかも一定水準まで軍隊を再建しきったのだった。;;;;;;;;;;X ACT242009A;実績ある指導者だ;;;;;;;;;;X ACT242009B;もはや彼は信用できない;;;;;;;;;;X EVT242010N;ガマラの野望;;;;;;;;;;X EVT242010D;ガマラはかつて、ボリビアを併合したうえで新国家を作ろうと目論んでいた。\nそれはサンタクルスの手によるペルー・ボリビア連合と似てはいたが、\n連邦制を目指してはいなかった。ガマラは中央集権国家を作ろうと\nしていたのだ。ところでインカ帝国とそれに続く植民地時代、ボリビアは\n単なる「アルト・ペルー」とされており、後代にあってもそれを忘れられないで\nいる者もいたが、ひょっとすると、ガマラもそうだったのかもしれない。\nともかく、1841年、彼はボリビアが弱体化していると見て取るや\n数千人もの私兵を率い、陣頭に立ってこの隣国へと攻め込んだのである。;;;;;;;;;;X ACT242010A;ボリビアは我々のものだ!;;;;;;;;;;X ACT242010B;いや、放っておこう;;;;;;;;;;X EVT242011N;ガマラの敗北;;;;;;;;;;X EVT242011D;残念ながら、ガマラの部隊はボリビア軍指揮官ホセ・デ・バジビアンに\n撃破され、しかも1841年11月、インガビの戦いで彼自身も戦死して\nしまった。これにより戦争はただちに終結へと向かうところとなるが、\n結局のところ、問題はガマラの個人的な行動にあるとされ、\nペルーそのものが戦争責任を問われることはなかった。;;;;;;;;;;X ACT242011A;それはそうだ;;;;;;;;;;X EVT242012N;ガマラの勝利;;;;;;;;;;X EVT242012D;ガマラの部隊は、ホセ・デ・バジビアン率いるボリビア軍を完膚なきまでに\n打ちのめした。ボリビア領の大半は占領下に置かれ、ペルーとボリビアは\n一棹の旗の下に統一されつつある。しかしこれは武力によるものだ。\nいつまでも続くものだろうか。;;;;;;;;;;X ACT242012A;我々はひとつの国だ!;;;;;;;;;;X ACT242012B;正当な影響下におくに留めよう;;;;;;;;;;X EVT242013D;ボリビアは撃破されたあげくチリと単独で和平を結ぶこととなった。もはや\n戦争継続に意味はないものとみられる。そのためペルーの政治家は\n戦争が自国にもたらす影響を最小限にとどめるため、兵を撤収して\n内政に注力するほか選択肢がなくなってしまったのだった。;;;;;;;;;;X EVT242014N;マパシンゲ条約;;;;;;;;;;X EVT242014D;ラモン・カスティージャ元帥配下のペルー軍はグアヤキル地方を占領し、\n現地のカウディージョ(頭領)ギジェルモ・フランコにマパシンゲ条約を調印\nさせた。スペインの1802年勅令によれば、エクアドル南部諸州に対する\nペルーの主権が認められることになるのだが、今回の条約はこれまでの\n曖昧な約束の代償とも呼べるものだ。そしてカスティージャと彼の軍隊は\n「戦利品」を手に、直ちにリマへと帰還した。;;;;;;;;;;X ACT242014A;条約を押し付ける;;;;;;;;;;X ACT242014B;寛大でなければ;;;;;;;;;;X ACT242014C;いや、もう結構!;;;;;;;;;;X EVT242015D;エクアドル議会が1861年に議決したのと同じく\nペルー議会もマパシンゲ条約の批准を拒み、\nさらにはこれが武装した兵力による強制であって\n国家への反逆にあたると認めた。;;;;;;;;;;X EVT242016N;イカサ・プリチェット誓約;;;;;;;;;;X EVT242016D;エクアドルはイカサ・プリチェット誓約に調印した。これはイギリスに対して\nペルー国境に沿った一帯にある公有地での特権を認めるもので、\n戦費調達に対する一部支払いという意味合いを持っていた。だが\n対スペイン戦争の際に軍事援助を受けた関係で、当時のエクアドルは\nまだボリバルのもとでグランコロンビアを形成していたものの、ペルーは\nエクアドルに借りがあったのだ。そのためリマ政府はエクアドルの残りの負債を\n支払う破目に陥ってしまった。こうしてペルーの司法権をエクアドルが\n侵害していると、ペルー外交員のフアン・セレスティーノ・カベロは正式に\n抗議することとなった。;;;;;;;;;;X ACT242016A;よくもまあ!;;;;;;;;;;X EVT242017N;マヌエル・パルド;;;;;;;;;;X EVT242017D;グティエレス兄弟の反乱という暴力沙汰もあったが、選挙は施行された。\nそして1872年8月2日、マヌエル・パルドが大衆の強い支持をうけて当選し、\nここにペルー初の文民大統領が誕生したのだった。パルド政権の\n統治手法には反軍部のきらいがあったが、その代わりとして国土の探検や\n河川探索は積極的に進められた。またおぼろげながら迫りつつある\n経済危機を食い止めるため、彼はいくつもの経済改革に尽力した。;;;;;;;;;;X ACT242017A;文民による政府を;;;;;;;;;;X ACT242017B;今はまだその時でない;;;;;;;;;;X EVT242018N;ペルーの破産宣言;;;;;;;;;;X EVT242018D;グアノはもはや、少なくとも短期的には輸出品として\n使い物にならなくなってしまった。\nそして外債由来の資金が浪費されたこと、\nまた歴史的にも放漫な財政管理がなされてきたことで、\n近年の行政努力にもかかわらず、ついに政府は\n破産を認めざるをえなくなった。これからペルー経済は\nあまねく陰惨たる状況に陥ることになるだろう。;;;;;;;;;;X ACT242018A;まったく、ついてないな;;;;;;;;;;X EVT242019N;ペルーが破産から復旧;;;;;;;;;;X EVT242019D;太平洋戦争があったものの、ペルーはそれに先立つ経済危機から\n無事立ち直りつつある。;;;;;;;;;;X ACT242019A;いいニュースだ;;;;;;;;;;X EVT242020N;ペルーとボリビアの友誼;;;;;;;;;;X EVT242020D;ボリビアとペルーの外交員が1873年に会合を開き、お互いの国民的、\n外交的、軍事的な絆を深め合った。とくに両国間の防衛協定の\n可能性については、会合を通じて検討が重ねられた。;;;;;;;;;;X ACT242020A;提案を受け入れよう;;;;;;;;;;X ACT242020B;将来ならあるかもしれない;;;;;;;;;;X ACT242020C;無視しよう;;;;;;;;;;X EVT242021N;ホセ・バルタ;;;;;;;;;;X EVT242021D;立憲政治と文民支配がペルーにも戻ってきた。ホセ・バルタが大多数の\n支持を受けて大統領に選出されたのだ。バルタ政権はその第一の目標\nとして、外国の技術と資本によるペルー国内のインフラ改善を掲げている。;;;;;;;;;;X ACT242021A;もう民衆は声をあげてしまった;;;;;;;;;;X ACT242021B;軍政を続けねば;;;;;;;;;;X EVT242022N;ドレフュス協定;;;;;;;;;;X EVT242022D;バルタ政権の財務大臣ニコラス・デ・ピエロラは、\n大銀行家アウグスト・ドレフュスにある合意を取り付けた。\nそれは彼の経営するフランス企業がペルー政府の抱える\n外債を償還にあたるのと引き換えに、独占的な\nグアノ輸出を認めるとするものだ。;;;;;;;;;;X ACT242022A;すばらしい考えだ;;;;;;;;;;X ACT242022B;その必要はない;;;;;;;;;;X EVT242023N;外債;;;;;;;;;;X EVT242023D;建設・開発事業にともなう巨額の支出の財源を確保するため、\nホセ・バルタ政権はヨーロッパから大規模な借款を受けることになった。\nフランスやイギリスの投資家は喜んで恩を売ろうとしている。;;;;;;;;;;X ACT242023A;必要だ;;;;;;;;;;X ACT242023B;自力で何とかしよう;;;;;;;;;;X EVT242024N;小破産;;;;;;;;;;X EVT242024D;グアノはもはや、少なくとも短期的には輸出品として\n使い物にならなくなってしまった。\nそして外債由来の資金が浪費されたこと、\nまた歴史的にも放漫な財政管理がなされてきたことで、\n近年の行政努力にもかかわらず、\nついに政府は破産を認めざるをえなくなった。\nだが今回の経済危機は、かつて起こったそれほど厳しいものではない。;;;;;;;;;;X EVT242025N;ペルーが小破産から復旧;;;;;;;;;;X EVT242025D;太平洋戦争の前後、ペルーはそれに先立つ小経済危機から\n無事立ち直りつつある。;;;;;;;;;;X ACT242025A;ついにやった!;;;;;;;;;;X EVT242026N;スペイン遠征軍のペルー水域到着;;;;;;;;;;X EVT242026D;スペイン王室の派遣した学術探検隊がペルー領海に到着した。\n当時のスペイン政府はペルーの独立を未だ承認しておらず、また\n独立戦争にしたがって発生した負債はペルー側に責任があるとすら\n考えている。それにもかかわらず、乗組員や現地当局はお互いに\n誠心誠意、うまくやっているようだ。;;;;;;;;;;X ACT242026A;関係ない、歓迎しよう;;;;;;;;;;X ACT242026B;慎重にことを運ぼう;;;;;;;;;;X EVT242027N;タランボ農場の乱闘;;;;;;;;;;X EVT242027D;タランボにあるアシエンダ(大農場)で、ペルー市民とスペイン人移民による\n乱闘騒ぎが発生した。その結果として双方一名の死亡者が出たほか、\n数名が負傷してしまった。;;;;;;;;;;X ACT242027A;不幸な出来事だ;;;;;;;;;;X EVT242028N;スペインの請求;;;;;;;;;;X EVT242028D;ピンソン提督率いるスペインの探検隊がペルーに引き返してきた。\nタランボで起きた乱闘騒ぎについての釈明と補償を求めるためである。\nしかもマドリードにいる「国王代理」\nエウセビオ・デ・サラサール・イ・マサレードは、これをいい機会だと考え、\nペルー独立戦争にかかる負債はペルー側が支払うべきだとも\n付け加えてきている。それどころか、ペルーを独立国として\n承認していないスペイン政府は、正規の外交員でない人物を\n送って寄越してきた。;;;;;;;;;;X ACT242028A;強制される謂れはない;;;;;;;;;;X ACT242028B;深く謝罪し、支払おう;;;;;;;;;;X EVT242029N;スペインとの合意を受諾?;;;;;;;;;;X EVT242029D;スペインはチンチャ諸島を占領したうえ軍艦を不気味に停泊させている。\nこのためペルー経済は大打撃をこうむり、政府の和平交渉担当も\nスペイン側の要求を呑まざるを得なくなってしまった。しかし民衆も立法府\nもこうした形での和平には反対している。ペルー議会自身、この戦争に\nかかる兵器購入への認可を出しており、いかなる降伏文書であっても\n可決する見込みは九分九厘ないといえる。;;;;;;;;;;X ACT242029A;選択肢はあまりに少ない;;;;;;;;;;X ACT242029B;戦争のほうがまだましだ;;;;;;;;;;X EVT242030N;スペインのチンチャ諸島占領;;;;;;;;;;X EVT242030D;パレーハ提督率いる3艘のフリゲート艦がペルー沖に到着した。彼らは\nペルーのグアノ生産拠点であるチンチャ諸島を占領したうえ、ペルーの\n主要港湾を事実上封鎖してしまった。パレーハ提督らの言うところに\nよれば、ペルーはスペインに補償金を支払うべきなのだそうだ。;;;;;;;;;;X ACT242030A;ひどい狼藉だが・・・;;;;;;;;;;X ACT242030B;戦争行為とみなす;;;;;;;;;;X EVT242031N;ペルーの港湾が封鎖下に;;;;;;;;;;X EVT242031D;スペインの小艦隊によりペルーの主要港湾は出入りできない状態に\nおかれている。しかもスペイン海軍は、ペルーの主要歳入源のひとつである\nチンチャ諸島を押さえたまま、占領し続けている。;;;;;;;;;;X ACT242031A;ひどい話だ;;;;;;;;;;X EVT242032N;カリャオ・リマ事件;;;;;;;;;;X EVT242032D;スペインの出してきた講和条件に対し、ペルー議会は依然として受諾を\n拒んでいた。しかし大統領が布告を発してこれを呑んでしまったことで、\nペルー市民は激怒しカリャオやリマの市街で休暇中のスペイン人水兵を\n襲う事態に発展した。この結果スペイン人一名と数名のペルー人が\n死亡し、両国の緊張関係はいっそう危ういものとなってしまった。;;;;;;;;;;X ACT242032A;実に不幸なことだ;;;;;;;;;;X EVT242033N;チリがスペインと交戦;;;;;;;;;;X EVT242033D;チリはパレーハ提督の出した最後通牒を突きはね、スペインに対し宣戦\nを布告した。現在チリの港湾はスペインによる海上封鎖の対象下に\nある。だが一方、チリから政治的に後押しを受けた新政権がペルーに\n誕生した。新政権はチリとの明らかな連帯のもと、スペインに対して\n宣戦を布告することになった。;;;;;;;;;;X ACT242033A;我々も加わろう;;;;;;;;;;X ACT242033B;関係ない話だ;;;;;;;;;;X EVT242034N;マリアーノ・イグナシオ・プラード;;;;;;;;;;X EVT242034D;フアン・アントニオ・ペセト大統領率いる政府は逃げ腰な対応に終始\nしていた。しかしスペインの提示した講和条件を受け入れてしまった\nことで、ペルー社会にいる少なからぬ者が政府に反旗を翻し、\n結局ペセトは職を辞することになった。一方、軍で大佐を務めていた\nマリアーノ・イグナシオ・プラードは、副大統領を廃するなど\n着々と権力を掌握していき、ついには議会の認証を得るまでに至った。;;;;;;;;;;X ACT242034A;より良い指導者だ;;;;;;;;;;X EVT242035N;アブタオの戦い - 勝敗未決;;;;;;;;;;X EVT242035D;スペイン海軍の指揮官メンデス・ヌニェスは、ビジャデマドリーと\nレイナブランカの2艘のフリゲート艦をアブタオ島へと派遣した。\nペルーのコルベット艦アメリカ、同ウニオン、フリゲート蒸気艦アプリマック、\nそれにチリの管制下にあった砲艦「コバドンガ」からなる\n同盟国艦隊を撃破してやろうとしたのだ。そして両者は\n2時間にわたって長距離砲撃を交わし、そして浅瀬を恐れて\n接近戦ができなかったスペイン艦隊が被弾箇所を抱えつつ\n戦場を離れたことで戦闘も終結した。同盟国艦隊はこの戦いで\n2人を失い、また1名が負傷した。;;;;;;;;;;X ACT242035A;そうか;;;;;;;;;;X EVT242036D;スペイン海軍の指揮官メンデス・ヌニェスは、ビジャデマドリーと\nレイナブランカの2艘のフリゲート艦をアブタオ島へと派遣した。\nペルーのコルベット艦アメリカ、同ウニオン、フリゲート蒸気艦アプリマック、\nそれにチリの管制下にあった砲艦「コバドンガ」からなる\n同盟国艦隊を撃破してやろうとしたのだ。そして両者は\n2時間にわたって長距離砲撃を交わし、そして敵艦の\n接近を恐れた同盟国艦隊が被弾箇所を抱えつつ戦場を\n離れたことで戦闘も終結した。同盟国艦隊はこの戦いで\n2人を失い、また1名が負傷した。;;;;;;;;;;X ACT242036A;やれやれ・・・;;;;;;;;;;X EVT242037N;カリャオが砲撃を受ける;;;;;;;;;;X EVT242037D;甲鉄艦ヌマンシアを筆頭としたスペイン艦隊がカリャオの要塞を砲撃し、\nカリャオ港の沿岸部に配備されていた重砲がこれに反撃した。\nこの戦いでスペイン船は残らず何らかの物理的損害を被ったが、\nカリャオ側はほとんど無傷といっていい状態だった。しかしペルーの\n戦争大臣が、砦の内部で炸裂した砲弾に当たり戦死してしまった。\n最終的におよそ200名のペルー人が命を落とし、\nスペイン側の犠牲者も300人を数えた。;;;;;;;;;;X ACT242037A;悲劇だ;;;;;;;;;;X EVT242038N;対立の終焉?;;;;;;;;;;X EVT242038D;艦船による軍事作戦はあらかた行われ尽くしてしまった。\n戦争が本当に終わったのかどうか、ペルーは判断を下す必要がある。;;;;;;;;;;X ACT242038A;そのとおりだ;;;;;;;;;;X ACT242038B;まだ戦争は終わっていない・・・;;;;;;;;;;X ACT242038C;とにかく、これは我々の戦争だ!;;;;;;;;;;X ####### 242K flavor_PERU #######;;;;;;;;;;;X,,, EVT242039N;アルプスを越えて;;;;;;;;;;X EVT242039D;ペルー人パイロットのホルヘ・チャベスが、\nブレリオ単葉機でのアルプス越えに成功した。;;;;;;;;;;X ACT242039A;よし;;;;;;;;;;X
タイムスタンプを変更しない
####### 242K PERU #######;;;;;;;;;;;X,,, EVT242000N;ラモン・カスティージャ;;;;;;;;;;X EVT242000D;アヤクチョの古参兵、元帥ラモン・カスティージャは\n国を立ち上げるにあたり、国内統合や統治機構の再編、\n財政規律そして新法の制定といった原則によることにした。\nペルーも自由主義時代の幕開けを迎えることとなったのである。\n奴隷制やインディアン貢納金といった悪習は廃止され、\n鉄道や電信施設が設けられだした。;;;;;;;;;;X ACT242000A;すばらしい指導者だ;;;;;;;;;;X ACT242000B;愚か者だ;;;;;;;;;;X EVT242001N;保守派の反乱;;;;;;;;;;X EVT242001D;新しくできた統治体だったが、自身の母体が保守派にあることからは\n逃れられなかった。当初はグアノ貿易によって彼らに好都合な\n社会情勢が新しく生まれ、イデオロギー上は自由主義者となった\n支配階層もこうした状況をただ単に受け入れていた。しかし\n時がたつにつれて彼ら上層部は、伝統的に培われてきた\n社会階層に手を入れてはならない、とペルーの近代化に対し\n頑迷に反抗するようになったのである。こうした傾向は\nカスティージャ第二期政権、そして1860年新憲法の頃には\nより一層明白なものとなっていた。;;;;;;;;;;X ACT242001A;伝統は尊重されねば;;;;;;;;;;X ACT242001B;もっと急進的にいこう;;;;;;;;;;X EVT242002N;グティエレス兄弟の反乱;;;;;;;;;;X EVT242002D;1872年、マヌエル・パルドが大統領に選出されるのを快く思わない\n戦争大臣トマス・グティエレスの手により、ホセ・バルタ政権に対する\nクーデタが実行された。共謀者はグティエレスの兄弟である\nシルベストレとマルセリアーノ・イ・マルセリーノで、いずれも軍では\n大佐を務める人物だった。だがペルー国民はこうした策動には飽き飽きで、\nしかも厳しい経済状況もあって、このクーデタに対しては血生臭い手段に\n打って出ることになった。首謀者はすべて殺害されたうえ、\nリマの教会にある尖塔から吊り下げられたのだ。;;;;;;;;;;X ACT242002A;はぁ・・・;;;;;;;;;;X EVT242003N;グアノ時代の終焉;;;;;;;;;;X EVT242003D;ペルーはある程度の好況にあったが、それはグアノ鉱床がもたらしたもの\nだった。そうしてインフラ整備のため、外債により多くを依存するように\nなっていったのである。借款の担保にはグアノ鉱床が充てられたが、\n不幸なことに鉱床は有限であり、またこうした天然資源は次第に払底\nしていった。そして1870年代中旬、グアノに立脚したペルー財政という\n砂上の楼閣は、ついに崩れ落ちてしまった。;;;;;;;;;;X ACT242003A;ああ、そうか・・・;;;;;;;;;;X EVT242004N;太平洋戦争;;;;;;;;;;X EVT242004D;1878年、ボリビア政府はチリ企業のアントファガスタ硝酸塩会社への\n課税額を上げようとし、これにチリ政府が抗議するという一幕があった。\nだがボリビア側が企業資産を差し押さえるとまで脅しをかけたことにより、\nついにチリ側は武装した兵力を派遣し、港湾都市アントファガスタを\n占領してしまった。だが1873年に締結した秘密条約により、ペルーは\nボリビアの招請があれば介入することも可能だ。;;;;;;;;;;X ACT242004A;同盟国の呼び声に応じよう;;;;;;;;;;X ACT242004B;この問題からは距離を置こう;;;;;;;;;;X EVT242005N;太平洋戦争の終結;;;;;;;;;;X EVT242005D;太平洋戦争中、チリはペルー全土において徹底的なまでに\n軍事作戦を繰り広げた。そうして地方も占領下のリマも区別なく\n破壊されてしまったのである。さらにチリは賠償金としてリマにある\n国立図書館を接収し、資本金も併せて差し押さえてしまった。;;;;;;;;;;X ACT242005A;ああ、哀しきかな;;;;;;;;;;X ACT242005B;勝ち目は関係ない、戦争継続だ!;;;;;;;;;;X EVT242006D;ペルーは敵国を完膚なきまでに打ちのめすことに成功した。\n平和条約もペルー側の思うままに作り上げられ、ついには\n地域大国のひとつとして数えられるに至った。;;;;;;;;;;X ACT242006A;すばらしい!;;;;;;;;;;X EVT242007N;エクアドル介入;;;;;;;;;;X EVT242007D;隣国エクアドルを支配している混乱に乗じ、ラモン・カスティージャ配下の\n軍隊が南方の州を幾つか占領してやろうと狙っている。;;;;;;;;;;X ACT242007A;介入する;;;;;;;;;;X ACT242007B;介入しない;;;;;;;;;;X ACT242007C;我らが「兄弟」を尊重しよう;;;;;;;;;;X EVT242008N;経済の安定;;;;;;;;;;X EVT242008D;ゆっくりとしかし着実にペルー経済は安定化し始め、海外の投資家、\n市場、銀行ともわりあい協調的な関係を築くにも至った。;;;;;;;;;;X ACT242008A;いいことだ;;;;;;;;;;X EVT242009N;アグスティン・ガマラ;;;;;;;;;;X EVT242009D;ボリビアとの連邦が瓦解すると、ペルーは再びアグスティン・ガマラの時代を\n迎えることになった。ガマラ将軍は対スペイン独立戦争を戦った古参兵で、\nかつては大統領職を務めた人物だったが、その彼がクーデタにより\n実権を掌握してしまったのだ。ガマラ将軍は人格主義者だったが、\n大多数を占めていた先住民の少なからぬ者を鎮めとおし、\nしかも一定水準まで軍隊を再建しきったのだった。;;;;;;;;;;X ACT242009A;実績ある指導者だ;;;;;;;;;;X ACT242009B;もはや彼は信用できない;;;;;;;;;;X EVT242010N;ガマラの野望;;;;;;;;;;X EVT242010D;ガマラはかつて、ボリビアを併合したうえで新国家を作ろうと目論んでいた。\nそれはサンタクルスの手によるペルー・ボリビア連合と似てはいたが、\n連邦制を目指してはいなかった。ガマラは中央集権国家を作ろうと\nしていたのだ。ところでインカ帝国とそれに続く植民地時代、ボリビアは\n単なる「アルト・ペルー」とされており、後代にあってもそれを忘れられないで\nいる者もいたが、ひょっとすると、ガマラもそうだったのかもしれない。\nともかく、1841年、彼はボリビアが弱体化していると見て取るや\n数千人もの私兵を率い、陣頭に立ってこの隣国へと攻め込んだのである。;;;;;;;;;;X ACT242010A;ボリビアは我々のものだ!;;;;;;;;;;X ACT242010B;いや、放っておこう;;;;;;;;;;X EVT242011N;ガマラの敗北;;;;;;;;;;X EVT242011D;残念ながら、ガマラの部隊はボリビア軍指揮官ホセ・デ・バジビアンに\n撃破され、しかも1841年11月、インガビの戦いで彼自身も戦死して\nしまった。これにより戦争はただちに終結へと向かうところとなるが、\n結局のところ、問題はガマラの個人的な行動にあるとされ、\nペルーそのものが戦争責任を問われることはなかった。;;;;;;;;;;X ACT242011A;それはそうだ;;;;;;;;;;X EVT242012N;ガマラの勝利;;;;;;;;;;X EVT242012D;ガマラの部隊は、ホセ・デ・バジビアン率いるボリビア軍を完膚なきまでに\n打ちのめした。ボリビア領の大半は占領下に置かれ、ペルーとボリビアは\n一棹の旗の下に統一されつつある。しかしこれは武力によるものだ。\nいつまでも続くものだろうか。;;;;;;;;;;X ACT242012A;我々はひとつの国だ!;;;;;;;;;;X ACT242012B;正当な影響下におくに留めよう;;;;;;;;;;X EVT242013D;ボリビアは撃破されたあげくチリと単独で和平を結ぶこととなった。もはや\n戦争継続に意味はないものとみられる。そのためペルーの政治家は\n戦争が自国にもたらす影響を最小限にとどめるため、兵を撤収して\n内政に注力するほか選択肢がなくなってしまったのだった。;;;;;;;;;;X EVT242014N;マパシンゲ条約;;;;;;;;;;X EVT242014D;ラモン・カスティージャ元帥配下のペルー軍はグアヤキル地方を占領し、\n現地のカウディージョ(頭領)ギジェルモ・フランコにマパシンゲ条約を調印\nさせた。スペインの1802年勅令によれば、エクアドル南部諸州に対する\nペルーの主権が認められることになるのだが、今回の条約はこれまでの\n曖昧な約束の代償とも呼べるものだ。そしてカスティージャと彼の軍隊は\n「戦利品」を手に、直ちにリマへと帰還した。;;;;;;;;;;X ACT242014A;条約を押し付ける;;;;;;;;;;X ACT242014B;寛大でなければ;;;;;;;;;;X ACT242014C;いや、もう結構!;;;;;;;;;;X EVT242015D;エクアドル議会が1861年に議決したのと同じく\nペルー議会もマパシンゲ条約の批准を拒み、\nさらにはこれが武装した兵力による強制であって\n国家への反逆にあたると認めた。;;;;;;;;;;X EVT242016N;イカサ・プリチェット誓約;;;;;;;;;;X EVT242016D;エクアドルはイカサ・プリチェット誓約に調印した。これはイギリスに対して\nペルー国境に沿った一帯にある公有地での特権を認めるもので、\n戦費調達に対する一部支払いという意味合いを持っていた。だが\n対スペイン戦争の際に軍事援助を受けた関係で、当時のエクアドルは\nまだボリバルのもとでグランコロンビアを形成していたものの、ペルーは\nエクアドルに借りがあったのだ。そのためリマ政府はエクアドルの残りの負債を\n支払う破目に陥ってしまった。こうしてペルーの司法権をエクアドルが\n侵害していると、ペルー外交員のフアン・セレスティーノ・カベロは正式に\n抗議することとなった。;;;;;;;;;;X ACT242016A;よくもまあ!;;;;;;;;;;X EVT242017N;マヌエル・パルド;;;;;;;;;;X EVT242017D;グティエレス兄弟の反乱という暴力沙汰もあったが、選挙は施行された。\nそして1872年8月2日、マヌエル・パルドが大衆の強い支持をうけて当選し、\nここにペルー初の文民大統領が誕生したのだった。パルド政権の\n統治手法には反軍部のきらいがあったが、その代わりとして国土の探検や\n河川探索は積極的に進められた。またおぼろげながら迫りつつある\n経済危機を食い止めるため、彼はいくつもの経済改革に尽力した。;;;;;;;;;;X ACT242017A;文民による政府を;;;;;;;;;;X ACT242017B;今はまだその時でない;;;;;;;;;;X EVT242018N;ペルーの破産宣言;;;;;;;;;;X EVT242018D;グアノはもはや、少なくとも短期的には輸出品として\n使い物にならなくなってしまった。\nそして外債由来の資金が浪費されたこと、\nまた歴史的にも放漫な財政管理がなされてきたことで、\n近年の行政努力にもかかわらず、ついに政府は\n破産を認めざるをえなくなった。これからペルー経済は\nあまねく陰惨たる状況に陥ることになるだろう。;;;;;;;;;;X ACT242018A;まったく、ついてないな;;;;;;;;;;X EVT242019N;ペルーが破産から復旧;;;;;;;;;;X EVT242019D;太平洋戦争があったものの、ペルーはそれに先立つ経済危機から\n無事立ち直りつつある。;;;;;;;;;;X ACT242019A;いいニュースだ;;;;;;;;;;X EVT242020N;ペルーとボリビアの友誼;;;;;;;;;;X EVT242020D;ボリビアとペルーの外交員が1873年に会合を開き、お互いの国民的、\n外交的、軍事的な絆を深め合った。とくに両国間の防衛協定の\n可能性については、会合を通じて検討が重ねられた。;;;;;;;;;;X ACT242020A;提案を受け入れよう;;;;;;;;;;X ACT242020B;将来ならあるかもしれない;;;;;;;;;;X ACT242020C;無視しよう;;;;;;;;;;X EVT242021N;ホセ・バルタ;;;;;;;;;;X EVT242021D;立憲政治と文民支配がペルーにも戻ってきた。ホセ・バルタが大多数の\n支持を受けて大統領に選出されたのだ。バルタ政権はその第一の目標\nとして、外国の技術と資本によるペルー国内のインフラ改善を掲げている。;;;;;;;;;;X ACT242021A;もう民衆は声をあげてしまった;;;;;;;;;;X ACT242021B;軍政を続けねば;;;;;;;;;;X EVT242022N;ドレフュス協定;;;;;;;;;;X EVT242022D;バルタ政権の財務大臣ニコラス・デ・ピエロラは、\n大銀行家アウグスト・ドレフュスにある合意を取り付けた。\nそれは彼の経営するフランス企業がペルー政府の抱える\n外債を償還にあたるのと引き換えに、独占的な\nグアノ輸出を認めるとするものだ。;;;;;;;;;;X ACT242022A;すばらしい考えだ;;;;;;;;;;X ACT242022B;その必要はない;;;;;;;;;;X EVT242023N;外債;;;;;;;;;;X EVT242023D;建設・開発事業にともなう巨額の支出の財源を確保するため、\nホセ・バルタ政権はヨーロッパから大規模な借款を受けることになった。\nフランスやイギリスの投資家は喜んで恩を売ろうとしている。;;;;;;;;;;X ACT242023A;必要だ;;;;;;;;;;X ACT242023B;自力で何とかしよう;;;;;;;;;;X EVT242024N;小破産;;;;;;;;;;X EVT242024D;グアノはもはや、少なくとも短期的には輸出品として\n使い物にならなくなってしまった。\nそして外債由来の資金が浪費されたこと、\nまた歴史的にも放漫な財政管理がなされてきたことで、\n近年の行政努力にもかかわらず、\nついに政府は破産を認めざるをえなくなった。\nだが今回の経済危機は、かつて起こったそれほど厳しいものではない。;;;;;;;;;;X EVT242025N;ペルーが小破産から復旧;;;;;;;;;;X EVT242025D;太平洋戦争の前後、ペルーはそれに先立つ小経済危機から\n無事立ち直りつつある。;;;;;;;;;;X ACT242025A;ついにやった!;;;;;;;;;;X EVT242026N;スペイン遠征軍のペルー水域到着;;;;;;;;;;X EVT242026D;スペイン王室の派遣した学術探検隊がペルー領海に到着した。\n当時のスペイン政府はペルーの独立を未だ承認しておらず、また\n独立戦争にしたがって発生した負債はペルー側に責任があるとすら\n考えている。それにもかかわらず、乗組員や現地当局はお互いに\n誠心誠意、うまくやっているようだ。;;;;;;;;;;X ACT242026A;関係ない、歓迎しよう;;;;;;;;;;X ACT242026B;慎重にことを運ぼう;;;;;;;;;;X EVT242027N;タランボ農場の乱闘;;;;;;;;;;X EVT242027D;タランボにあるアシエンダ(大農場)で、ペルー市民とスペイン人移民による\n乱闘騒ぎが発生した。その結果として双方一名の死亡者が出たほか、\n数名が負傷してしまった。;;;;;;;;;;X ACT242027A;不幸な出来事だ;;;;;;;;;;X EVT242028N;スペインの請求;;;;;;;;;;X EVT242028D;ピンソン提督率いるスペインの探検隊がペルーに引き返してきた。\nタランボで起きた乱闘騒ぎについての釈明と補償を求めるためである。\nしかもマドリードにいる「国王代理」\nエウセビオ・デ・サラサール・イ・マサレードは、これをいい機会だと考え、\nペルー独立戦争にかかる負債はペルー側が支払うべきだとも\n付け加えてきている。それどころか、ペルーを独立国として\n承認していないスペイン政府は、正規の外交員でない人物を\n送って寄越してきた。;;;;;;;;;;X ACT242028A;強制される謂れはない;;;;;;;;;;X ACT242028B;深く謝罪し、支払おう;;;;;;;;;;X EVT242029N;スペインとの合意を受諾?;;;;;;;;;;X EVT242029D;スペインはチンチャ諸島を占領したうえ軍艦を不気味に停泊させている。\nこのためペルー経済は大打撃をこうむり、政府の和平交渉担当も\nスペイン側の要求を呑まざるを得なくなってしまった。しかし民衆も立法府\nもこうした形での和平には反対している。ペルー議会自身、この戦争に\nかかる兵器購入への認可を出しており、いかなる降伏文書であっても\n可決する見込みは九分九厘ないといえる。;;;;;;;;;;X ACT242029A;選択肢はあまりに少ない;;;;;;;;;;X ACT242029B;戦争のほうがまだましだ;;;;;;;;;;X EVT242030N;スペインのチンチャ諸島占領;;;;;;;;;;X EVT242030D;パレーハ提督率いる3艘のフリゲート艦がペルー沖に到着した。彼らは\nペルーのグアノ生産拠点であるチンチャ諸島を占領したうえ、ペルーの\n主要港湾を事実上封鎖してしまった。パレーハ提督らの言うところに\nよれば、ペルーはスペインに補償金を支払うべきなのだそうだ。;;;;;;;;;;X ACT242030A;ひどい狼藉だが・・・;;;;;;;;;;X ACT242030B;戦争行為とみなす;;;;;;;;;;X EVT242031N;ペルーの港湾が封鎖下に;;;;;;;;;;X EVT242031D;スペインの小艦隊によりペルーの主要港湾は出入りできない状態に\nおかれている。しかもスペイン海軍は、ペルーの主要歳入源のひとつである\nチンチャ諸島を押さえたまま、占領し続けている。;;;;;;;;;;X ACT242031A;ひどい話だ;;;;;;;;;;X EVT242032N;カリャオ・リマ事件;;;;;;;;;;X EVT242032D;スペインの出してきた講和条件に対し、ペルー議会は依然として受諾を\n拒んでいた。しかし大統領が布告を発してこれを呑んでしまったことで、\nペルー市民は激怒しカリャオやリマの市街で休暇中のスペイン人水兵を\n襲う事態に発展した。この結果スペイン人一名と数名のペルー人が\n死亡し、両国の緊張関係はいっそう危ういものとなってしまった。;;;;;;;;;;X ACT242032A;実に不幸なことだ;;;;;;;;;;X EVT242033N;チリがスペインと交戦;;;;;;;;;;X EVT242033D;チリはパレーハ提督の出した最後通牒を突きはね、スペインに対し宣戦\nを布告した。現在チリの港湾はスペインによる海上封鎖の対象下に\nある。だが一方、チリから政治的に後押しを受けた新政権がペルーに\n誕生した。新政権はチリとの明らかな連帯のもと、スペインに対して\n宣戦を布告することになった。;;;;;;;;;;X ACT242033A;我々も加わろう;;;;;;;;;;X ACT242033B;関係ない話だ;;;;;;;;;;X EVT242034N;マリアーノ・イグナシオ・プラード;;;;;;;;;;X EVT242034D;フアン・アントニオ・ペセト大統領率いる政府は逃げ腰な対応に終始\nしていた。しかしスペインの提示した講和条件を受け入れてしまった\nことで、ペルー社会にいる少なからぬ者が政府に反旗を翻し、\n結局ペセトは職を辞することになった。一方、軍で大佐を務めていた\nマリアーノ・イグナシオ・プラードは、副大統領を廃するなど\n着々と権力を掌握していき、ついには議会の認証を得るまでに至った。;;;;;;;;;;X ACT242034A;より良い指導者だ;;;;;;;;;;X EVT242035N;アブタオの戦い - 勝敗未決;;;;;;;;;;X EVT242035D;スペイン海軍の指揮官メンデス・ヌニェスは、ビジャデマドリーと\nレイナブランカの2艘のフリゲート艦をアブタオ島へと派遣した。\nペルーのコルベット艦アメリカ、同ウニオン、フリゲート蒸気艦アプリマック、\nそれにチリの管制下にあった砲艦「コバドンガ」からなる\n同盟国艦隊を撃破してやろうとしたのだ。そして両者は\n2時間にわたって長距離砲撃を交わし、そして浅瀬を恐れて\n接近戦ができなかったスペイン艦隊が被弾箇所を抱えつつ\n戦場を離れたことで戦闘も終結した。同盟国艦隊はこの戦いで\n2人を失い、また1名が負傷した。;;;;;;;;;;X ACT242035A;そうか;;;;;;;;;;X EVT242036D;スペイン海軍の指揮官メンデス・ヌニェスは、ビジャデマドリーと\nレイナブランカの2艘のフリゲート艦をアブタオ島へと派遣した。\nペルーのコルベット艦アメリカ、同ウニオン、フリゲート蒸気艦アプリマック、\nそれにチリの管制下にあった砲艦「コバドンガ」からなる\n同盟国艦隊を撃破してやろうとしたのだ。そして両者は\n2時間にわたって長距離砲撃を交わし、そして敵艦の\n接近を恐れた同盟国艦隊が被弾箇所を抱えつつ戦場を\n離れたことで戦闘も終結した。同盟国艦隊はこの戦いで\n2人を失い、また1名が負傷した。;;;;;;;;;;X ACT242036A;やれやれ・・・;;;;;;;;;;X EVT242037N;カリャオが砲撃を受ける;;;;;;;;;;X EVT242037D;甲鉄艦ヌマンシアを筆頭としたスペイン艦隊がカリャオの要塞を砲撃し、\nカリャオ港の沿岸部に配備されていた重砲がこれに反撃した。\nこの戦いでスペイン船は残らず何らかの物理的損害を被ったが、\nカリャオ側はほとんど無傷といっていい状態だった。しかしペルーの\n戦争大臣が、砦の内部で炸裂した砲弾に当たり戦死してしまった。\n最終的におよそ200名のペルー人が命を落とし、\nスペイン側の犠牲者も300人を数えた。;;;;;;;;;;X ACT242037A;悲劇だ;;;;;;;;;;X EVT242038N;対立の終焉?;;;;;;;;;;X EVT242038D;艦船による軍事作戦はあらかた行われ尽くしてしまった。\n戦争が本当に終わったのかどうか、ペルーは判断を下す必要がある。;;;;;;;;;;X ACT242038A;そのとおりだ;;;;;;;;;;X ACT242038B;まだ戦争は終わっていない・・・;;;;;;;;;;X ACT242038C;とにかく、これは我々の戦争だ!;;;;;;;;;;X ####### 242K flavor_PERU #######;;;;;;;;;;;X,,, EVT242039N;アルプスを越えて;;;;;;;;;;X EVT242039D;ペルー人パイロットのホルヘ・チャベスが、\nブレリオ単葉機でのアルプス越えに成功した。;;;;;;;;;;X ACT242039A;よし;;;;;;;;;;X
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